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2010/06/04

「つわもの」どもが夢の後……

北ルソンのある村で、面白いものを見せてもらった。既に各氏のブログでは紹介されているものと思うが、今年の総選挙で初めて導入されたという機械投票の練習用シートだ。私たちの世代には、共通一次試験(現・大学入試センター試験)というか、それに向けての早期トレーニングとしての、進研ゼミ(旧・福武書店、現・ベネッセ・コーポレーション)の毎月のマークシート課題が懐かしく思い出される。

地方の村にまでこのようなものが配布されていたということは、選挙管理委員会のそれなりのやる気を感じさせるものではある。候補者の一覧表も兼ねている。このシート、下の写真ではプライバシーに配慮して写していないが、1枚1枚に有権者の名前が印刷してあるという手の込んだ代物。ところが、そこは形から入って何事も徹底することのないフィリピンのこと - 大人は、ひとしきり候補者の話で盛り上がった後に飽きたのだろう - 気がつくと、子どもたちが束を握って追いかけっこの奪い合いっこをしている。鉛筆やボールペンを手に、几帳面にマークの練習をする者など皆無なのだ。

「スィゲ、スィゲ」 - 見ただけでわかった気になるフィリピン人……。それでいて、本番ではそれなりにこなしてしまうわけだから、あながちネタにしてばかりもいられない。相変わらずいろいろともめてはいるようだが、全国一斉の停電や軍隊による政権掌握など、事前の様々な憶測を楽しみつつも、まずは平和裏に、一大イベントは収束しつつあるようだ。

 

閑話休題。選挙運動中には、かのサミュエル・ダングワ氏に、在比10年半にして初めてお会いした。ベンゲット州選出の下院議員で、バギオ市-ベンゲット州の住人なら誰もが知っているダングワ企業グループの総帥であり、ダングワ・ターミナルその他の実質的なオーナーのはず。今回は、ベンゲット州知事に立候補なさっていた。私たちのグループの教会の主要な行事に合流しての選挙運動ということで、忍耐の限りを尽くしてくださっていたのだろうが、こんな若造の聖書からの説教に、うとうとすることもなく(失敬)、通訳込みで40分も耳を傾けてくださったのだから、頭が下がった。

もちろん、公(おおやけ)の立場としては、教会の行事なのだからそこはご理解いただかないと困りますし、先生ほどの方がいらしたからといってこちらも一番メインの説教の時間を削ることはできませんよ、というわけだが、私(わたくし)の立場としては、時折、深くうなづきながら聞いてくださっている姿に、この方が多くの人々の信頼を集める方であるわけをかいま見た気がした。残念ながら、当選はかなわなかったようだが、お歳を考えると、そろそろ後進にお譲りになってもいい頃なのかもしれない。

 

「夏草やつわものどもが夢の跡」 - 原義の「兵(つわもの)」であれ、同音異義語の「強者(つわもの)」であれ、そういう輩も多いと言われる「強欲者」であれ、戦いは終わった。かの練習用の投票用紙も、各地で雨に打たれ、朽ち果てていることだろう。フィリピンも、日本も、新しい政治の日々が始まる。「取もの手につかず」は古の旅人だけで十分だ。真に国と社会を「漂白」してくださる人々が待たれる。

 

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レターヘッド。選挙管理委員会(COMELEC)による公式なものだ。
裏面を手前に折り込んでいる側に、実は有権者の名前が印刷されている。
まさにレアものの「マイ練習シート」なのに、そのありがたみを理解している
人は皆無だった。日本なら、3部コピーをとって永久保存する人もありそう。

 

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大統領候補から順番に候補者の名前が並んでいる。裏もびっしりだ。

 

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今となっては当確とされるアキノ候補の名前も見える。
"NOYNOY"のように、愛称が併記されているのはフィリピンならではだ。

 

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2010/06/03

PhD Program in Baguio (3)

さあ、与えられた時間は1日だけ、翌日にはビザの更新手続きのため、パスポートと外国人登録証を学校の学務係に提出しなければならない。ポルタ・バーガの1階の写真屋で証明写真を撮り、20分後に取りに行く間に銀行でお金をおろしておく。まずは郵便局の2階、交通通信省(DOTC)のオフィスだ。

ここで思わぬミスを犯してしまった。人物証明書(clearance)を発行してもらいに行ったのが、それをうっかり忘れてしまい、路上教習許可証(student permit)を発行していただきに来たのですが、と言ってしまったのだ。愛想の良い警備員のお兄さんに、あ、それならここじゃないよ、エンジニアーズ・ヒル(Engineers' Hill)の陸運局(LTO)だよ、と言われ、あ、わかりました、とエンジニアーズ・ヒルまで歩く。タクシーなら3分、40ペソほどだが、ビクトリーライナーの長距離ターミナルの界隈なので、十分に歩ける距離だ。

見当をつけていた建物は、残念ながら高等裁判所だった。雨がきつくなってきたので、タクシーを拾う。なんのことはない、ビクトリーライナーから同社経営のホテルの横を抜けて左折したところだった。在バギオ10年半にして初めての訪問だ。ここで、人物証明書と路上教習許可証の違いに気づく。ま、いっか、証明書なしでも許可証を発行してもらえるか、やってみよ、と気を取り直す。

既に多くの人々がそれぞれの順番を待っている。少しずつ、何がどうなっているのかを見きわめていく。これまた愛想の良い警備員のお兄さんが受付を兼ねていて、持ってきた書類を確認、記入する書類の指示をしてくれる。もらったリストを見てみると、人物証明書は必要なかったようだ。手間が省けて良かった。外国人は少し偉いめのスタッフによる書類審査が必要なようで、オフィスの中に案内されて少しのやり取りの後、OKが出る。滞在資格の再確認に加えて、語学力の簡単なチェックも兼ねているようだ。英語は問題ない、タガログ語はからっきし、ところが、イロカノ語なら少しはと言うと、オフィス全体の手が止まり、一斉に注目を浴びる。珍しい外国人なのだろう。一気に場が和むのはいつものことだ。皆さん、親切で愛想の良い人ばかりで安心する。

午後1時に戻って来るようにと言われたので、SMに戻ってフードコートで昼食を済ませ、1時過ぎにオフィスの入り口で待っていると、外の待合スペースでということだったようだ。見ると、教習許可証、免許の新規申請、更新など、それぞれのケースに応じて、イラストつきの丁寧な説明が掲示してある。なかなかやるじゃん、と一人、嬉しくなる。

写真も必要なかった。一連の手続きの中で撮ってくれるのだ。デジタル処理が進んでいるので、写真を提出されてもかえって困るのだという。小1時間ほど待って、無事に教習許可証をもらうことができた。320ペソ弱(約700円)、これでこの瞬間から、"Professional"というカテゴリーの免許を持つ人が同乗してくれれば、路上を走らせることができるという、なんとも恐ろしい国だ。

その足でSMに戻り、A1で履修手続きも済ませておく。若い女性スタッフはラ・ウニオン州のイロカノ族ということで、ここでもイロカノ語で一気になごむ。結局、A1でも、戸籍抄本の写しはおろか、パスポートも外国人登録証も、コピーすら不要になっていた。まさに、必要なのは教習許可証の提示だけだ。LTOでも、必要なのはDOTCでもらったリストのままで、戸籍抄本の写しは求められなかった。コンピューター管理が進み、外国人登録証もIT化されたことで、各所での手続きが恐ろしく簡素になっているようだ。あ、朝にわざわざ時間を割いて撮った写真は、ここで役に立った。2インチ四方のほうではなく、0.5インチ四方の小さいのが2枚必要だったので、結果的に助かった。

結局、他の学校ではなくA1にしたのは、ここまで見てきたようになりゆきだ。ただ、路上で見る限り、多くの学校が、見るも哀れなポンコツ教習車なのに対して、A1はそこそこのものを使っているのを見ていたし、女の子がイロカノなのは、タガログの店員とは文化的に波長が合わないことの多い私にとっては大いに心強い。教習は既に予約が詰まっており、2週間ほど待たなければならないが、30時間の教習がどんなものになるか、楽しみなことだ。

 

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まずは、丸一日を費やした甲斐ありの書類たち。左が路上教習許可証、
右上がA1の学生証、右下が領収書と、手書きの注意事項のコピー。

 

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プライバシーに気をつけつつ(笑)、拡大してみる。

 

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PhD Program in Baguio (2)

そういうわけで、緒論をとうとうと述べてしまうのは、アカデミアに中途半端に身を置く者の悪いクセだ。"PhD in Baguio"と小じゃれてみても、それほどまでバギオを知る者となりたいと願ってみても、実際に知っているのは、ジプニーで行ける、それも、限られた場所の限られた一部のみだ。そういうわけで、まずは自動車学校で情報収集を始めるしかない。

実は、数年前にも一度、免許の取得を試みたことがあった。SMにあったA1 Drivingという学校だ。おそらく、仕事が忙しくなって続かなくなってしまったと思うのだが、半日の講義をタガログ語で受け、実習のために路上教習許可証(student permit)を取得してきてください、というところで止まってしまったのだ。

まずは、おそるおそるSMの最上階にあったオフィスを訪ねてみる。と、移転されている。セッション・ロードのどこか途中にあるという。行ってみると、雑居ビルの暗い2階だ。看板は出ているがオフィスが無い。これでA1とは縁が切れたと思った。

最後までA1にこだわったのには理由がある。最初の入学の際、日本から戸籍抄本(フィリピンのbirth certificateに相当)の写しを取り寄せるなど、とにかく手続きが煩雑だったからだ。それで、仕事の多忙さもあり、許可証を入手しに行くのに二の足を踏んでしまったということがある。今回、A1なら、あわよくば、数年前に提出した書類の数々が保管されているかもしれないと考えたわけだ。

数年前にA1に行き始めた際、フィリピン人の友人が、ええ~っと驚いた。なんでもA1は、一番高い部類の学校に入るのだそうだ。もっと安いところ、知ってるのに……ということだった。そういうこともあって、今回、A1と縁が切れたのはこれ幸い、安いところに行ければいいと思っていた。

偶然は数日前に訪れた。友人に車に乗せてもらい、SMに行った際、地下1階の駐車場からの入り口の横にA1のオフィスを見つけたのだ。さっそく訪ねてみると、数年前の私の記録は残っていなかった。珍しく愛想の良い女性スタッフに聞くと、郵便局2階の交通通信省(Department of Transportation and Communications:DOTC)で人物証明書?(clearance)を発行してもらい、それを持って陸運局(Land Transportation Office)に行き、路上教習許可証を発行してもらってきてくだされば、履修手続き(enrollment)ができます、と言う。

善は急げ、その足でDOTCに行ってみると、さすがバギオと言っていいのか、役所なのに親切に応対してもらえる。なんと、必要な書類の一覧のコピーまで用意されているという、フィリピンでは超優良なレベルに相当する手際よさだ。必要なものは、パスポートの写し(メイン、一番最近の到着スタンプ、有効なビザの各ページ)、外国人登録証(I-card)の両側の写し、さらに、有効なIDの両側の写しを、各2通ということだった。

ちょうど、学校の学務係にはビザの更新の申請書を提出したばかりだった。この機会を逃すと、1か月半ほどパスポートとI-cardはマニラに行ってしまう。さっそく1日だけ猶予をもらい、翌日、許可証の取得とA1への入学手続きを済ませることにした。

 

Img_1198
DOTCで渡されたスリップ。愛想は無いものだが、ここまでしてくれれば、
そして、笑顔で迅速に応対してくれれば、フィリピンでのサービスとしては
超一流だ。バギオの住人であることが嬉しくなったひとときだった。

 

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PhD Program in Baguio (1)

子供の頃から今に至るまで、我が家には車というものが無い。市バスが1時間に5-6本は走る、公共交通機関に恵まれた環境に育ったことが大きい。大阪府北部というのは便利な地域だ。「三都物語」に象徴されるがごとく、主要な都市には、ジプニーに乗るような手軽さで行けてしまう。運賃が格安に設定されているからだ。もっとも、地元の街でも、たいていの用は済ましてしまえる。

大学は広島市に行った。毎日が遅刻との戦い - 市内に下宿し、原爆ドームから平和公園を自転車で駆け抜ける日々だった。キャンパスは2年の秋に東広島市に移転。多くの友人が陸の孤島に移り住むか、車で通学するのをよそに、卒業まで電車とバスで通った。

フィリピンに来て10年半、車は持たずに来た。経済的に余裕が無かったわけだが、狭いバギオ、細かいジプニーの路線さえ覚えてしまえば、こちらも、- それこそ初乗り約15円(150円ではなく)から - たいていは事足りる。家のある大学院のキャンパスが町外れにあり、本数が少ないのが玉にきずだが、工夫をすれば生きてはこられた。結果、タクシーの捕まらない夜の外食など、これまで数回しかしたことがない。単調だが、それはそれで慎ましい暮らしだ。

しかし、仕事の幅が広がるにつれ、自由に動けないことがストレスになってきた。そもそも、友人が訪ねてきてくれても、ちょっと送っていくことすらできず、道端で一緒に何十分もジプニーを待つというのは、話としては情緒もあるが、現実、どうにも情けない。娘の就学も大きな転機となった。こちらも町外れにあるアメリカンスクールは、親に車があることが暗黙の前提となっている。幸い、感謝なことに、不思議な形で助けが得られてきてはいるが、事あるごとに不便なのには変わらない。

それというのも、車の免許が無いからだ。車は学校のものが自由に借りられるからだ。

仕事で、北海道から沖縄まで、全国をまわった際に痛感したのが、免許が無いというのは、半ば「非常識」の部類に入るということだった。「免許はお持ちですよね、車ならお貸ししますよ……」と聞かれた際の、「あ、いえ、実は無いんです……」と打ち明ける際の相手の反応を通して、社会で少数派と呼ばれる人々が「カミングアウト」する際の、どれだけ勇気がいるものか、どれだけ肩身の狭いものか、その一端を学べた気がする。大阪府北部が問題なのではない。市バスの停留所のすぐ前にあった我が家が特殊な環境だったのだ。電車の駅から徒歩10分に生まれ育った妻も、事情は同じだ。

そういうわけで、在「この世」42年目にして、在比11年目にして、このフィリピンの、このバギオで、免許を取ることにした。今日にでも車を買える予算がついたということも大きな後押しとなった。仕事では、願わくばPhD(Doctor of Philosophy)が必要なのだが(こちらでの検索で来てくださった方には、ごめんなさい……)、当面の課題は"Driving in the Philippines"だ。どうなることやら……。

 

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