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2010/09/18

PhD Program in Baguio (5)

いよいよ教習が終わり、陸運局での試験だ。聞くと、A1-DrivingのSMバギオ校では、免許取得の支援はバギオではなくパンガスィナン州ウルダニータ(Urganeta, Pangasinan)の陸運局でするのだという。なんでも、バギオの陸運局は自分で車を持ち込まなければならないうえに厳しいのだそうだ。

かくしてウルダニータに乗り込むことになった。A1での免許取得の支援は週1回、木曜日ということ、また、早めに手続きをしてその日のうちに終わらせられるように朝8時きっかりには来るようにということで、前日からホテルに泊まることにした。

当日はA1の教官が健康診断、薬物・アルコール検査、願書の提出までを手伝ってくださった。最初に陸運局の責任ある方への目通しがあったので、そういう信頼関係が既に存在しているのかもしれない。書類の処理にかなり時間がかかったが、そうこうしているうちに写真の撮影とサインの登録(いずれもコンピューター上に)も進み、交通法規の講義と筆記試験、実技試験は午後からということになった。それにしても、片言でもイロカノ語を話す日本人受験生というのは物珍しいようだ。お決まりの山下財宝や子供の作り方講義(うちは一人っ子なので)などのネタで、あちこちでいぢられてしまった。

交通法規の講義は、この陸運局の最高責任者自らによるものだったが、全てタガログ語でよくわからなかった。すし詰めの部屋ではそのまま筆記試験が始まり、これは希望すれば英語の試験ももらえた。50問ほどで全て三択形式になっている。タガログ語での講義で少しわかった部分がそのまま出ていたりしたので、ちゃんと理解していれば受かる試験になっているようだ。日本人としてはこの英語が理解できるかが大きいだろうが、A1からは懇切丁寧な教本(英語:400ペソ)が出ているので、こちらを熟読していれば問題は無いだろう。

実技試験は、建前上は、門から出て、2ブロックほど行って左折、その後も左折を繰り返して一周というコースが講義室の壁に掲示してあったが、この日は、というか、いつもなのか、2つある門の一つから出てそのまま右にメインストリートに合流、15mほどとことこ走り、右手にあるもう一つの門から入るという、ものの1分も走るか走らないかというものだった。左折(フィリピンは右側通行なので、日本とは逆に、初心者には左折が難しい)も無ければ車線変更も無く、停止も無ければギアチェンジすらない。拍子抜けとはこのことを言う。エンスト3回で自動的に失格と言われていたが、エンストしたくてもする場所が無いほどだ。以前、フィリピンの実技試験は前に転がし、後ろに転がし、それでだめなら500ペソ札を見せると聞いたことがあったが、後ろに転がすことすらなかった。

それでも、私のA1での教習の2時間目のような、心もとない受験生も何人もいたし、多くの受験生は、戻ってきて降りる時に、ニュートラルに入れないままにクラッチを緩めてしまい、そこでエンストしていた。車を降りて払ったお金の領収書は、陸運局のものではなく、なんと地元の自動車学校のものだったので、車だけ、借り賃を払ったのか、下手すると実技試験も外注しているのかもしれない。そして、受験生の誰も、落ちた様子は無かった。なんとも緊張感の無い、フィリピンらしい試験風景だ。

かくして試験は修了。しばらく待って、その日のうちに晴れて免許証がもらえるところとなった。教本には、当日は領収書だけもらえて、数週間後に免許証が交付されるということだったので、これももしかするとA1の信頼のおかげというか、最初のエライさんへのお目通りの時点で、既に発行が始まっていたのかもしれない。

聞けば、A1からの教習生として一緒に受験したご婦人は、なんと7時間の教習しか受けていないという。A1の教習車の横に「5時間で教育されたドライバーになろう」とあるが、それを地で行くような作戦だ。うらやましい気もしたが、自分としては30+5時間のフルコースで教習を受けたことが、良い思い出にもなり、貴重な財産にもなっている。日本の教習課程の学科約30時間が欠落している部分は、日本から持ってきた市販の運転教本や参考書、インターネットのいろいろな掲示板を読み漁って補ってきたつもりだ。修了したが終わりはないPhD(Driving in the Philippines)。家族だけでなく、仕事で他人も乗せることになるので、今後も、努力を重ね、安全で技術のあるドライバーを目指していくつもりだ。早朝のアンブックラオ・ロードの下り、コップに水を張ってタホの配達をするのが良いかもしれない。

追記:
ちなみに、実技試験を終えて車を降りてくると、今度はヘルメットを渡され、バイクの免許は一緒につけないのかと言われた。バイクについては何も知らないし興味も無いのでいらないと言った。ところが、一緒にいたご婦人は、私とずっと一緒にいてバイクの実技試験を受けた気配は無かったのに、受け取った免許証はバイクも乗れるものとなっていた。どうやら、実技で乗らなくても試験料として車200ペソ+バイク50ペソを払えばよかったらしい。バイクには本当に興味が無いので後悔はしていないが、最後の最後にあらためてフィリピン的風景を見た気がした。

あと、「健康診断」は色盲検査のみだった。あ、結婚しているか聞かれたのが聴力検査だったのか? でも、あれなら聴力ではなく英語の聴き取りの試験だ。私は軽い近視で、眼鏡をかけたほうがいいクチなのだが、視力検査は無く、私の免許証にも当然、眼鏡着用の欄にチェックは入っていない。バギオの陸運局で路上教習許可証をもらった際には、他の人たちが視力検査を受け、必要に応じて眼鏡を購入しているのを見ているので、やはりこれはウルダニータならではの現象なのかもしれない。いや、あの時も、たまたま私の友人が、だれか政治家さんの特別なキャンペーンで眼鏡の安売りに来ていたっけ。ということは、バギオで視力検査をしていたのもあの時だけだったのだろうか……。ええ、ちゃんと眼鏡は着けますよ、私が運転する時には。

 

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幸いにして当日もらえた免許証。本来は手前の領収書を数週間は
免許証代わりに持ち歩くことになるはずだ。

 

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PhD Program in Baguio (4)

30時間の教習は、仕事が忙しく、こなすのがなかなか大変だったが、なんとか修了することができた。1時間目は学校のオフィスのあるSMバギオの地下2階駐車場で、エンジンのかけ方、1速での半クラから発進の仕方、バックの仕方など、基本を教わった。ところが2時間目からは外だ。SMバギオの近くにある市民会館までは教官が運転してくださり、そこの駐車場でやはり、前に転がし、後ろに転がしを練習した。

ところが、その帰り、そこからSMバギオの駐車場までは公道を走らされた。この時のことは記憶から欠落している。教官によれば、セッションのてっぺんのロータリー、SMの人通りの絶えない横断歩道、駐車場の料金ブース前のハンプ(スピードを落とさせるため、道路を横断する形で一筋、路面を高くしてあるもの)という3点セットで、予定通り、もれなくエンストをしたそうだ。

その後は、徐々にサウス・ドライブ、ミリタリー・カットオフ、ルアカン・ロード、ケノン・ロード、旧マルコス・ハイウェイ、ラ・トリニダード、アンブックラオ・ロードなど、教習の範囲が広がっていった。朝の8時台の教習の時など、渋滞のボニファシオロードで、あの狭い道を対向車線の車が追い越しでこちらの路線に次々に逆走してくるやら、渋滞のセッションロード登りなどで、前後の車間距離がほぼ無い中での坂道発進やら、とにかくエンストを限りなく繰り返しながら実地で鍛えられたと言っても過言ではない。

最後の3時間は豪雨と濃霧のマルコス・ハイウェイ半往復と、これまたバギオでの教習としては象徴的な体験をすることができた。30時間というのはマニュアルのみだったので、さらに5時間、オートマ教習を追加し、この時は、試験会場となる陸運局のあるパンガスィナン州ウルダニータまでの往復となった。おかげで、オートマながら、ケノンロードの「峠道」攻略?とマッカーサーハイウェイの低地ぶん回しの追い越し練習もすることができた。

A1-Drivingの教官は、誰も決してフィリピン人ドライバーとは思えない、きわめて、きわめて安全運転指向の教官ばかりで驚かされた。私のほうが逆に、10年間のフィリピン生活で、ジプニー、タクシー、バスなど、公共交通機関の乱暴な運転に体が慣らされており、知らず知らずにそういう運転になってしまうのだ。何度エンストしても、どこでエンストしても絶対に怒らない、嫌な顔一つ見せない、本当に忍耐強い教官ばかりで、新しいフィリピンを見せてもらったような気がする。そういう教官たちなので、教習生の私にではなく、周りのドライバーたちのことばかり嘆いていた。確かに、フィリピン人の多くがこのA1で教習を受けるようになれば、この国の交通事情も大きく変わることだろう。

フィリピンのドライバーたちは、運転は荒いし、待てない人が多い(何がヤだって、横断歩道で歩行者が横断している間に一時停止しているのを右側車線(日本的感覚で言えば左側)にわざわざ出てまで抜かれるのがイヤ)。ただ、クラクションこそ鳴らすものの、少なくともバギオに限っては、怒鳴ったりにらんだりする人が無いのは紳士的だ。日本のように全国一律の教習所・運転文化に裏づけられた一定の水準や常識というものが無いためか、誰もが初心者、誰もが素人的な共通認識があるようで、互いの異なる運転スタイルを尊重したり、下手なドライバーには思いやりや配慮を見せることも多い。

さて、教官たちはまた、基本はタガログ語を好むが、外国人の私には精一杯の英語で丁寧に応対してくださった。メインの教官など、自分はタガログだが、バギオ校の責任者ということでイロカノ語にも興味があり、私のほうが、教習中にイロカノ語を教えてあげながらのドライブとなることも多く、それも一興で楽しかった。

A1-Drivingのスタッフもまた、若いが丁寧なよくできた女性だった。時折、学校の都合での教習スケジュールの変更を、こちらの都合を尋ねることなく一方的に通知してきたり、こちらからの携帯メールでの重要な問い合わせには返事が無かったり、そこはフィリピンのカスタマーサービスならではの、どうしようもなく三流で「なってない」こともあったが、それ以外はまずまず、気持ち良く教習期間を過ごすことができた。

教習車もカローラ・アルティスの新しいもので快適だった。いくらか足せばさらに高級な車での教習もできるようだ。A1-Driving、この国の相場的には最高級クラスの自動車学校だが、30時間26,000円程度なら、在比日本人の方には十分にお勧めできる。次回はいよいよ陸運局での試験の様子をご報告する。

 

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ケノン・ロードのライオンズクラブのライオン像まで行った時のもの。
この人がメインの教官。ユーモアたっぷりの面白い先生だった。

 

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教習車近影。スマートなデザインだが、右手の、原子力発電所のような
黒と黄色のマークがどことなく怖い。

 

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2010/09/06

ユダは払わね?

昨日、ナギリアンロードを走る機会があり、ようやく先日のバス事故の現場がわかった。バギオ市からならサブラン町に入って間もない厳しい右カーブで、そこだけ深く切り込んだ谷になっている。他の右カーブは道路下に少し家や畑があり、それはそれで危険だが、万一ダイブしても何らかのクッションにはなり、42名もの犠牲者を出すことはなかったはずだ。あらためて山道の怖さを思った。

また、時が経つにつれて、犠牲者の中に知人の家族や近しい人々があったことが伝わってきた。2週間が経ってもバス会社から遺族には訪問も一時金も無いという。保険会社から支払われたのは、犠牲者には65,000ペソ、負傷者には12,500ペソという。これがフィリピンでの命の値段というわけだ。フィリピン国内での移動にはこのようなリスクがつきまとうことも、知っておく必要がある。

 

さて、在比の皆様には既におなじみの、下の写真のような文言。そのままの"God knows Judas not Pay."では、英語としては非文法的(神はご存じだ、ユダ、払わね)だが、これは"J"を"H"で読むというスペイン流がわかれば"God knows who does not pay."(神は誰が払わないかご存じだ)のもじりであることがわかる。"Judas"(ジューダス)を「フーダス」と読むわけだ。知識だけは英語にうるさい日本人なら"Does"は「ダズ」と濁って読みたいところだが、綴りにできるだけ忠実に読もうとするフィリピン英語では、"does"はあくまで「ダス」なのだ(さすがに「ドエス」とは読まない)。

ジューダス(和名:ユダ)というのはイエス・キリストの十二弟子の一人。銀貨30枚でイエスを裏切り、その結果、イエスは逮捕され、十字架につけられるところとなった。その悪者キャラ感が、「金、払わね」というネガティブな要素と結びついたのだろう。これは、ユダがおそらくは弟子集団の金庫番をしていた(ヨハネの福音書13章29節)ということとも関係はあるかもしれない。

実際は、ユダはイエスを裏切ったことを後悔して、もらった銀貨30枚を大祭司に叩きつけて返却、首を吊って自殺したが(マタイ27:5)、大祭司たちはその金で土地を買って外国人の墓にしたという(マタイ27:6-8)。当時のユダヤでは外国人は差別されていたので、血に汚れた金はその程度の用途でちょうどよかったというわけだ。なお、新約聖書の別の記述によれば、その土地を買ったのはユダ本人で、首を吊ったのもその土地でだという(使徒の働き1:18)。

いずれにせよ、神はご存じだ。ジプニーのお金はちゃんと払うようにしよう。お釣りがきっちり帰ってくるのも、観光客には物珍しい、楽しい旅の風景だ。

 

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