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2009/12/24

北ルソンからメリークリスマス!

クリスマスイブにあたり、北ルソンからお祝いを申し上げます。

イエス・キリストが教え、自ら身をもって示した愛と自己犠牲、奉仕と命のメッセージが、統計上はキリスト教徒が全人口の97%を占めると言われるこのフィリピンにとってますます真実なものとなっていきますよう、この国に生きるキリスト教徒として、自らを戒めつつ、今後も微力を尽くしてまいります。

在比を問わず、日本の皆様にも、聖書の語る神の豊かな守りと祝福がありますように。

Naimbag a Paskua kadatayo amin!

 

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ヌエバ・ビスカヤ州カスィブ郡の山村の教会の自作クリスマスツリー。

 

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羊ではなく鶏なのがフィリピン風だが、それなりの降誕ページェント的な
飾りつけに仕上がっている。

 

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笹を使っているのだろうか、まるで七夕の飾りのようだ。

 

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こちらは我が家のささやかなツリー。教師の大半はアメリカ人、
生徒の大半は韓国人という、これまたフィリピン風なインターナショナル・
スクールの生徒である娘は、その影響で、クリスマスの朝までプレゼントは
開けないのだという。プレゼントが靴下に入らなくてもいいというのは、
何かと出費のかさむこの季節、親にとってあまりありがたいものではない。

 

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コメント

 Maligayan Pasko!!

 初めまして、Nga-ngaと申します。在比10年、現在、Notorious SinCity”ANGERES”在住です。
 りけるけさんはPASTOR?、PREACHER?
(FATHERではないですよね。)
 在比10年になりますが、この国の社会、政治、人質の実情を知るにつれて今だ好きになりません。
 ”腐敗しきった政官、自助努力しない国、民。”
80%(97%ですか?)の民がクリスチャン、アジア唯一のキリスト教国家を自画自賛しているようですが、
『貴方のやってる事は、神の教えに適ってるのですか?』
と疑いたくなる行動が大統領からトライシクルドライバーまで。
 この質問に対する庶民の返事例、(ジャパユキ風)
『アコ、マタワルイコトシタダヨ。アシタザンゲスル、カミサマユルシテクレルダヨ。アコショウジキダウ。』
毎週こんな調子、年に何十回、懺悔するのか??
また、こんな話も
『金持ちになるには、政治家か神父になる事。どちらもお金がかかるが。』政治、宗教はここではビジネスなのか??
 手元に1989年発行の
  『アキノ政権とフィリピン社会』
   ルベン、アビト著、千野境子訳(亜紀書房)
があります。私が、ここに住み始める10年前に刊行された本です。未来を託したBCCの話が出てきます。
あれから20年経ちました。さて今、その成果は????

 『神は、自らを助ける者を援く。』でしったけ?

 りけるけさんの御健闘をお祈りしてます。

Isa pa、 maligayan pasko!!


 


投稿: nga-nga | 2009/12/25 07:39

nga-nga さん

 コメント、ありがとうございました。アンヘレス、親しいtacchyさんにゆかりのある町でもあり、私も好きな町です。

| りけるけさんはPASTOR?
| PREACHER?

 私は、宣教師という立場ですが、プロテスタントなので、一般にはパスター(パストール)と呼ばれます。

| 在比10年になりますが、この国の社会、政
| 治、人質の実情を知るにつれて今だ好きになり
| ません。

 私もこの1月で10年になりますが、この国が好きかどうかと言われれば、答えは「う~ん、国で言えばノーかなあ」です。世界各国20か国以上からの人々が集まるインターナショナルな学校の敷地内に住んでいますので、日夜、厳しいフィリピン社会にさらされて住んでいるわけではなく、国家も社会もよくわかってはいませんが、フィリピンがキリスト教国だというのはほぼ神話と言っていいでしょう。

 幼児洗礼が文化の一部であり、社会的に住民登録を兼ねているような状況で87%のカトリック人口を誇っても、そこには何の宗教的意味もありません。10%のプロテスタント人口の半数以上は、自らの判断と決断でそれを選び取る人々ですから、まだ宗教的な実質を伴うものだと言えるかもしれません。

| 『貴方のやってる事は、神の教えに適ってるの
| ですか?』と疑いたくなる行動が大統領からト
| ライシクルドライバーまで。

 まさにおっしゃるとおりです。キリスト教徒だからといって即座に完璧になれるわけではありませんが、真摯に生きようとするキリスト教徒には、どんな失敗の中にも謙遜さと誠実さが存在するはずです。平気で他人を貶め、少しでも自らの利益のために利用しようとする者に対しては、神は悲しみをもって、その行いに相応の裁きを下すことでしょう。

 フィリピンのカトリック教会は、最近でこそ変わってきているようですが、まだまだ、入学許可(幼児洗礼)だけ与えて、希望者のみ大講義室でマスプロ一般教養(ミサ)をしている私立大学のようなものです。サボる者ばかりで大講義室はがらがらで、少人数でのゼミ教育(個人的な聖書の学び)も限りなく弱い大学です。

 そもそもが、聖書の教えうんぬんよりも、ミサに来て聖体拝領を受けることで救われるわけですから、聖書に語られているキリスト教徒の目指すべき姿、歩むべき人生について学び、実践していくことは、修道士・修道女でもない限り、二の次とされるわけです。

 逆にプロテスタント諸教派では、キリスト教徒として生きることの本質は、聖書に語られている神の教えに従って生きることであるとします。もちろん、人間にはその力は無い、だからイエス・キリストを信じる信仰によって、人間としての無力さ、罪深さ、弱さ、束縛、絶望などから救われ、同時に、神の守りと導きの中、成長していくことができるのだとするわけです。

 イエス・キリストを信じる信仰については、カトリック教会もプロテスタント諸教派も共通と言えるでしょうが、カトリック教会の場合、聖母マリアや聖人などが絡まり、おまけにサントニーニョ(子供のイエスの像)のようなご利益信仰的要素が入ってきていて、それが見えなくなってしまっていること、ミサさえ受けていれば人生は変わらなくてもいいという思想が支配的であるように見えることが、残念なところです。

 プロテスタント諸教派の場合は、キリスト教信仰は必然的に成長を伴うものだという理解が、カトリック教会に比べれば強いですので、教会でも口を酸っぱくして神の憐れみによる成長を強調しますし、フィリピンの場合は特に、牧師が各家庭を訪問しての個人的な聖書の学びの時を積極的に持つわけです。

| 毎週こんな調子、年に何十回、懺悔するの
| か??

 懺悔は良いことです。プロテスタント諸教派でも「悔い改め」をします。しかし、それが自らを正当化して同じ生き方を続ける言い訳になってはいけません。悔い改めたら、二度としない努力をすることが求められます。それでもまた失敗してしまうかもしれません。それでもまた悔い改めて「がんばる」わけです。

 この日本流に言って「がんばる」かどうか、nga-ngaさんのお言葉では「自助努力」を続けるかどうかが、のんびりとしたカトリックの人々と、悪く言えばがつがつしたプロテスタントの人々の違いと言えるかもしれません。

 「神は自ら助くる者を助く」というのは聖書の言葉ではありません。しかし、「神は助けを求める者を助く」というのは確かです。私も、プロテスタントらしく、神に切に助けを求めつつ、がんばっていくことにします。

| りけるけさんの御健闘をお祈りしてます。

 ありがとうございます。nga-ngaさんも、お体にお気をつけてお過ごしください。今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: りけるけ | 2009/12/25 08:45

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