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2009/09/22

知恵と工夫 ― 環境と文化の制約の中で

雨期のコルディリエラ山地はうっとおしい。マニラなど、最近こそ少し台風崩れの雨が続いていたようだが、低地なら一般に、午後にスコールという「読める」気候が続く。

ところが、北ルソンでもこの並びだけ2000m級の山々の連なるコルディリエラ山地には、常に東西の低地から温められた空気が集まる。早朝こそ晴れることもあるものの、雨期の数ヶ月は日がな霧の中、もとい雲の中での生活が続く。毎日、とにかく世界が白いのだ。

おかげで水には困らない。私の所属する学校は敷地内に自前の井戸があり、水道代は無料だ(あこぎな学校なのでたぶん家賃に含まれている)が、地元の人々も、雨水を少し集めれば、家族が十分に暮らせるだけの水は得られる。「水さえありゃ、俺たちはどうにでも生きていけるからよ」というのが、この辺りのイゴロット族の誇りだ。

1枚目の写真は、我が家の近所、地元の教会に付属している牧師家庭の住居のもの。雨水を集めるにあたり、面白い工夫がしてあった。大きなドラム缶に雨水を集めているのはよく見る光景だが、その上に古くなったワイシャツだかをかぶせ、ゴムでぴっちり止めてある。細かいゴミや木の葉、水に集まる虫などを、ドラム缶にたまる前にブロックしてしまおうという知恵だ。

 

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閑話休題。先日、フィリピンのトイレ事情を取り上げた。なるほど、「塗る」のでなく洗うというのはフィリピン文化に分があるとして、我ら日本文化に分があるのは、便座の使い方についての社会教育を徹底した点だ。

おかげで、私が子供の頃、洋式便器が一般的になってきた頃こそ、小用の際に便座を濡らす不届き者が多くあったものの、最近の日本の男たちには、小用の際には便座を上げるという習慣がすっかり浸透しているように思われる。さらに最近の若い草食男子の多くは、家庭などの共用のものの場合、次にご婦人方がなさるのに備えてきちんと便座を下ろし、ふたまでして個室を後にするという。文化は優劣ではないとはいえ、男も女もただ上からぶっかけるだけのフィリピン文化に、一歩先んじるものだろう。

しかしながら、およそぶっかけるだけの野郎どもはともかく、ご婦人方も中腰でぶっかけざるを得ないのは、便座が件の液体で濡れているからというだけではない。行き届かない社会教育のゆえに無意味なものになってしまった時点で便座は質入れ用に取り外され、縁の細い便器にそのまま腰を下ろすことそのものが、痛い行為となってしまったのである。

2枚目の写真は、行きつけの教会のもの。最近、(誰もそんなに座らないのに)便器が割れてしまって800ペソの中古品をつけ替えたのだが、なんと便座の縁が太いのだ。便座を無用のものと葬り去った文化が、痛くて座り心地が悪いと、今度は便座そのものを太くするというのが、無駄なのか理に適っているのかいまだにどうにもわからない。

 

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以上、最近の写真から「知恵と工夫」と題して2題、お送りしてきた。環境と文化というのは、私たちに益する一方で、無意識に縛るものともなる。それをまた、意識するとせざるとにかかわらず克服していこうとする知恵と工夫がある。文化人類学的に言えば、北ルソンはまだまだ、はっとさせられるような「他者」に満ちているのだ。

ところで、件の便器、少なくとも、心ある人がちょっと流してくれる際には、便器の上にも一通り、水をまいて清めてくれているものだ。必要以上に恐れることなく、安心して座ればいい。ただ、その水が往々にして、洗濯のすすぎ水を大切に使っていたりすると言ってしまうと、うへ~、と思う方と、洗剤が混ざってるから平気、と思う方とに分かれるだろう。あなたはどちらだろう。後者なら、ベテランさんを気取ってもいいかもしれない。

 

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