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2009/11/10

大戦の激戦地ブッサン峠とセルバンテス

台風17号被災地の支援活動は継続している。今日も、私たちの学校から、12月上旬に、ベンゲット州イトゴン郡の一大被災地ルアカン町(バギオ空港のあるバギオ市ルアカン町とは別の地域)で無料医療プログラムを提供するため、窓口となる現地教会の牧師夫婦と打ち合わせをした。

被災した家族数にして実に58家族という。被災家屋30数軒にして80名以上の犠牲者を出したプギス町と異なるのは、イトゴン郡ルアカン町の場合、台風16号か、それ以前のものか、17号以前の台風で既に大規模な地滑りの危険性が指摘されたため、ほとんどの家庭が、地域の避難所なり、近隣の親戚宅なりに避難していたからだという。

つまり、プギス以上に規模の大きな地滑りが起こった時点で村人たちは既にそこにおらず、建物だけが被害に遭う形になったということだ。今頃になって、環境自然資源庁(Department of Environment and Natural Resources)からの退去勧告が2005年の時点で出ていたことがしたり顔で指摘されているプギス町リトル・キブガン村とは、不幸中の幸いと言っていいものか、対照的な結果となったわけだ。

イトゴン郡ルアカン町については、来週火曜日に下見に行くことになったので、あらためてご紹介するとして、今日は、先日の400kmの旅で通ったセルバンテス(イロコスール州セルバンテス郡)と、その西側の山々にあるブッサン峠の様子をご紹介したい。

 

ブッサン峠(Bessang Pass)は、先の大戦の最後の激戦地の一つとされる。セルバンテスからスヨ(イロコスール州スヨ郡)、タグディン(イロコスール州タグディン郡)に抜ける国道4号線(通称:ブッサン・ロード)は、セルバンテス-スヨ間で厳しい山々を越える。この峠がブッサン峠だ。

私がキリスト教の宣教師として支援している教会の一つが、このブッサン峠の属する山系の、セルバンテス側の深い山村にある。セルバンテスの中心街の人々も眉をひそめるほど、厳しい上りの続く山村だ。車では行けない。

以前は舗装されていなかったブッサン・ロードは、それはそれはひどい道だった。ミニバスと呼ばれる、およそ「家畜運搬車」としか呼べない代物に非人道的に詰め込まれ、切り立った崖を夜の深い暗闇に感じながらガタンガタンと登り、体中を周囲にゴツンゴツンと叩きつけられながら下る道行きだった。リュックサックを体の前で抱いたまま、眠るに眠れない道をただ耐えたものだ。

まだ、ハルセマ・ハイウェイすら舗装されていない頃のことだ。土曜日の朝4時にバギオの家を出る。足が無いのでふもとの幹線道路まで小一時間、歩いて下る。なんとか5時半のバスに乗ると午後1時にセルバンテスに着く。村まで登ると既に夕方6時だ。大きなウシガエルの丸ゆではいかめしい顔つきに威嚇されながら、同じく清流のウナギなど、いつも土地の名産(?)でもてなしてくれる。

そして、翌日、日曜日の朝に村の小さな教会で礼拝を導き、昼食後、また5時間ほどかけてセルバンテスに下りてくる。夕方6時のミニバスに乗れば、サンフェルナンド(サンフェルナンド市(ラ・ウニオン郡))には夜中の1時に着くという案配だ。運良くバギオ行きの最終バスに乗れればしめたもの、道端のベンチにゴキブリやヤモリを避けて寝そべり、朝4時まで時間をつぶせば、バギオ行きの始発のミニバスに乗れるという強行軍だった。週日は学生をしながら教師もし、という日々だったが、40代になった今は昔、もはや望めぬ無鉄砲さだ。

 

そういうわけで、いつもは街灯もない暗闇をゴトゴトと走り抜けるだけだったブッサン峠を、今回、- 実に2回目のことだ - 明るい時間帯に通ることになった。しかも、時は流れ、道は完全に舗装されている。ちょっとした六甲山ハイウェイのようだ。しかも、友人の運転する車。かねてからゆっくり見てみたいと思っていた大戦の記念碑(国立公園になっている)で、少し止まってもらった。

碑文を読むのも初めてだ。1945年6月14日に終結した決戦では3,500名の人々が犠牲になったとある。ネットで調べてみる限り、アメリカ兵の犠牲者は600名というので日本兵も含めた数とも読めるのだが、「自由と平和を求めて戦った」という文言に日本兵が含まれるのだろうか。フィリピンのこんな山奥の碑文にそれほどの高尚な思想が謳われているのかはわからない。

いずれにせよ、この戦いで負けたことで山下奉文(ともゆき)大将の降伏が早まったとされているが(大将本人はイフガオ州キヤガン郡で拘束された)、何のことはない、大将がバギオで正式に降伏したのは9月3日、既に大日本帝国としては無条件降伏をした8月15日以降のことだ。

ブッサン峠は、マニラから訪ねるにはあまりに遠く、また、他にこれといって見るものも無い、寂しい場所だ。こちらのブログの写真で満足できるなら、あえてお勧めする場所ではない。ただ、ブッサン山系の切り立った山肌に兵士たちの苦難と今日の平和を思うのも素晴らしいことだと思う。四方を山々に囲まれ、広い河岸段丘が美しいセルバンテス町の風を味わうのも一興。そんなセルバンテスは、私の愛するフィリピンの一つだ。

 

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記念公園の様子。地元の住民によるのだろう、
手入れはきれいにされている。

 

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碑文。

 

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セルバンテス郡とスヨ郡の郡境。傾いているのはご愛敬か。

 

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切り立つブッサン山系の尾根。

 

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戦争中はもっと木が生えていたのかどうか。
今も元日本兵が息を潜めているような気になる。

 

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盆地の町セルバンテス町を囲む山々。
北方面、イロコスール州キリノ郡を望む。

 

P2140015
これを撮った2月の午後には雲の間に虹が出ていた。

 

P2140018
こちらが西方面、ブッサン山系。

 

P2140019
こちらは東方面、マウンテン・プロビンス州タッジャン郡を望む。
東南に登っていくとベンゲット州マンカヤン郡、
ブギアス郡(アバタン町) へと続く。

 

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コメント

 11月投稿された記事に今頃コメント、お許し下さい。
ブッサン峠、USAFEと日本軍(19師団)が戦った所ですね。当時、タクボ峠と呼ばれてました。このUSAFEは、マ将軍にとって計算外の戦力だったようで、このため山下大将は、1ヶ師団を複郭陣地から抽出しなければならなかった様です。その為、日本軍の降伏が早まったとは考えられませんが、比国にとっては大変意味のある勝利だった(比ゲリラが、日本軍と戦って初めて本格的に勝利した。)ようで、記念切手まで発行されてます。1度は、訪れてみたい戦跡でしたが、掲載されている写真で窺い知る事ができました。有難うございました。
 処で、お尋ねしたいのですがバギオからトリニダットを過ぎ、21Km地点から右折、アンブクラオ、カバヤを経てサリナス(ヌエバビスカヤ州)に至る道(所謂、山下新道)は、通行可能でしょうか??情報をいただければ幸いです。

投稿: nga-nga | 2009/12/31 20:45

nga-nga さん

私のほうこそ、お返事が大幅に遅れてしまい、失礼を重ねています。本当にすみません。

ブッサン峠についての情報、私はフィリピン戦には無知ですので、とてもためになりました。

| 1度は、訪れてみたい戦跡でしたが、掲載さ
| れている写真で窺い知る事ができました。

行かれれば行かれたで、道も西海岸からならばとても良くなっていますし、それなりの感慨もおありでしょうが、ひっそり、あっさりした場所で、あえて時間をかけて足を運ばれることもない場所ではあるかもしれません。

| 処で、お尋ねしたいのですがバギオからトリ
| ニダットを過ぎ、21Km地点から右折、ア
| ンブクラオ、カバヤを経てサリナス(ヌエバ
| ビスカヤ州)に至る道(所謂、山下新道)は、
| 通行可能でしょうか??

この件ですが、これを誰かに聞こう、聞こうとしているうちにお返事が紛れてしまいました(言い訳です)。複数の人々に尋ねてみたところ、ハルセマ・ハイウェイからアンブックラオに降りる道は、危険なまでに恐ろしく急勾配の下りで、道も悪く、オートバイならまだしも、車ではかなり難しいということでした。

カバヤンからサリナスへの道は、歩くのは可能かもしれないが、去年の台風による各地での被害もあり、ちょっと今はわかりかねるということでした。

投稿: りけるけ | 2010/06/02 20:08

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