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2009/12/21

せめてマクドくらいは……

フィリピンの公立学校教育のシステムで英語教育の時間が削減され、ピリピノ語(タガログ語)教育が強調されるようになって久しい。私が初めてフィリピンに来たのが1999年3月で、その年の5月に政策の転換が新聞で報道されていたからよく記憶に残っている。

あれから10年半が経った。1999年6月に6歳で小学校に入学した子どもなら16歳、立派にハイスクールとやらを卒業している歳だ。ちょうどファストフードでバイトをしている若者たちが、ピリピノ語重点教育の申し子の世代と言える。

 

今日、SMバギオのマクドに行った。チャウキンが最近始めたおかず2点もので80ペソほどするセットメニューが、このフィリピンといえどもこれほどのものは見たことがないと言えるほどの誇大広告商品だったので、今日はバンコク、もとい万国共通、ほぼ当たり外れの無いマクドに行くことにしたのだ。これが、あいにく大外れとなった。

私がクォーターパウンダーのアップサイズ、妻がダブルチーズのレギュラーサイズということで、いつものように、できる限りゆっくり、はっきりとした英語で、しかも指つきで注文する。ところが、出てきたのはクォーターパウンダーのアップサイズが2つ……。どうも、"One, Number 2"とか"One, Number 4"とか、セットの番号で注文したのが理解されなかったようだ。ちゃんと、人差し指を立てて"one!"を強調したし、いつもこれでうまく行くのだが……。

妻のレギュラーサイズのほうが、ドリンクが既にラージになっていたので、捨てるのはもったいないと良しとしたのだが、依然としてフライドポテトをラージにしようとするのでそれはレギュラーのままにしてくれと頼む。とにかく、一言一言、通じない。マネージャーが来てレジの修正をするのだが、このマネージャーも、日本流の「ご迷惑をおかけしてすみません」などは期待するだけ無駄にせよ、要領を得ないバイトに代わってこちらの説明に耳を傾けようとすることもない。

妻のフライドポテトをレギュラーのままにしてもらったのは、以前は"Go Bigtime!"だかがポテトとドリンクのサイズ変更を別々に指定できたからだが、テーブルについて食べ始めながらレシートを見ると、― ドリンクをレギュラーに戻してもらわなかったからなのだろう ― 妻のダブルチーズもアップサイズとしてしっかり25ペソ全額がつけられていた。

こちらの日本人流の配慮が裏目に出た形となったわけだ。ようやく、ポテトをなんとかラージにしようともぞもぞしていたわけがわかった。それならそうときちんと説明してくれれば、ドリンクをレギュラーに戻してもらうなり、ポテトもラージにしてもらうなりできたのに、マネージャーとバイトと2人揃って、それも説明できないほどの貧弱な英語力なのだろう。別に、フライドポテト分の12.5ペソを割り引け、など、ケチなことを言うつもりはない。ただ、たかがファストフードでこれほど意思の疎通ができなくては、不便で不愉快なこと、この上ない。

 

続けて買い物をしたSMデパートでも、タガログ語で何か言ってくるので"Excuse me, English, please . . ."と言うと5秒ほど固まられてしまう。あるいは、親切にも英語で「担当の者をお呼びしますのでしばらくお待ちください」と言ってくれようとするのだが、「アー、アー、ウー、ウー」となって言葉が出てこない。外国人観光客も多く訪れているはずのSMの店員でさえ、本当に基本的な接客表現すら英語で言えない者が多いのだ。別の店では、しようがないので一言、タガログ語を口にしてみると、緊張していた店員たちが急になれなれしくため口になる。負けじとイロカノ語であれこれ話してみると、イロカノ語はわからないとドン引きされる。

 

マニラにも住んだことのある者の実感からすると、バギオではマニラなどよりもはるかに英語が通じるはずだったのだが、嗚呼、その現実も急速に崩壊しているかのようだ。フィリピンに英語留学を考えている方も依然として多いようだが、英語学校内はさておくとしても、フィリピンに住んで生活の中で英語に慣れようなどというのは、もはやあまり考えないほうがいいかもしれない。慣れるのは「サンキュー」「ユーアーウェルカム」くらいのものだ。しかも、「サンキュー」と言うのはこちら、「ユーアーウェルカム」と言うのは店員のほうだ。こんな英語、ここでしか通用しない。

 

因果なことに、私も1月からは、そんなバギオで英語講座を担当することになるのだが、イロカノ語すら通じなくなってきているバギオだ。せめてマクドくらいは注文できるように、タガログ語にも精を出すことにしよう。もとい、せめてマクドくらいは英語で注文させてもらいたいものなのだが……(タガログ語の音調ってどこまでも好きになれないんだよなあ……)。時代の変わり目に生きるというのは、かくも不自由なものだ。

しかし、世界の多くの国々が「英語帝国主義」なるものと闘っている現状を鑑みれば、公用語のピリピノ語が着実に勢力を増しつつあるこのフィリピンの実情こそ、フィリピン人にとっては健全な情景なのかもしれない。文化的には何の影響力も行使できない、傍観者なる外国人は、このような場で愚痴りながらも、おとなしく流れに従うしかないのだろう(否、先週、訪問した南イロコス州の生粋のイロカノの男たちも、最近はどいつもこいつもタガログ語を話しやがっていけねえ……、等々、さんざ愚痴ってたっけ……)。

 

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コメント

 言葉は文化だと思うので、タガログ語が勢力を増すこと、その他の地方言語が勢力を増すことは、私は悪いことだとは思いません。が、そのためには、「英語ができないと海外出稼ぎに行けない→海外出稼ぎに行かないとまともな普通レベルの生活さえも営めない」というような状況を、国が何とかしないと行けないと思います。
 国内の産業を育てて、自国内で雇用がある程度賄えるようにならないと駄目ですね。
 観光産業では英語が話せることはメリットにはなりますが、短期旅行者にとってみれば、片言の英語と現地語でコミュニケーションすることも旅行の醍醐味になると思います。
 長期滞在の退職者受け入れを考えれば、やっぱり英語が必要ですが。。。。結局は外国人の外貨目的ですね。がっかり・・・。

投稿: みささび | 2009/12/22 08:59

みささび さん

 コメント、ありがとうございました。

| 言葉は文化だと思うので、タガログ語が勢力を
| 増すこと、その他の地方言語が勢力を増すこと
| は、私は悪いことだとは思いません。

 私も、個人的にタガログ語と相性が悪い、というか、過去のマニラでのトラウマをいまだに引きずっているというのはさておき、フィリピン人という国民がタガログ語を選択していくのであれば、それに口出しはできないというのはわかっています。

| が、そのためには、……国が何とかしないと行
| けないと思います。

 そうですね。家族に出稼ぎがいるかいないかで、基本的に「勝ち組」と「負け組」がくっきりと分かれますからね。国内での就職にしても、悲しいかな、ヘルパーさんからして、フィリピン人相手と外国人相手では大きく待遇が変わりますしねえ。

| 国内の産業を育てて、自国内で雇用がある程度
| 賄えるようにならないと駄目ですね。

 厳しいですね。私の交際範囲の人々は、農家が多いので、貧しくても自給できているのが象徴的です。夢や仕事を求めて都市部に出てしまうと、途端に暮らしが難しくなりますね。

| 観光産業では英語が話せることはメリットには
| なりますが、短期旅行者にとってみれば、片言
| の英語と現地語でコミュニケーションすること
| も旅行の醍醐味になると思います。

 つまるところ、国家として英語を公用語に認定しているという事実と、それがゆえに国民の大多数が英語で口頭のコミュニケーションができるという幻想(あるいはひいき目に言って過去の事実)が乖離してきているのではないかと思います。

 もはや大多数とは言えなくとも国民の多数は依然として英語で新聞を読み、ニュースを聞き、映画を楽しんでいるわけですが、話す能力が格段に落ちてきている。外国人の側は、短期旅行者も長期滞在者も、フィリピン人の英語力という幻想を信じ続けたまま、フィリピン人の「昔取った杵柄」に過度に甘えている。

 みささびさんのおっしゃるように、私たちがフィリピンを変えることなどできないわけですし、私たちが思いを改めて、タイに行く(滞在する)ような覚悟でフィリピンに来る(滞在する)ようにすればいいことのように思います。

| 長期滞在の退職者受け入れを考えれば、やっぱ
| り英語が必要ですが。。。。結局は外国人の外
| 貨目的ですね。がっかり・・・。

 「長期滞在の退職者受け入れ」とか言っても、社会的インフラを整備するわけでもなし、整備できるわけでもなし、これこそフィリピン政府による、自らの「昔取った杵柄」に甘えているだけの非現実的な政策なのかもしれませんね。

 ただ、退職者の長期滞在が成功している例は、フィリピン人の奥さんがいるか、最低でも英語(できれば日本語)が話せる、現地コーディネーター代わりのフィリピン人がいるか、本人が過去の異文化体験が豊富で異文化適応力が高く、タガログ語ですら積極に学んでしまえる方であるか、などでしょうから、それはそれでフィリピン政府のもくろみは当たっていると言えるのかもしれません。

投稿: りけるけ | 2009/12/23 19:05

メリークリスマスです。

私は、10年くらい前まで、クリスマスは、イエス・キリストが磔になった日だと思ってました。
それはさておき。

普段、英語について私の考えてることを一寸だけ、

フィリピンで本屋さんは、日本と比較してホントに少ない。その数少ない本屋さんの中に、タガログ語の本は、ほんの少ししか置いてない。
日本では、英文が読めなくても日本語で沢山の本が読めるけど、フィリピンでは、英文が読めなければ、読む本が殆ど無い。
私は知らないけど、シェークスピアのタガログ語訳はあるかも知れない。しかし、世界一流の学者の経済学や物理学のタガログ語訳の本があるとは思えない。
情報と知識を獲得するという点で、英語は大切ではないかと思います。知識、情報の獲得は、国の発展にも繋がる筈です。
英語マンセー!と言うわけではないのですが、残念ながら、英語情報は、質・量ともに優れている。
英語を外国人と会話するのに便利だというレベルで考えてはいけないと思う。
これは、フィリピン人に限ったことではなく、日本人にも言えること。
優れた英語による情報の殆どは日本語に翻訳されてないと思う。

聴衆がいたら、英語について演説をぶってみたい気分です。


リケルケさんは、そんなことは十分承知だと思います。しかし、そんな声は小さいように思いますね。

投稿: タマ | 2009/12/24 21:05

タマ さん

 コメント、ありがとうございました。

| 私は、10年くらい前まで、クリスマスは、イ
| エス・キリストが磔になった日だと思ってまし
| た。

 それは受難週(フィリピンではホーリーウィーク)ですね。私も子供の頃は、例に漏れず、サンタクロースの誕生日だと思っていました。

 フィリピンの新聞を見ていても、司祭や牧師の聖書の言葉の欄は別として、クリスマス関連の社説などでは、イエス・キリストの名前は出さなくなりましたね。「政治的正しさ」(political correctness)というわけです。

| フィリピンで本屋さんは、日本と比較してホン
| トに少ない。その数少ない本屋さんの中に、タ
| ガログ語の本は、ほんの少ししか置いてない。

 私は、本質的に言語教師ですし、上の記事でも読む能力と話す能力は別物として書いているつもりです。で、フィリピン人が英語を話す能力は目に見えて落ちているが、英語を読む能力はそこそこ維持されていると思っているのですが、それも実情は微妙なものがあるようです。というのも、外国人と接触する機会が多く、必然的に英語に触れる機会の多いはずのキリスト教徒たちが読むキリスト教関連図書においても、タガログ語による翻訳は増えてきているからです。

 ただ、翻訳対象となるのは、まだまだ、出版した際に安価で売れるものに限られています。ここにはすなわち、英語よりもタガログ語(ないし他の主要フィリピン言語)のほうがありがたいが、翻訳書であれ原書であれ、図書にお金は出せないという読者事情が見て取れます。

| 日本では、英文が読めなくても日本語で沢山の
| 本が読めるけど、フィリピンでは、英文が読め
| なければ、読む本が殆ど無い。

 そういうわけで、フィリピンの出版事情・書店事情も、英語の本は売れなくなってきているがタガログ語に翻訳しても採算は取れないという、身動き取れない状況に陥ってきているようです。National Bookstoreが、少しの例外を除いて、書店というよりも文房具屋の様相を呈しているのも、このような事情と無関係ではないのではないでしょうか。

| 情報と知識を獲得するという点で、英語は大切
| ではないかと思います。知識、情報の獲得は、
| 国の発展にも繋がる筈です。

 私が3か月だけ身を寄せていたラサールの応用言語学博士課程の現役英語教師たちがあまり英語を話せなかったというのは、こちらでも何度か触れているかもしれませんが、それでも、彼らは読む分にはまだまださほど問題は無かったはずです。

 また、フィリピンの英字新聞を読んでいると、本場?アメリカの新聞顔負けの「格調高い」、ないし「古臭い」、難解な英語表現のオンパレードです。これをまともに読んでいるとすれば、フィリピン人、とりわけ知識層の英語を読む力は、アメリカ人の大衆のレベルをはるかに超えていると言えます。

| 英語マンセー!と言うわけではないのですが、
| 残念ながら、英語情報は、質・量ともに優れて
| いる。

 私も、この1月から再び英語教師の働きに就きますが、それは、かつてラテン語やドイツ語、フランス語が幅を利かせていたキリスト教神学の世界も、もはや出版された文献・インターネット上の情報を含め、約90%が英語で書かれているという現実を反映しています。最低でも英語がわからなければ、話にならないという時代に私たちは入ってしまっているわけですね。

 翻訳文化の発展している日本は、例外的に恵まれた言語環境と言えるでしょうが、しかしそれでも全てが翻訳し得るわけではありません。このまま不景気が続けば、公共図書館や大学図書館の予算が削られ、翻訳点数も減ってくるかもしれませんね。

| 英語を外国人と会話するのに便利だというレベ
| ルで考えてはいけないと思う。

 おっしゃるとおりです。今は、少し英語を強調する議論が出てくれば「英語帝国主義だ!」などという反論が出てくる日本ですが、遠からぬ将来、そんな悠長なことを言っていられない状況が生まれてくるかもしれませんね。

投稿: りけるけ | 2009/12/25 07:52

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