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2008年12月14日 (日)

訃報:ゲアリー・マッギー(Gary McGee)師(1945-2008)

(この記事は、LIKELUKEの執筆ではなく、所属神学校にてメールで配布されてきたものを、ご遺族のプライバシーに関する箇所に手を入れつつ翻訳したものですが、その後の調査によりFlower Pentecostal Heritage Center(フラワー・ペンテコステ史研究センター)のブログiFPHC blogの2008年12月10日付記事"Gary McGee is Rejoicing with the Angels"であることがわかりました。その後、同研究所長で執筆者のダーリン・J・ロジャーズ師の許可を得てここに公開しています。

なお、原文は、原サイトでご覧いただくのが適切であろうと判断し、当記事に当初掲載していたものは削除いたしました。上のリンクから、マッギー師のお写真とともにご覧ください)

ゲアリー・マッギー師、天使たちとともに歓喜する

ダーリン・J・ロジャーズ

 

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団にて長年、教育者としての働きに従事してきたゲアリー・マッギー博士が、本日2008年12月10日正午を少し前にして、この世での歩みから、師の愛する救い主の御手の内へと道を移っていった。師は、11月13日、長年のガンとの闘病によって弱まった免疫システムと細菌感染による合併症のために入院していたが、昨日、退院、自宅にて家族に看取られながら召されていった。

アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の中で、マッギー師ほど広い影響力を得るに至った教育者は少ない。大学・大学院レベルでの師の教育経験は40年(1967-2008)に及ぶ。多数の著作を著し、数々の専門的組織、超教派団体の指導者層との関係強化に尽力した。師は中央聖書大学(Central Bible College:1970-1984)、オープン聖書大学(Open Bible College:1967-70)を経て、1984年からアッセンブリーズ・オブ・ゴッド神学校(AGTS)で教鞭を執り、教会史・ペンテコステ研究特別教授(Distinguished Professor of Church History and Pentecostal Studies)として務めていた。

マッギー師は7冊の書物を著し、3冊を編集かつ一部の執筆、15冊の書物に章を寄せ、専門雑誌に41論文(1993年以降のもの)、12の辞典に129の項目を執筆した。また、Today's Pentecostal EvangelAssemblies of God HeritageAdvanceEnrichmentParacleteなど、教団の出版物にも頻繁に原稿を寄せていた。おそらく最も著名なものは、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団による世界宣教の歴史を記述した2冊組のThis Gospel Shall Be Preached (Gospel Publishing House (GPH), 1986, 1989)、伝記的アプローチでアッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の歴史を記述したPeople of the Spirit (GPH, 2004)、そして共編で賞を受賞するにも至ったDictionary of Pentecostal and Charismatic Movements (Zondervan, 1988)であろう。また、召される数週間前には、最後の著作Miracles, Missions, and American Pentecostalism (Orbis Books, 2009年刊行予定)を上梓してもいる。

マッギー師はまた、広く世界を旅し、シンガポールのAsia Centre for Evangelism and Missions、ブリュッセル(ベルギー)のContinental Theological Seminary、オシエク(クロアチア)のEvangelical Theological Seminary、キエフ(ウクライナ)のKiev Bible Institute、ブカレスト(ルーマニア)のRomanian Bible Institute、バンガロー(インド)のSouthern Asia Bible Collegeなどでも教鞭を執った。

マッギー師は、ペンテコステ宣教史の領域での最も明瞭な発言者の一人であったとともに、アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団における最も尊敬され、愛された教育者の一人として知られるところとなった。学術研究者たちの間では、初期ペンテコステ史ならびに宣教学に関する著作で最も知られていたが、家族や友人たちは、裏表のない人格、優れたユーモア、謙遜さ、霊的な敏感さ、人柄の暖かさの持ち主としての師に触れていた。親しい歴史学者であったグラント・ワッカーによれば、マッギーは「いつでも祈れる備えのできていた人、そして同時に、いつでもジョークの言える備えのできていた人」であったという。

マッギー家がペンテコステ運動に加わったのは、母方の祖母が、1921年オハイオ州カントンでのエイミー・センプル・マクファーソン(Aimee Semple McPherson)の伝道大会でキリスト信仰に至ったことがきっかけであった。一家は、カントンのベセル・テンプル教会(Bethel Temple Assembly of God)の忠実な教会員となった。マッギー師は、1945年4月22日、5人の子供の上から2番目として生まれる。

1967年に中央聖書大学を卒業すると、マッギー師は、オープン聖書大学(アイオワ州デス・モイネス)で教え始める。1969年にアイオワ教区から正教師認定されると、翌年にはミズーリ州スプリングフィールドに戻り、以後、ここを終の棲家とする。そして、母校の中央聖書大学で教鞭を執りつつ、1971年、コンコーディア神学校(ミズーリ州セントルイス)で宗教学修士号、1976年、ミズーリ州立大学にて修士号(宗教学)、そして1984年にはセントルイス大学で博士号(教会史)を取得する。その後はアッセンブリーズ・オブ・ゴッド神学校で教鞭を執り、2006年、教会史ならびにペンテコステ研究特別教授に指名された。

また、今年2008年3月には、ペンテコステ研究学会(Society for Pentecostal Studies)からライフタイム・アチーブメント賞が授与された。

マッギー師はまた、神の人なるきよい人物がいかに良くその生涯の幕を閉じることができるものかを、その身をもって示した。ここ10年間は、ガンと関節炎との闘病の日々であったが、不平を漏らすことはなかった。むしろ、師は他の人々の必要に、喜びを持って注目し、主が自分に与えてくださったと信じる働きを全うしていった。かつての教え子ジェニファー・ストリックラントは次のように記している。「先生が何年にもわたる苦しみのただ中で示してくださった気高さと美しさを目の当たりにし、苦しみという領域について書かれたどんな本を読むよりも多くのことを教えていただきました」 そして、この言葉を借りるなら、マッギー師はその領域においても1冊の著作を著している。How Sweet the Sound: God's Grace for Suffering Christians (GPH, 1994)である。そして最後のものとなる入院の直前に、最後の著作の原稿を完成した。それからの2週間は、残った雑事を片づけ、周囲の人々に別れを告げた。失望は見せなかった。むしろ自らの信じる偉大な神への信仰を見せた。

これは、困難ながら、美しい時となった。

マッギー師は夫人と2人の娘、2人の孫を残して召されていった。彼らはいずれも、ミズーリ州スプリングフィールドに住んでいる。

マッギー師の告別式の情報については、AGTSのウェブサイトにて提供されている。ご遺族へのメッセージも同サイトにて送ることができる。

 

翻訳:LIKELUKE

 

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