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2010/11/28

Hello, Good-bye - 我が家の居候たち

このところ、我が家に家族が増えている。と言っても、イゴロット族の伝統にのっとって10人の子どもを目指すとか、はとこが転がり込んでくるとかいうわけではない。本来、ペットだったハムスターに加えて、アヒルとヤギがもらわれてきたのだ。

私たちの家のあるのは、バギオ市の郊外のとある大学院のキャンパス内で、そういう場所柄、セキュリティーも万全で非常に閑静な敷地となっている。ご近所はアメリカ人家庭が5軒、フィリピン人家庭が3軒、マレーシア人家庭が1軒だが、ペットを飼っているのはそのうちの4軒、いずれも屋内で犬や猫を飼うだけで、庭にアヒルやヤギがいる家庭は無い。

アヒルは実は静かだ。興味津々のフィリピン人職員たちによると、複数いるとうるさいのだが1羽では静かなのだそうだ。問題はヤギだ。腹を空かせては「バアァァァ」、人恋しくなっては「バアァァァ」と、ご近所に気を遣ってしょうがない。一度など、あまりの鳴き声に、一晩、家のバスルームで越させることがあった。ただし、最近は夕方も6時を過ぎるとおとなしく寝てくれるようで、事無きを得ている。

ところが、ようやく3匹(個体?)との暮らしにも慣れた頃、残念なことに、ハムスターが息を引き取った。朝は元気に走り回っていたのに、夕方になると急に元気が無い。妻によれば、ハムスターというのはそういうもののようだ。来年は長期3か月にわたって一時帰国の予定なのでそれまでには見送れればと思っていたのだが、こんなに早く、またこんなに急に別れの時が来るとは思わなかった。小さなハムスター一匹とはいえ、いなくなれば寂しいものだ。

フィリピン人職員たちのもっぱらの関心は、私たちがいつ、アヒルとヤギを食べるのだろうかということだ。おいしいのはわかっていても、ペットになってしまうとなかなか難しいものだ。来年のことを語れば鬼が笑うと言われても、今からどうしたものかと頭を悩ませている。大きくなったものは元の家庭にお返しして、またかわいい子どもをもらえば、という妻の提案が、最も現実的なものにも思える。

 

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ありし日の「うゆ」ちゃん。韓国語で「ミルク」という意味らしい。

 

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あどけない、というか、アホ面が、今では懐かしいものだ。

 

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埋葬準備の整ったうゆちゃん。天国で会えるのだろうか。

 

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地味なことから「ジミー」と名づけられたアヒル。ちょうど学校で
カンボジアのことを習い、衣装を身につけて楽しんでいた娘と。

 

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水鳥なので水浴びが大好き。

 

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乳牛ホルスタイン柄なので「ミルキー」と名づけられたヤギ。英語で呼ぶと、
「みゆき」という妻の名前に聞こえることに気づき、妻は複雑な心境だ。

 

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とりあえず、しばらくは一緒にいる暮らしを楽しむこととしよう。

 

 

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2010/11/15

山の笑顔に魅せられて

先日、仕事で訪問したヌエバ・ビスカヤ州の山間部の教会。今日は人々の素晴らしい笑顔をご紹介したい。説明の言葉は不要だろう。この笑顔が見たくて、この笑顔になってもらいたくて、今週もまた、山奥に出かけていく。

 

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2010/11/13

せめてバイクでも無ければ

仕事で行ったヌエバ・ビスカヤ州の山村部での光景。ある村の教会での行事に、9kmほど離れた別の村の人々が来て参加していたのだが、帰って行く姿に圧巻された。めいめいがバイクに乗り、しかも3-5人乗り合わせての帰宅なのだ。

公共交通機関としてのジプニーは1日数便、せめてプライベートなジプニーでも無ければ、否、せめてバイクでも無ければ、隣村に行くのにも事欠くような生活がここにはある。否、家族が一緒でなければ、少々重いものでも担いで9kmを歩いてしまうのが彼らの暮らしだ。

泊めてもらった家のご主人が、車を洗わせてくれと言う。いや、こんな道だし、帰り道でもどうせまた汚れるから、と丁寧に断ろうとしたのだが、ぜひにと言い張る。聞くと、こんなところまで来てくれた感謝とおもてなしの気持ちももちろんあるが、ゆっくりと車を洗わせてもらいながら、いつかはこんな車がうちにも与えられるように神様にお祈りするのだそうだ。

自分のできることで旅人をもてなそうとする真摯な心と素朴な信仰に励まされた旅になった。

 

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家族単位でチームを構成しているのか、家路に着く隣村の教会の人々。
一番左のバイクには、脇の下からのぞいているチビちゃんを合わせて
5人乗りだ。山村の人々はたくましい。

 

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石けん(手前の青いの)で丹念に手洗いしてくれた滞在先のご主人。
子供が10人近くもいれば、最低、古くてポンコツでもジプニーが必要だ。
神様が、その篤いお祈りに応えてくださいますように。

 

 

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2010/11/01

ゴールドタウンはネタの町

バギオ市から南へ車で1時間ほど下ると、かつて金鉱で栄えたバラトック鉱山がある。バギオ市近郊の鉱山としてはこのバラトック鉱山に加え、やや東のゴールドフィールド鉱山、さらに車で大きく1時間ほど南に下ったフィレックス鉱山などがある。他の鉱山もそうかもしれないが、バラトック鉱山の場合、1990年のバギオ大震災を期に鉱山会社が倒産、現在は個人や家族単位による採掘、いわゆるプライベート・マイニング、ポケット・マイニングが行われているだけだ。

このバラトック鉱山の地域に仕事で行く機会があった(関連記事は姉妹ブログ『北ルソンの若葉マーク』の「金鉱の村の無口な優しさ」を参照のこと)。一時は栄華を誇っていた地域が、今はすっかりひなびてしまい、各所に廃墟が残る村々と化してしまっているのだが、それでも人々は、厳しい生活・労働環境の中、歯を食いしばりながらたくましく生きている。

このバラトック地区、鉱山の村々という、現代の日本人にはなかなかなじみのない地域ということもあり、何かと珍しい光景が多い。以下、写真とキャプションをご覧ください。

 

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傾斜の急な山の斜面に挟まれた峡谷沿いに伸びるバラトック鉱山。
写真はバラトック方面からアクーパン方面を望む。

 

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急斜面には、このように鉱夫たちの家が点在する。この写真にも
見えるように台風の土砂崩れなども襲い、きわめて危険。1990年の
大震災時には、坑道の落盤などで多くの犠牲者を出した。

 

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このように山肌には坑道の入り口があちこちに見える。

 

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これもかつての坑道への入り口かと思いきや、通気口。

 

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採掘してきた小さな岩の数々は、このような砕石機で砕き、精製する。

 

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精製には化学薬品が用いられる。このように、排水はそのまま川に
垂れ流す。これは、いちおう一度、貯水することによってろ過している
ということなのだろう。さすがにこの川で泳いでいる子どもたちは見ないが、
他州を流れる下流では、その水で洗濯や食器の洗浄などはしているはずだ。
そうでなくとも街灯など無く、酔った夜道ではうっかり足を滑らせかねない。
子どもが落ちないかどうかも心配だ。

 

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各家庭に乱雑に引かれた水道のホース。水源は山のかなり高い部分の泉に
取っているので、位置エネルギーで、階は関係無く配水されるようだが、
あまりに場当たり的な無秩序さに、日本人としては肝を抜かれる。

 

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その同じ建物には、見ての通り、BSアンテナが設置されている。が、
どうだろう、ルソン島の北部とはいえ、赤道にほど近いフィリピンで
あの角度だと、衛星をキャッチするどころのものではないはずだ。

 

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この建物の中にある教会の看板。こともあろうか、最近のバランガイ選挙に
出馬した候補者の、投票御礼のビラが貼ってある。万人にわかるものではない
マウンテン・プロビンス州の言葉であるところがまたオツだ。「私たち」が
"taku"と"u"で綴られており、かつ「ありがとう」が"salamat"と"l"で綴られて
いることから、同州西部の北カンカナウイ語だろうか。同州東部では後者が
"r"になり、ベンゲット州の南カンカナウイ語では前者を"o"で綴る傾向にある。

 

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山の斜面のわずかな土地を利用して、闘鶏用のシャモ(のはず)が飼われている。

 

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バラトック鉱山近郊全景。左手の山の中腹に広がるのがダリクノ、中央奥に浮かび
上がるようにあるのがアクーパン、その下がバラトック、右手中腹がビラック。
いずれも農地は少なく、一攫千金の金鉱採掘に賭ける、経済的には厳しい地域だ。

 

 

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