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2008年10月 2日 (木)

Genesis 1:1 (イロカノ語学習)

少し気が向いたので、聖書でイロカノ語(Ilocano)を学んでみることにする。

英語が公用語の一つとはいえ、私のいるフィリピン・ルソン島北部の人々の日常の会話は、本来はイロカノ族という一部族の言語がこの地方の共通語となったイロカノ語の周辺に成り立っている。そして、このイロカノ語を軸に、ある時は公用語のピリピノ語(Filipino)(タガログ語(Tagalog))、ある時は、ベンゲット州ではカンカナウイ語(Kankana-ey)、イバロイ語(Ibaloi)(イバッロイ語(Iballoi))、カラゴヤ語(Kalangoya)など、さらに細かい部族レベルの言語が用いられている。

教会の共通語もイロカノ語だ。聖書も賛美歌もイロカノ語に翻訳されている。きょうびのアメリカやオーストラリア発の歌は英語のまま歌うのだが、司会も証しも説教もイロカノ語だ。在比8年にして怠け者の私は、いまだに英語で説教をするのを許してもらっているが、それでも集会後の交流ではイロカノ語とカンカナウイ語を使おうと心がけている。自分が言語学専攻でそれが好きということも大きいが、やはり、空気がなごむのと人々との距離が縮まるので重宝している。

宣教師がその土地の言葉をどこまで学ぶべきかということについては、意外なことにいろいろな議論がある。一般に「土地のものを何でも食べて、土地の言葉をぺらぺら話す」宣教師こそが素晴らしいと言われるほど、事は単純ではないようなのだ。それでも、1日24時間、一度に5や10や違う言語を学習していても全く苦にならないだけが取り柄のような人間なので、この分野に関しては、神さまから封印を命じられない限りはこの路線で行くしかないと思っている。

そういうわけで、少しでもましな宣教師になれるように、四の五の言わずに日々の研鑽、創世記1:1を見てみる。なお、聖書の翻訳はフィリピン聖書協会(Philippine Bible Society)、イロカノ語辞書(語義だけでなく文法解説も含む)は、Carl Rubino(2000)を参照している。

Idi punganay, pinarsua ti Dios ti lubong. (Gen. 1:1; IPV)

idi /i'di/ <Prep>(前置詞):<時間を表す名詞を過去と関連づける>

punganay /pu'nganay/ <N>(名詞):始まり、開始、初期段階、起源、源(puon)、etc.

pinarsua /pinarsu'a/ <V>(動詞):(parsuaen + -in-)

parsuaen /parsu'aen/ <V>:創造する(<parsua)

parsua /parsu'a/ <N>:創造(nakaparusuaan:自然、被造物)

-in- /in/ <Aff>(接辞):<-en動詞ならびに-an動詞の完了接中辞。-en動詞の場合は語根の第一母音の前に挿入し、-enは脱落する>

ti /ti/ <Art>(冠詞):<中心格(core)単数一般名詞>

Dios /'dyos/ <N>:神

lubong /'lubong/ <N>:(全)世界、宇宙、谷

 

"idi punganay"は、直訳すれば「かつて初めの時に」ということになるだろうか。イロカノ語は動詞の時制の体系がほとんど発達しておらず、中国語やギリシア語(日本語もこれに近い)のようにアスペクト(完了、未完了)が優勢な言語なので、過去のできごとを語る際にも、動詞の過去形と呼べるものがない。そのため、完了形で過去形を代用したり、この"idi"を、いわば過去のマーカーとして用いる。この文がまさにその例である。

また、"idi"には、"idi kalman"(昨日)、"idi napan a bulan"(先月)、"idi Mierkoles"(先週の水曜日)などの便利な用法もある(Rubino, 214)。

"pinarsua"は、他動詞"parsuaen"の完了形。上のRubinoの解説にあるように、"parsuaen"は-en動詞なので、完了形にするには語根"parsua"の第一母音"a"の前に"-in-"を挿入し、"-en"を落とす(parsua+en > p(-in-)arsua+en > pinarsua+-en > pinarsua)。

"ti Dios"は、冠詞"ti"によって「中心格(core case)」であることがわかる。また、動詞「創造する」の意味からしてその行為の主体(「動作主」とも言う)であると解釈できる(「宇宙が神を創造した」よりも「神が宇宙を創造した」とするほうが常識的に自然)。

ただし、イロカノ語や多くのフィリピン諸語で「中心格」になるのは動作主とは限らない。これらの言語で重要なのは「焦点(focus)」という文法概念である。そして、動詞の形式によって文中のどの要素に焦点が当たるかが決まり、その要素が「中心格」で表されることになる。

この文の動詞"parsuaen"は-en動詞だが、Rubinoによれば、この-en動詞は「対象焦点(patient focus)」の他動詞となる(183)。対象焦点ということは、行為を受ける対象(この場合は"lubong"(宇宙))が中心格で表されるということになる。したがって、"-en"だけに注目するなら、この文の一番の「主役」は"ti lubong"であるということになる。

それでは"ti Dios"の立場はどうなるのだろうか。これについては、言語学的にはいろいろとアプローチが考えられるが、まだまだ初学者ゆえに未消化な部分が多いので、また追々にしようと思う。

最後に、この"lubong"だが、一般的な聖書の翻訳では2つの要素が登場する。"EN ARCH EPOIHSEN hO QEOS TON OURANON KAI THN GHN."(七十人訳)、「初めに、神がを創造した」(新改訳)、「初めに、神は天地を創造された」(新共同訳)、"In the beginning God created the heavens and the earth."(New International Version)となっており、原語のヘブライ語でも「シャマイム」(天)、「エレツ」(地)という2つの要素がはっきりと書かれている。

これは、このイロカノ語訳であるIPVが、英語のToday's English Version(TEV)に準拠するものであることによる。TEVでは次のようになっている。"In the beginning, when God created the universe, . . ."

IPVのイントロダクションでは、旧約聖書については、現代では最も権威があるとされているBiblia Hebraica Stuttgartensia第3版を底本としているとしながらも、訳文の最終的な決定に際しては、英語学習者、非キリスト教圏の人々が英語聖書に親しめるようにという独特な方針に沿って翻訳されたTEVの様式を踏襲しているようである。

イロカノ語聖書は、翻訳者の事情から、原典から直接翻訳するというよりは、大部分を英訳聖書から翻訳し、問題となる箇所のみ原典を参照する形を取ったのだと聞くことも多い。この点は、IPVを読み、ここから説教をしたり、教えたりしていく上では注意が必要だが、あくまで翻訳は翻訳であり、原語(ないしは英語)に引きずられている部分があるかもしれないという点は留意しておくにしても、イロカノ語を学ぶという点ではさしあたっては無視できることであろう。

 

 

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