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2009/10/29

また一つ、残念な知らせ

親しい知人、反町眞理子さん主宰のNGO「コルディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)」のブログ記事に、また一つ、残念な知らせが掲載されていた。

フィリピン在住で何がつらいかと言えば、日本食よりも風呂がないことだ。風呂なら作ればいいと言われても、借家の身にはそれもままならない。SMバギオができて日本食が少々入手可能になったとて、地下にスーパー銭湯ができるわけではない。

そのような中、時折、家族で訪れるのを楽しみにしていたのが、ケノン・ロードのキャンプ1にあるクロンダイク温泉(Klondike)だった。ささやかな施設で、宿泊もできない日帰り専科の温泉だったが、水泳がスポーツの中では唯一、得意な部類に入る私にとっては大きめのプールもあり、心から愛する施設だった。

バギオ市からは少し距離があり、我が家には車が無いので、行く時は友人の車か、家族で地元のミニバスに詰め込まれての旅で、友人の車でなければ、帰りは疲れた体で30分も1時間も、道端で空席のあるバスを待つ旅だったが、それでも楽しい旅だった。

それが、CGNの最新記事を見ると、土砂崩れで、温泉部分とプール部分が完全に流されてしまっている。私たち不義理な客の悲しみに増して、オーナーご夫妻の悲しみたるやいかほどのものだろうか。一個人客の力では何もすることができないが、再建は可能なのだろうか。まずは祈りつつ待ちたい。バギオ在住者の限られた楽しみの一つが、残酷な台風によって失われてしまった。

 

P3150096
ありし日のクロンダイク温泉。青く見えるのはプール。子供向けの
浅い部分と大人向けの深い部分がうまく組み合わされている、
配慮のあるプールだった。温泉は奥の山側にあった。

また、手前のささやかな吊り橋も、北ルソンの山奥を行く私にとっては
どうということはなかったが、訪れる人々には興奮をかき立てる絶好の
装置となっていた。

 

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ケノン・ロード最新情報

仕事でケノン・ロードを通ったので最新の情報をお伝えいたします。

 

バギオから下って、キャンプ3(Camp 3, Itogon)(日本兵の方々の慰霊碑が左手にあり、左への急カーブの後、短いがけっこう高い橋を渡って道が平坦になり、右への急カーブの後、左側に1つ、小学校がある地域)くらいまでは、ところどころがたがたと悪くなっている程度だ。明らかに土砂崩れの影響による要注意箇所は、キャンプ4とキャンプ3の境の橋の手前と、キャンプ3内のその小学校の手前の右への急カーブの2箇所くらいだった。

問題は、キャンプ3を過ぎてトゥイン・ピークス(Twin Peaks, Itogon)からロザリオ(Rosario, La Union)(上り線の料金所のある地域)の区間。土砂崩れの影響がかなり多く、がたがたであったり、どろどろであったり、水が流れていたり、一車線区域があったりと、かなりひどい。落下してきたかと思われる巨岩が道のすぐそばまで迫っている場所もある。

昨日は、行きは明るいうちに移動したので、ドライバーを務めてくれた友人も、細かい穴や損傷箇所はうまく避けて運転してくれたが、帰りは夜だったので、対向車をヘッドライトでうまく捕捉できる反面、上記のひどい箇所以外にも、細かい場所でかなりの振動と衝撃を受けた。皆さんにも、要注意というか覚悟が必要だ(注意をしようと思えば20km以下での走行を続けるようなことしかできず、それは現実的ではないだろうから、ある程度飛ばそうと思えば、何度かはまともに食らってもしょうがないという覚悟……、車にはお気の毒な話だ)。

一時期、行われていた、上下線の6時間交替での一方通行はもはや施行されていない。料金所も、現在は料金の徴収を行なっていない。交通量はさほど多くはないが、かなりの重量のトラックも通行していたので、バギオからコルディリエラ山地への物資の移入としては状況が改善しているようだ。

 

以上、車を運転なさる方々へのなんらかのご参考になれば幸いです。また、台風21号がどうやら再び北ルソンから中央、南ルソンのいずれかを直撃する予報が出ています。ルソン島在住の皆さんにはご用心をなさってください。

 

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2009/10/27

被災地3箇所(ビデオクリップつき)

台風20号は、見事に台湾、沖縄、日本列島を避けて進んでいるようで、小笠原諸島や伊豆諸島の方々にはお気の毒なことですが、まずは無事をお祈りしています。


前回はベッケルの友人一家の被災地のビデオクリップをご紹介したが、今回は先日の400kmの旅で訪問した、あるいは通った、いくつかの被災地のビデオクリップをご紹介してみたい。

最初のクリップのアバタンは、既に写真でもご紹介したが、ベンゲット州ブギアス郡アバタン町(Abatan, Buguias, Benguet)。バギオ市からは80kmの地点にあり、南のバギオ市、ラ・トリニダード郡、東に下るとブギアス郡の農業地帯(広い畑作地帯が広がっている)、西に下るとベンゲット州マンカヤン郡(Mankayan, Benguet)、イロコスール州セルバンテス郡(Cervantes, Ilocos Sur)、北に進むとマウンテン・プロビンス州の州都ボントック郡(Bontoc, Mountain Province)をつなぐ交通の要衝となっている。ブギアス郡の郡都?はアバタンの南東にある中央ブギアス町だが、ハルセマ・ハイウェイが完全に舗装され、交通の便が格段に良くなった今では、その地位をすっかりアバタンに奪われてしまった形だ。

このアバタンで、ハルセマ・ハイウェイからマンカヤンに下るマンカヤン・ロードが分かれて下り始めたところ、地元では「シャープ・カーブ」(Sharp Curb)と呼ばれる急カーブの地点で大規模な地滑りが起こった。ちょうど、ハルセマ・ハイウェイに面しているパブリック・マーケット(公設市場)の裏の地点にあたる。私の親しい友人の義理のご両親を含む28名が亡くなった。

次のクリップは、ハルセマ・ハイウェイの28km付近と18km付近の様子を撮したもの。本来の道路は地盤が流され、ちょうどチョコレートに覆われたクランチアイスクリームのチョコレート相当の部分が断片的に残っていると言えばいいだろうか。友人の撮った写真なので撮影場所は違うかもしれないが、次のような様子だ。

1220

このような箇所は、言うまでもなく危険で使えないので、山側を深く削る形で臨時の一車線を開通させ、当面の復旧としたわけだ。私の場合は、それぞれ待ち時間30分ほどで済んだが、「コルディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)」の反町さんは、さらなる復旧工事のために6時間も待たされたという。

最後のクリップはベンゲット州ラ・トリニダード郡のブヤガン町(Buyagan, La Trinidad, Benguet)。私の親友の奥さんの親戚を含む9名が亡くなった。この地域は、上から一気に崩れたというよりは、下の家から崩れ、徐々に一軒、一軒、持ちこたえられなくなって崩れていったということ。5軒が全壊、さらに5軒が半壊というが、半壊の家も、住み続けるのは難しい、実質的に全壊相当のものが多い。

ここでは、スィーグフレッド・ンゴロバン(Siegfred Ngoloban)、リチャード・バルスダン(Richard Balusdan)という2人の消防士が、4歳の少年と40歳の女性を救出する中で殉職した。また、レックス・マン-オイという、郡災害対策委員会の委員も亡くなっている。ラ・トリニダード郡では明日、追悼式典が持たれ、彼らの表彰式もなされる予定になっている。

他にも、ベンゲット州トゥブライ郡(Tubulay, Benguet)で救援作業に従事していた人によれば、バケツリレーの要領で崩壊した家から子供を助け出していた際に、下の人から子供を受け取り、上の人に渡し、下の人のほうに向き直ると、既に下の人は流されていなくなっていたのだという。

あるいは、先日の新聞に、川の下流で半身が泥から突き出す形で発見された人の記事があった。既に腐敗がかなり進んでおり、村では1日待って照会がなければ、村で埋葬するという記事だった。車では行けない村で、地元の幹線道路からは2-3時間の距離だということだったが、反町さんのCGNでも力を入れて支援しているアトック郡パスドン村(Pasdong, Atok, Benguet)の人の可能性が指摘されていたので心配していたのだが、最新のCGNのブログ記事によれば、パスドン村のリーダーのお一人で、最後まで人々の救援に当たっていた方だということだった。謹んで、ご遺族と村の方々、関係者の皆様にお悔やみを申し上げます。

ブヤガン町は、80名の犠牲者を出したプギス町と同じく、山の斜面に沿ってある。ラ・トリニダード郡の中での位置は次の通り。

La_trinidad_02

今朝の新聞記事によれば、コルディリエラ行政区(Cordillera Administrative Region: CAR)で被災した家庭は87,700家庭、被災者は424,888名に上るという。あらためて、支援活動は長期間に及びそうだ。

マリアナ沖では新しい台風が生まれており、現時点の予報では、今週の土曜日頃に中央ルソンのヌエバ・エスィーハ州からパンパンガ州を抜けるという。マニラ首都圏と北ルソンの両方に大雨をもたらしそうな、嫌なルートだ。

 

 

 

 

007
久しぶりに顔を見せてくれたベンゲット州東部のウグ山。
晴れ間はもちろん嬉しいものだが、今さらの晴れ間も正直、恨めしい。

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2009/10/24

埋葬式の長い日(ビデオクリップつき)

台風20号は相変わらずはっきりしなかった。バギオ市東端の私たちの学校は一面が白い霧に覆われており、時折強い風が雨を叩きつけていた。かと思うと、今は少し明るくなり、明らかに日光が霧の中で反射してやけにまぶしくなり、かと思うと、風が強くなっていた。

昨夜から今朝にかけて、ようやく各機関の予報が一致し、台湾沖から沖縄諸島沖にかけて北上を始めたようだ。既に大きな被害を受けている台湾にも、また沖縄にも行って欲しくはなかったので、まさに「理想的な」、そして、クネクネと迷走して勢力が弱まったおかげでジェット気流に吹き飛ばされているのかわからないが、まさに「奇跡的な」進路を取ったようだ。フィリピンを想う皆さんの祈りと叫びの結集した力なのかもしれない。

台風17号の被害は人々の予想をはるかに超えたものとなった。既に触れたように、私の友人一家の死は、全ての始まりに過ぎないものとなってしまった。ここまで被害が拡大する前に、彼らの埋葬式の様子をビデオクリップに仕上げていたのだが、支援活動が少し落ち着いた今、それらをご紹介しておきたいと思う。

 

埋葬式場への道のり

既にお伝えしているように、一家が亡くなったのは、17号が最初にこの地域を大きく襲った3日の晩から4日の早朝にかけてだった。そして、埋葬式が行われた10月8日、逆走・迷走する17号が東のフィリピン海上に大きく戻り、再び勢力を増してコルディリエラ山地に一気に襲いかかろうとしていた日だ。

私は、勤務校(アジア太平洋神学校:APTS)からの使いとして、コミュニティ全体からの多額のお花料(仏教的にはお香典)を携え、強風と大雨の中、徒歩で式場となった親戚宅に向かっていた。私は車が無いので、こういう緊急時は機動力が無くてどうしようもないのだが、幸い、葬儀会場になっている友人の親戚家は、APTSからわずか1.5kmの近さなので、ジプニーを待たずに歩き出した。

タクシーが横を追い抜いていくのがかなり恨めしい。傘がひっくり返ってだめになってしまわないよう、風向きが変わるのに合わせて右に左にと、風にぶつけるように持ち替える。左右の山が切れたところでは、メリーポピンズが如く尾根から飛ばされそうになる。

見ると先のタクシーが止まっている。幹線道路のアンブックラオ・ロードが土砂崩れで完全に埋まっている。なすすべもなく引き返すようだ。こっちは歩きだもんね、と土砂の上を登っていく。

最初は良かった。大きな松の木が倒れているので右に大きく回りつつ進んでいく。その時だった。ずぶずぶずぶ……、足が泥に沈んでいく。股下まで一気に埋まってしまった。雨水をたっぷりと吸った、なんともねっとりとした、重い、重い泥だ。とにかく抜けない。残された左足が不自然なので、右足が地に着いたのをいいことに少し木の近くに踏み出す。ずぶずぶずぶ……。粘土だと思ったら下は泥だった。同じことになってしまった。

両足が泥に捕まってしまって、だんだんと焦りが増してくる。不用意、不注意とはこのことだ。加えて、松の木を避けてかなり右手に行ったので、自分が埋まっているところは、元の道幅からほぼ外れかかっている。土砂がなければそこから右は断崖絶壁となって大きく落ち込んでいる。この土砂が少しでも動こうものならどうなったものかわかったものではない。一人で来たので周りには誰もいない。ここで初めて深い恐怖と絶望に駆られる。

どうしようもないので、まずは傘をカッパからポロシャツの中に差し込み、両手を空ける。そして、右手を泥の中に突っ込み、靴のかかと部分をつかむ。そして、無理な体勢ながら体を伸ばして左手でつかめる木の枝をつかむ。そして、必死で引っ張る。これでようやく右足が抜けた。そして、また泥の中に踏み込む。左足を抜き、また踏み込む。これを枝から枝に繰り返すうちに、幸い、泥ではなく粘土の辺りにたどり着き、ようやく抜け出すことができた。

デジカメを友人に貸していてビデオカメラしか無く、それも大雨に濡れないようにSMの分厚いビニール袋に二重に包み込んでいたので、この状態、撮っておきたいという思いがよぎりながらもそれどころではなかったのだけが、ブロガーとしては心残りだ。とにかく先を急ぐことにした。ズボンがどろどろになってしまったが、なんてことはない、歩いていくうちに大雨がきれいに洗い流してくれた。

アンブックラオ・ロードはその後もずたずたに寸断されていた。巨岩、巨木、水たまり、土砂と、あらゆるものが道を覆っている。幸い、親戚宅へと下る道はふさがれておらず、なんとかたどり着くことができた。

 

献身的な仲間たち

埋葬式は悲しかった。特に10か月の娘さんの小さな棺はだめだ。プギスやロンロンから同じ教団のクリスチャン仲間が来ているのを聞いて驚いた。彼らの場所からここまで来るには、ブヤガン-KM5の道からハルセマ・ハイウェイまで出て、既に洪水が始まっていたKM3の辺りを抜け、近道をするにしてもトランコビルからクリークサイドを抜け、パクダルからAPTSとアンブックラオ・ロードを登り、私が今来た道を通ってこなければならない。昨日から来ているのか……、ならばあの土砂崩れはできたてだったのか……、など、仲間を愛する彼らの思いに頭が下がるとともに、あらためて怖くなった。

 

新たな被害の始まり

埋葬式を終えてアンブックラオ・ロードまで上がってみると、景色が一変していた。登りの坂道を流れる水量が異常に増えているのを怪訝に思っていたら、私たちが埋葬式に参列しているうちに新たな土砂崩れが起こり、道路は2~3mの高さに埋まっていた。電柱が押し倒され、その手前に駐車していたジプニーも横倒しになっている。私が通ってきた道だ。自分が歩いている最中に起こっていたら、横幅10mはあるこの土砂崩れに巻き込まれていたかもしれない。

さすがに、このできたての土砂崩れを登って、来た道を戻る気は無かった。股下までとはいえ、埋まって動けなくなってしまった恐怖は良い教訓になっていた。これに埋まったら股下ではきかないかもしれない。股下の孤独な恐怖は、生き埋めになった方々の恐怖に思いを至らせるものとしても十分なものとなった。どれほど怖かったことだろう。どれほど重かったことだろう。どれほど苦しかったことだろう。どれほど孤独だったことだろう。

ベッケルまで歩き始めるとその先も埋まっている。今日は帰れないかな……、そう思い始めた時に、一緒に帰ろうと誘ってくれた友人が山越えをするという。民家の人が裏道を教えてくれる。急な斜面を吹き飛ばされそうになりながら登っていく。傘を操るのだけはさすがに上達した。かなり登って息が上がった頃、小学校とカトリック教会の上に出た。ここからバルーカスへの道が分かれているのは知っていたが、ラムートへの途中にあるマルボロへの抜け道があるという。

幸い、友人がさらに友人のジプニーを捕まえてくれて、APTSまで一気に運んでもらえることになった。あらためて、巨大な岩盤の上に建てられているAPTSに感謝する。

その夜、嵐はひどくなり、暴風雨となった。APTSでは、台風前に来ることのできた各国からのゲストを迎え、暴風雨の中で国際会議が始まった。私も委員会の一人として接待に入る。カフェテリアのスタッフが、アップロードされたばかりのKM3の洪水の映像を見せてくれる。車が流され、水没している。

 

翌日、プギスの被害を知った。埋葬式に来ていた仲間たちの町だ。あの献身的な人々、友人を思う心に満ちた人々の少なくとも何人かは、疲れて帰宅した同じ夜、大規模な土石流に流され、埋まった。80名近くの方々が亡くなり、うち40名近くが私たちの教団の教会の関係者だった(既にご紹介のとおり、ビデオクリップはこちら)。葬儀と支援活動に追われる日々が始まった。

 

全ての始まりとなった友人一家の埋葬式に関係するビデオクリップをYouTubeにアップロードしているので、ここにも貼りつけておきたい。彼らのご遺族はもちろんのこと、850名以上とされるルソン島全域での16号、17号による犠牲者のご遺族にお悔やみの思いを表したい。被災者にも長期にわたる支援が必要だ。

 

 

 

 

 

 

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2009/10/20

400kmの旅を終えて - 北ルソン被災最新情報 -

日本で、またフィリピン国内で、あるいは世界各地で、フィリピン・北ルソンの被災状況をご心配くださっている皆様、本当にありがとうございます。この週末、不本意ではありましたが400kmの旅をして、北ルソンのごく一部ではありますが、少し各地の被災状況を見てくることができましたので、ここにご紹介申し上げます。


日曜日はアバタン(ベンゲット州ブギアス郡アバタン町)で仕事があった。私はキリスト教の宣教師なので、日曜日毎に、ある時は週日も、各地の教会に招かれ、業界では「説教」と呼ばれる、聖書からの講演のような仕事をしている。この日曜日はアバタンの教会に招かれていたわけだ。

本来は、通訳を務めてくれるはずの現地の若い牧師と、日曜日の早朝に移動する予定にしていたのだが、先日の台風17号の被害のために寸断されていた、幹線道路ハルセマ・ハイウェイの復旧状況に大きく左右されそうな状況だった、すなわち、早朝に出たのでは10時からの礼拝に間に合わない可能性があったので、大事を取り、前日の土曜日のうちに移動することにした。ちょうど、親しいフィリピン人の友人が、車で移動するからと誘ってくれたので、土曜日にもかかわらず会議で忙しい若い牧師を残して先に行くことにした。

アバタンまでは80kmの道のりだ。今回の被害としては、特に28-32km地点がひどく、4時間ほど歩いて車を乗り継がなければならない状況が続いていたが、ここが一車線だけ復旧したことで、全線がなんとか復旧するところとなった。そういうわけで、そこに至るまでもいくつか、一車線だけの場所をなんとか抜け、その28km地点までたどり着くと、なんと、復旧を待ちに待った車の列また列。聞くと上り方向、下り方向、合わせて1,000台近くが連なっており、約6時間の待ち時間という。何時間か待ってあきらめ、引き返すことにした。

ところが、今度は引き返す途中、18km地点の一車線区域でも同様の渋滞だ。悪いことにバスがスリップして道をふさいでしまってもいるという。結局、バギオを午後4時に出たのが、再びバギオに帰ってきたのが夜中の12時前。件の若い牧師には携帯でなんとか連絡がついたので、予定をキャンセルしてもらうよう頼むことができた。

一方、私はといえば、月曜日に向けてなんとしてもマンカヤン(ベンゲット州マンカヤン郡)に帰らなければならない小学校教師の友人が海岸沿いの国道経由で帰るというので、つき合うことにしました。そもそも、各地の被害がどのようなものか、自分で確かめたいと思っていたからだ。結局、バギオ(バギオ市)-バワン(ラ・ウニオン州)-サンフェルナンド(ラ・ウニオン州)-タグディン(イロコスール州)-セルバンテス(イロコスール州)と、裏側を抜けるような形でマンカヤンにたどり着いたのは、翌日の朝10時のことだった(下の地図をご参照のこと。なお地図中の「タッジャン」は「タグディン」の誤り)。

 

200910

 

最終的に、本来ならばアバタンまで80km、マンカヤンまで100kmのところを、400kmほどの大回りをしたことになる。夜通しぶっ飛ばしてくれた友人に感謝する。この日は夕食もそこそこに、友人ともども、夕方6時には床に倒れ込んだ。途中で合流した私でさえ、18時間以上も車に乗っていたことになる。

月曜日の朝は、教室に向かう友人に別れを告げ、アバタンに移動した。セルバンテスまでの道(ブッサン・ロード)はほぼ無傷で完全復旧していたが、セルバンテス-マンカヤン-アバタンの道は、まだなんとか通れるというところばかりの状態だった。

そして、アバタンを手前にジプニーを降りた。28名が亡くなったという土砂崩れの場所を訪問するためだ。まだまだひどい泥道だった。靴がすぐに泥だらけになった。土砂崩れの現場に立ち、しばし言葉を失う。散乱している衣類などが、そこに人々が住んでいたことを生々しく訴えかけてくる。

しばしビデオと写真を撮り、バギオに移動するために幹線道路まで上っていると、「先生!」と呼び止める声がする。見ると、私が2000年以来、お手伝いをしている教会の中心的メンバーだった。聞くと、このアバタンの土砂崩れで奥さんのご両親を失ったということ。ご両親には、私も、去年の彼の結婚式でご挨拶をしたばかりだ。また、近しい人の犠牲者だ。言葉が無かった。

アバタンからの帰り道は、例の一車線の区域、28kmと18kmで少し待たされることはあったが、乗合バンで順調にラ・トリニダードまで帰ってくることができた。反町眞理子さんご主宰のコルディリエラ・グリーン・ネットワーク(CGN)で紹介されていたパスドン(ベンゲット州アトック郡パスドン村)を訪問してみることも考えたが、友人から、プギス教会の若い副牧師の一人がパスドンとのつながりがあると言うので、まずは彼に相談してみることにした。

ラ・トリニダードに着くと、その足で、9名が亡くなったブヤガン(ベンゲット州ラ・トリニダード郡ブヤガン町)の被災地を訪問した。ブヤガンは友人の奥さんの実家のある町で、9名のうちの何人かは親戚だったということだ。10mほどの幅で丘がぽっかりと崩れていた。5軒が全壊、10軒が半壊という悲惨な状況に、再び立ち尽くす。

ブヤガンを訪問した足で、プギス教会を訪問した。既にご報告の通り、80名近くの命の失われた地域だ。先のパスドンの件も含めて、若い副牧師たちと少し話し合いたいことがあったのだが、あいにく、全員出かけているということだった。教会員やその家族・親族だけで40名近くの犠牲者を出し、遺体の捜索から確認、葬儀、被害者のための炊き出し、救援物資の受領と配給など、ずっと詰めて陣頭指揮をしてきた働きづめの先生方だ。少しは現場を離れて休みたいという気持ちは痛いほどよくわかった。土曜日もまた遺体が発見されたという。教会附属の保育園が再開しているのが慰めだった。

途中で今度は、台風とは関係が無いが、私たちの学校(アジア太平洋神学校:APTS)が行なっている留置所での働きで知り合った女性から連絡が入った。なんでも、同居の叔母さんに顔を殴られて以来、吐きづめで、ついには入院したのだという。彼女はこの叔母さんにあらぬ盗みの嫌疑をかけられ、2年半の留置所生活を余儀なくされたのだが、さらにそういう暴力を受けているというから驚きだ。マニラに行っているお母さんが帰ってきたら返してくれるということ、また、少額だったので、入院代を貸してあげることにした。

APTSに帰るジプニーでは、先日、病気でお父さんを亡くした女子学生と一緒になった。学生といっても、彼女も一つの教会を担当している牧師だ。みんなからの励ましもあり、元気になっていた。APTSでの勉強も、しばらくは中断すると言っていたのが、がんばって続けられそうなのでなによりだ。

それにしても、長い、長い週末だった。そして、被災地の救援活動はまだまだ何か月も続く。日本の親しい友人に、奥さんがフィリピン人の友人がいるが、この奥さんの妹さんも家を失い、助けを求めてきている。ベンゲット州の北に隣接するマウンテン・プロビンス州からは、さらに新しい犠牲者の知らせが入ってきている。北ルソンでの最終的な犠牲者数は450名を超えるかもしれない。

このような中、今週の水曜日から木曜日にかけては再び、非常に強い台風、台風20号が北ルソンを襲うという予報がなされている。大きな被害にならないことを祈るばかりだ。

 

002
先週の金曜日、プギス教会にて。犠牲者の「前夜式」
(仏教的には通夜)が続く。翌土曜日にようやく埋葬された。

 

La_trinidad_01
APTSと、被災した各地の位置関係。
(Google Earth)

 

Puguis
80名近くが命を落としたプギス町の画像。線で囲った部分が
およそ犠牲になった部分。あらためて見ると、こんなに家があったのかと
戦慄を覚える。(Google Earth)

また、数年前の写真にもかかわらず、山の斜面に既に、大きな
亀裂があったことを見て驚く。実は、今後、さらに3倍の量の
崩落が危惧されている。2005年には既に政府から警告が出されていた
ということだ。さりとてどこにも行き場の無い人々が哀しい。

 

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アバタンの被災地。友人の義理のご両親が亡くなった。

 

046
残った家も使い物にならない。

 

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トラックの被害が土砂の重さ、強さを物語る。

 

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1階部分がほぼ完全に埋まった家。

 

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28km地点。一車線のみの混乱はしばらく続く。
土砂を取り除くだけで4-5か月はかかるという。

 

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9名が命を落としたブヤガン町の被災地。
友人の親戚が亡くなった。

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2009/10/17

北ルソンで400名以上の犠牲者

既にNHKなどのメディアでも報道されているように、先日、ご報告いたしました台風17号による被害は、友人一家に悲劇をもたらしたのみならず、むしろ、それを多くの悲劇に先立つに過ぎないものとしてしまった。北ルソンだけで400名近くの犠牲者、先の台風16号によるマニラ首都圏周辺による被害を加えると600名以上の犠牲者を出し、30万人以上が被災生活をやむなくされている。

友人一家の埋葬式のあった8日(木)から数日間、3回目の上陸を果たした台風17号により、ルソン島北部は2,000ミリとも言われる暴風雨に見舞われ、電話やインターネットも不通となった。とりわけ、バギオ市の隣町にあたるラ・トリニダード郡では、大規模な土砂崩れなどにより、100名以上が犠牲となった。

最も大きな被害に遭ったのは、プギスという地域のリトル・キブガンと呼ばれる集落で、8日夜の10時30分頃に山が突然崩落、停電と暴風雨の暗闇の中で30戸以上が生き埋めとなった。70名以上の人々が亡くなり、今も遺体の捜索が続いている。この地域には、キリスト教の宣教師である私の所属団体と同じ団体に所属する教会があるが、この教会に連なる人々(教会員とその家族・親族)では、40名近くが犠牲となった。

私がようやく訪問できた12日(月)でも、3家族13名のご遺体が安置され、日本の通夜にあたる前夜式(ただし、フィリピンでは何日か行う)が進行しており、私自身も14日(水)の夜には一家族の前夜式で説教の奉仕に与ってきた。15日(木)の午前中にはさらに一遺体が見つかった。35歳の女性で、赤ちゃんの捜索はまだ続いている。

不幸中の幸いとしてプギス教会の建物には被害が無かったことから、この教会がこの地域の救援センターの一つとなり、当座の救援活動が続いている。中には、100kmの距離にあるマンカヤン郡から、幹線道路のハルセマ・ハイウェイは寸断されているにもかかわらず、50kgの米を届けに来たクリスチャンもあった。寸断された交通機関を乗り継ぎ、土砂崩れで道路が封鎖されている箇所は何時間も歩いての旅だ。マンカヤンもかなりの被害を受けたにもかかわらず、プギス教会の地域がひどい目にあったと聞いて、やむにやまれず、駆けつけてきたのだ。

私もまずは、派遣先のキリスト教指導者養成学校(神学校)で委ねられている、地域社会での学生の奉仕活動をコーディネートする部門を通じ、上司であるアメリカ人宣教師と連日のように救援物資を届け、仲間たちの慰めと励ましに務めている。地域の被災家庭のために炊き出しをするためのトレイや食器、下着、紙オムツを届け、さらなる支援を継続するとともに、とりあえずの掘っ立て小屋のようなものでも整備されてくれば、プロパンガスやコンロ、調理器具なども提供していくことにしている。教会がささやかでも地域の人々に支援の手を広げることができているならば幸いなことだ。

リトル・キブガンとプギス教会の様子については、神学校での報告用に少しビデオクリップを作成したものと、それを日本の所属団体の教会に向けて日本語化したものとをアップロードしてしている。キリスト教内部の報告資料であり、被災地との一時的な接触はどうしても教会の人々を通じてになるので、当然ながら、教会外の皆さんがご覧になると、偏っていたり、キリスト教独特の表現や専門用語、不備が見られるかもしれませんが、その点、ご寛容にお含みおきいただけるようでしたら、こちらよりご覧ください。

なお、一般のNGOの立場でご支援なさっている団体としては、私もお世話になっている反町真理子さんご主宰の「Cordillera Green Network」がある。リトル・キブガンその他の場所の様子については、こちらにも詳細なご報告がありますので、併せてご覧ください。

幹線道路のハルセマ・ハイウェイは、明日の午後には復旧すると言われており、私もこの日曜日にはバギオから80km、ブギアス郡アバタン町にある教会の礼拝の説教に招かれている。通常は2時間半のところ、果たしてどのくらいでたどり着けるものか心配だが、アバタンまで行けばバギオで得られない情報も得られることかもしれない。皆さんにまた、何かお分かちできる情報があればと願っている。

日本の何人かの方々からは救援物資を送る旨のご照会をいくつかいただいている。しかし、マニラ首都圏が依然として洪水の被害と格闘する中にあり、マニラ-バギオ間も、パンガスィナン州を中心に、ダムの放流による洪水で交通網が不安定になっている。また、これからクリスマスに向けて世界中の出稼ぎ労働者からプレゼントが殺到し、平時でさえ2月くらいまで郵便・宅配便システムが機能不全に陥る季節になるとあっては、物資をお送りいただいても無事に、あるいは迅速にバギオまで届くかどうかは疑問だ。まずは、ワールドビジョンや反町さんのNGOを通してなど、現金でのご支援をいただき、刻々と変わるこちらの現場でのニーズに応える形での救援活動を支えていただけましたら幸いです。

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2009/10/07

土砂崩れに命を奪われた友人一家

NHKのニュースはもっぱら台風18号の話ばかり。日本にいる皆さんはぜひとも気をつけてください。

こちらフィリピンの北ルソンでは、いったん通り過ぎたはずの台風17号が、こともあろうか、南シナ海でたっぷりと水分を補給し、そのまま引き返してきている。往路では逸れたはずのコルディリエラ山地を、復路でご丁寧にたどろうというのだから迷惑な話だ。

この背後には、ちょうど真横を通過して日本に向かっている台風18号との力関係の影響など、いろいろな要因があるらしい(「藤原効果」(?)などという専門用語を初めて耳にした)。一口に台風といっても、一つの有機体ではなく、瞬間々々の大気の流れの移り変わりが、何か生きて意志を持ったもののように見えるだけなので(これはこちらのアニメーションなどを見ているとよくわかる)この山地に常に集まる温められた湿った空気が呼び水のような働きをしたのだろうが、嬉しい話ではない。少し前にPAGASAに発表された図を貼っておく。最新のものは、また違った予報がされているかもしれない。

 

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この台風17号に友人一家を奪われた。3日夜から4日未明にかけて、バギオ市の私たちのキャンパスのすぐ近くで土砂崩れがあった。地理的にはラ・トリニダード郡ベッケル町に入った場所だ。幅にして大規模なものではなかったが、幹線道路アンブックラオ・ロードの少し上から始まったこの土砂崩れは、直径2m近くの岩をいくつか伴いながら細く、しかし約80m下の集落をまっすぐに襲った。岩は友人の家を直撃、家は跡形もなく破壊され、大量の土砂が覆った。

友人は26歳の女性。数年前に結婚したばかりのご主人と10か月の娘さん、自らのご両親という一家5人が犠牲となった。被害に遭ったのはこの1軒のみ。朝5時頃に異変に気づいた付近の住人が、暴風雨の中、約5時間かけて5人の遺体を掘り出した。5人の遺体がほぼ無傷だったのが唯一の慰めだった。

私は月曜日に知らせを聞き、何人かの職員と学生と様子を見に伺った。キリスト教系の大学院でもあり、被災した地域の人々に食料や古着を提供するなど何かお手伝いすることができないかと思ったのだ。まさか、その一家がこともあろうに友人一家だとは思わなかった。まさか、その友人が、変わり果てた姿で棺の中に横たわっているとは思わなかった。今でも信じられない。混乱したまま、思いは過去と現在の間をさまよう。

私たち夫婦は約10年前にフィリピンに来た。地元の教会で知り合った彼女は、UBスクエアの2階にあるキリスト教書店で働いていたこともあってすぐに親しくなり、右も左もわからない私たちに何かと親切にしてくれた。彼女が店を辞めてからはなかなか会う機会も無くなったが、同じ沿線の住人同士、ジプニーで会うとお金を出してあげたり、出してもらったりのつき合いが続いた。最近は、地元の教会の合同のお楽しみ会で寸劇を演じる姿や、赤ちゃんを抱いて幸せそうにしている姿を見て、元気そうでいるのを嬉しく思っていた。お母さんと同じ棺に入れられた娘さんだけが額が大きく割れた傷跡があり、その小さな姿とともに、突き上げてくるものを抑えられなかった。

明日は埋葬式だ。このままだと、再び、戻ってきた台風(ないしは弱まった熱帯低気圧)の暴風雨の中での埋葬式になる。友人一家はクリスチャンだったので、信仰においては既に天国の安らぎの中にあるということになる。再び会える - これはクリスチャンの希望だ。天国には、この世では得られない良きものがあることだろう。それでも、いまだこの世にある人情からすれば、かなわなかった夢、思い半ばで終わってしまったことも多いだろう。とりわけ、愛する者たちを突然にして奪われたご遺族のために平安を祈らずにはいられない。

 

姉妹ブログにも書いたように、キリスト教系の団体からも、その他からも、各地の被災地には多くの支援がなされつつある。日本の被害が最小限に抑えられることを祈るとともに、被災地の一日も早い復興、人々の心の癒しと平安を祈りたい。

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