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2009/10/24

埋葬式の長い日(ビデオクリップつき)

台風20号は相変わらずはっきりしなかった。バギオ市東端の私たちの学校は一面が白い霧に覆われており、時折強い風が雨を叩きつけていた。かと思うと、今は少し明るくなり、明らかに日光が霧の中で反射してやけにまぶしくなり、かと思うと、風が強くなっていた。

昨夜から今朝にかけて、ようやく各機関の予報が一致し、台湾沖から沖縄諸島沖にかけて北上を始めたようだ。既に大きな被害を受けている台湾にも、また沖縄にも行って欲しくはなかったので、まさに「理想的な」、そして、クネクネと迷走して勢力が弱まったおかげでジェット気流に吹き飛ばされているのかわからないが、まさに「奇跡的な」進路を取ったようだ。フィリピンを想う皆さんの祈りと叫びの結集した力なのかもしれない。

台風17号の被害は人々の予想をはるかに超えたものとなった。既に触れたように、私の友人一家の死は、全ての始まりに過ぎないものとなってしまった。ここまで被害が拡大する前に、彼らの埋葬式の様子をビデオクリップに仕上げていたのだが、支援活動が少し落ち着いた今、それらをご紹介しておきたいと思う。

 

埋葬式場への道のり

既にお伝えしているように、一家が亡くなったのは、17号が最初にこの地域を大きく襲った3日の晩から4日の早朝にかけてだった。そして、埋葬式が行われた10月8日、逆走・迷走する17号が東のフィリピン海上に大きく戻り、再び勢力を増してコルディリエラ山地に一気に襲いかかろうとしていた日だ。

私は、勤務校(アジア太平洋神学校:APTS)からの使いとして、コミュニティ全体からの多額のお花料(仏教的にはお香典)を携え、強風と大雨の中、徒歩で式場となった親戚宅に向かっていた。私は車が無いので、こういう緊急時は機動力が無くてどうしようもないのだが、幸い、葬儀会場になっている友人の親戚家は、APTSからわずか1.5kmの近さなので、ジプニーを待たずに歩き出した。

タクシーが横を追い抜いていくのがかなり恨めしい。傘がひっくり返ってだめになってしまわないよう、風向きが変わるのに合わせて右に左にと、風にぶつけるように持ち替える。左右の山が切れたところでは、メリーポピンズが如く尾根から飛ばされそうになる。

見ると先のタクシーが止まっている。幹線道路のアンブックラオ・ロードが土砂崩れで完全に埋まっている。なすすべもなく引き返すようだ。こっちは歩きだもんね、と土砂の上を登っていく。

最初は良かった。大きな松の木が倒れているので右に大きく回りつつ進んでいく。その時だった。ずぶずぶずぶ……、足が泥に沈んでいく。股下まで一気に埋まってしまった。雨水をたっぷりと吸った、なんともねっとりとした、重い、重い泥だ。とにかく抜けない。残された左足が不自然なので、右足が地に着いたのをいいことに少し木の近くに踏み出す。ずぶずぶずぶ……。粘土だと思ったら下は泥だった。同じことになってしまった。

両足が泥に捕まってしまって、だんだんと焦りが増してくる。不用意、不注意とはこのことだ。加えて、松の木を避けてかなり右手に行ったので、自分が埋まっているところは、元の道幅からほぼ外れかかっている。土砂がなければそこから右は断崖絶壁となって大きく落ち込んでいる。この土砂が少しでも動こうものならどうなったものかわかったものではない。一人で来たので周りには誰もいない。ここで初めて深い恐怖と絶望に駆られる。

どうしようもないので、まずは傘をカッパからポロシャツの中に差し込み、両手を空ける。そして、右手を泥の中に突っ込み、靴のかかと部分をつかむ。そして、無理な体勢ながら体を伸ばして左手でつかめる木の枝をつかむ。そして、必死で引っ張る。これでようやく右足が抜けた。そして、また泥の中に踏み込む。左足を抜き、また踏み込む。これを枝から枝に繰り返すうちに、幸い、泥ではなく粘土の辺りにたどり着き、ようやく抜け出すことができた。

デジカメを友人に貸していてビデオカメラしか無く、それも大雨に濡れないようにSMの分厚いビニール袋に二重に包み込んでいたので、この状態、撮っておきたいという思いがよぎりながらもそれどころではなかったのだけが、ブロガーとしては心残りだ。とにかく先を急ぐことにした。ズボンがどろどろになってしまったが、なんてことはない、歩いていくうちに大雨がきれいに洗い流してくれた。

アンブックラオ・ロードはその後もずたずたに寸断されていた。巨岩、巨木、水たまり、土砂と、あらゆるものが道を覆っている。幸い、親戚宅へと下る道はふさがれておらず、なんとかたどり着くことができた。

 

献身的な仲間たち

埋葬式は悲しかった。特に10か月の娘さんの小さな棺はだめだ。プギスやロンロンから同じ教団のクリスチャン仲間が来ているのを聞いて驚いた。彼らの場所からここまで来るには、ブヤガン-KM5の道からハルセマ・ハイウェイまで出て、既に洪水が始まっていたKM3の辺りを抜け、近道をするにしてもトランコビルからクリークサイドを抜け、パクダルからAPTSとアンブックラオ・ロードを登り、私が今来た道を通ってこなければならない。昨日から来ているのか……、ならばあの土砂崩れはできたてだったのか……、など、仲間を愛する彼らの思いに頭が下がるとともに、あらためて怖くなった。

 

新たな被害の始まり

埋葬式を終えてアンブックラオ・ロードまで上がってみると、景色が一変していた。登りの坂道を流れる水量が異常に増えているのを怪訝に思っていたら、私たちが埋葬式に参列しているうちに新たな土砂崩れが起こり、道路は2~3mの高さに埋まっていた。電柱が押し倒され、その手前に駐車していたジプニーも横倒しになっている。私が通ってきた道だ。自分が歩いている最中に起こっていたら、横幅10mはあるこの土砂崩れに巻き込まれていたかもしれない。

さすがに、このできたての土砂崩れを登って、来た道を戻る気は無かった。股下までとはいえ、埋まって動けなくなってしまった恐怖は良い教訓になっていた。これに埋まったら股下ではきかないかもしれない。股下の孤独な恐怖は、生き埋めになった方々の恐怖に思いを至らせるものとしても十分なものとなった。どれほど怖かったことだろう。どれほど重かったことだろう。どれほど苦しかったことだろう。どれほど孤独だったことだろう。

ベッケルまで歩き始めるとその先も埋まっている。今日は帰れないかな……、そう思い始めた時に、一緒に帰ろうと誘ってくれた友人が山越えをするという。民家の人が裏道を教えてくれる。急な斜面を吹き飛ばされそうになりながら登っていく。傘を操るのだけはさすがに上達した。かなり登って息が上がった頃、小学校とカトリック教会の上に出た。ここからバルーカスへの道が分かれているのは知っていたが、ラムートへの途中にあるマルボロへの抜け道があるという。

幸い、友人がさらに友人のジプニーを捕まえてくれて、APTSまで一気に運んでもらえることになった。あらためて、巨大な岩盤の上に建てられているAPTSに感謝する。

その夜、嵐はひどくなり、暴風雨となった。APTSでは、台風前に来ることのできた各国からのゲストを迎え、暴風雨の中で国際会議が始まった。私も委員会の一人として接待に入る。カフェテリアのスタッフが、アップロードされたばかりのKM3の洪水の映像を見せてくれる。車が流され、水没している。

 

翌日、プギスの被害を知った。埋葬式に来ていた仲間たちの町だ。あの献身的な人々、友人を思う心に満ちた人々の少なくとも何人かは、疲れて帰宅した同じ夜、大規模な土石流に流され、埋まった。80名近くの方々が亡くなり、うち40名近くが私たちの教団の教会の関係者だった(既にご紹介のとおり、ビデオクリップはこちら)。葬儀と支援活動に追われる日々が始まった。

 

全ての始まりとなった友人一家の埋葬式に関係するビデオクリップをYouTubeにアップロードしているので、ここにも貼りつけておきたい。彼らのご遺族はもちろんのこと、850名以上とされるルソン島全域での16号、17号による犠牲者のご遺族にお悔やみの思いを表したい。被災者にも長期にわたる支援が必要だ。

 

 

 

 

 

 

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