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2008/09/25

変わるバギオ、変わらぬバギオ

街は生きている。4月末から8月の頭まで日本に一時帰国をして帰ってくると、地方都市のバギオも少しずつ変わっているのが目に入る。来年で市制100周年記念を迎えるバギオ。9月1日のバギオの日(Baguio Day)には99周年の記念パレードも開かれ、日本からも移住組の方々や英語留学組の方々など、多くの方々が浴衣や柔道着でパレードに参加なさったようだ。

私はアンブックラオ・ロード(Ambuklao Road)のティップトップ(Tiptop)という、朝も10時を過ぎれば1時間に1台ジプニーが通るかどうかという交通の便の劣悪な郊外に住んでいる。そのため、出不精でなかなか街まで出ることがない。そもそも大した楽しみも無いので出かけてもつまらない。たまに妻の買い物につき合い、年季の入った市場の元おねいさんたちをからかうのが唯一の楽しみだ。

夕方も、ジプニーは4時以降は通学・通勤ラッシュで長蛇の列、6時を過ぎると20分に1本で、7時が最終便とくる。おまけに夜のタクシーは、日本の整然とした整列乗車など望むべくもない熾烈でアナーキーな取り合い。アンブックラオ・ロードのティップトップと言えば乗車拒否は当たり前、運良く行ってくれたとしても「遠い」「暗い」「帰りに拾う客がいない」と運転手は文句とイヤミを垂れ流し、不愉快この上ない。

そういうわけで、車の無い私は、バギオにいながら、絶対的な所用が無い限り街に出ることはない。絶対的な所用がある時にも、キャンパス内にアパートのある大学院からの定期便でしか出かけない。朝7:30の便か午後1:30の便だ。それ以外の時は、ふもとのパクダル(Pacdal)というサークルまで45分かけて歩く覚悟が欠かせない。あの乗馬のライト・パーク(Wright Park)のある、マンション(Mansion)やマインズ・ビュー(Mines View)へも道が分かれていくパクダルだ。

多くは午前中のみの外出、午後でも夕方4時前にはジプニーでとっとと帰ってくる。「夜は街で外食」「ナイトライフ」など、想像するだけで不快指数が上がり、めまいがするのだ。蛍の光が鳴るまでヨドバシカメラをうろつき、足がじんじんするまで紀伊國屋書店に浸っていた一時帰国の日々が、懐かしいことこの上ない。

北ルソン通を気取り、このようなブログまで持っていながら、そういうわけでバギオ事情には疎い私にも、変わるバギオ、変わらぬバギオは感じられる。日本人の拓いたケノン・ロード、日本人の住み着いたセッション・ロード - バギオは歴史を刻み続ける。平和でのどかなバギオというところだけは、ずっと変わって欲しくないものだ。

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来年の市制100周年に向けてか、歩道の整備される
セッション・ロード。

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車椅子用のスロープも、このように各所に造られている。

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このような通りの名前のプレートも、最近になって
設置されてきたように思う。

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しかし、こちらは変わらぬバギオ。信号が、機能していなかった
(あまり誰も守っていなかった)にせよ、灯っていたのは何日くらい
だっただろうか。

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そして、こちらも変わらぬバギオ。どんなに都市化が進んでも、
昔ながらのこういう物の持ち方(運び方)は、いつまでも
風景の中にあって欲しいものの一つである。

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