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2009/11/07

被災した大学生と、プギスの夕闇と

一昨日の記事に書いたように、昨日は午後からラ・トリニダードに行き、台風17号で両親と弟を亡くした大学生Mくんと会ってきた。「調子はどう?」と聞くのも愚かしい気がして「よく眠れてる?」と聞くと、ストレートにも「まだ全然眠れないんです……」という答え。Mくんの牧師によれば、この間も教会を訪ねてきて、ただ泣き崩れていたという。

とりあえず、私からは台風や家族のことにはできるだけ触れないようにし、大学生活についての具体的なことを聞く。今年5月まで2年間、コンピュータ・テクノロジーの課程に在籍していたが、来年6月まで少し働いた後、ホテル・レストラン経営の専攻に移りたいのだという。具体的な学費や教材費、交通費、お小遣いなどの話を聞く。

一緒に生き残った弟二人は、パンガシナン州の叔父さん夫妻に預けられ、そこで学校に通っている。彼一人が、ラ・トリニダードの別の叔父さん夫妻の家からバギオの大学に通うことになる。この教会には、一家で遠い町から真面目に通ってきていたのだという。おとなしい好青年なだけに気の毒に思う。なんとか支援ができる方向で具体化できればと思っている。

 

帰りはちょうど夕暮れの時間帯になった。一昨日の記事にプギスの夕焼けのことについて書いたことを思い出し、KM4でジプニーを降りて再び足を伸ばしてみることにする。一昨日の記事にも写真を掲載している白い家はついに解体されていた。プギス被災のシンボルの観を呈していた家だ。ちょうど、土地のボランティアの人々が仕事を終え、家路に着く頃だった。

関係者以外立ち入り禁止というわけでもなく、誰も声を掛けてこないのもありがたい。救援センターとなっている私たちのグループの教会が目と鼻の先なので、いかにも視察に立ち寄った外国人宣教師に見えるのかもしれない。すっかり乾いて固まった土の上に腰を下ろし、犠牲者と被災者の方々に思いを馳せ、祈る。

なんだか悼む人みたいだ - そう思いながら、暮れていく時をただ眺め、静寂に耳を澄ます。バスケットボールの遠いバウンド音と若者たちの声とが少し心を慰めてくれる。停電の暗闇の夜10時半、山が一挙に崩落して流れ、人々が埋まったという光景は、どれだけ思い巡らしてもなかなか想像できない。

ただ、腰を下ろした足元の土肌に松の木の断片が見える。この土はあの山からここまで流れてきたのだと悟り、混乱する。横に見えるコンクリートの壁が、実は残った1階部分の残骸だとわかり、泥流の勢い、重さ、深さが少し想像できて鳥肌が立つ。

結局、昨日は夕焼けは見られなかった。完全な闇に包まれる前に少し、白い家のあった辺りに立ち入ってみる。コンクリートは既に除去され、台風というよりは解体の際の重機によるのだろう、ねじれ曲がった鉄骨がそのまま放置されている。向こう側には、親戚たちによるのだろう、亡くなった住人たちの遺品が集められている。

踏み込んだ足場が不意に緩い泥になってぞっとする。この辺りはまだまだ、掘り起こされたばかりで土が乾いていない。そればかりか、とにかく臭い。水が腐っているというのもあるだろうし、なにしろ30戸以上の家が一気に崩れ、流され、埋まったのだ。30戸分のトイレも一緒に流れ出し、ここの土には混ざっている。つい最近まで、傷んだ遺体がここそこで見つかっていたということもあるかもしれない。

一部のイゴロット族の伝統的な葬儀では、死者に語りかける、あるいは日本で香典にあたる寸志について、くれた人と金額を死者に報告するという習慣がある。一昨日も教会の若い牧師が言っていた。最近の葬儀のこと、3週間後にようやく発見された方の葬儀だ。讃美歌をリードしていて激しく嘔吐しそうになった。見ると、それだけはやめましょうねと決めていたのに、遺族が遺体袋のジッパーを開けて亡くなった方に何やら語りかけていた……。そのような姿で葬られる犠牲者も哀しいが、それでも語りかけずにはいられない遺族も哀しい。

マウンテン・プロビンス州のある村では、何日もかけて葬儀をする。そして、ほぼ垂直に切り立った急斜面を、棺を墓地まで運ぶ。棺からしたたる汚液を浴びることが祝福なのだという。特定文化の世界観に美学というものが含まれるならば、臭いというものに対する距離もまた、その文化の世界観に深く根ざしているものなのかもしれない。生理的には当然臭い。耐えられないほど臭い。しかし、それを耐えてしまえる装置が、文化の一部として組み込まれており、今もなお継承されているのかもしれない。

 

プギスを後にし、ジプニーに乗る。以前ならすぐに頭に来ていたマナーの悪い客も、大小数多くの棺を見てきた今、命があってよかったねと思えるから不思議だ。「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」という歌*があったが、美しい夕焼けのありがたみと同じだ。そんな優しさなら身につけたくはない。でも、それも人生というものの、残酷な一面なのだろう。

 

(*「贈る言葉」 作詞:武田鉄矢)

 

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Mくん(右)と牧師先生(左)。中央はMくんのいとこ。
誰か一緒にいてくれればいい。

 

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急な坂道からは、ベンゲット州西部の丘陵地帯が望めた。

 

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しばらく半旗だったラ・トリニダード町役場の国旗も、
今日は力強くはためいていた。

 

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遺体収容所、避難施設となったプギス小学校。
右手、白い家の奥に、崩落した山肌が見える。
左手の十字架は私たちのグループの教会。

 

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白い家の解体作業がほぼ終了した現場。奥の山が大きく崩落し、
ここまで流れてきたわけだ。土を少し触れば、岩や木はもとより、
衣類や家庭用品にぶつかる。

 

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夕焼けの代わりに赤く光っていた一筋の雲。

 

Img_6122
コンクリートが除去された柱の鉄骨。遺族がリサイクルに出すのだろう。

 

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