« 2008年7月 | トップページ | 2008年10月 »

2008/09/27

ただ今、OJTの真っ最中

フィリピンの子供はせつない。学校に行きたいのはやまやまだが、ハイスクールと呼ばれる、日本の中1から高1にあたる学校でさえ、公立校では一学級が70名からなる。携帯メールし放題で授業はなかなか成立しない。

ハイスクールまで行けるならまだ良い。小学校の段階でつまずいてしまう子供も多い。経済的な理由もさることながら、家で予習復習はおろか、宿題すらできる環境にないことも多い。

しかし、フィリピンの子供はたくましい。学校についていけなくなっても、親や親戚について一生懸命に働く。田畑で土を耕し、市場でビニール袋を売る。学校の先生が家々を訪問し、お子さんをなんとか学校に送ってもらえないかと親たちを説得してまわらなければならないほどだ。

ヌエバ・ビスカヤ州バンバン町(Bambang, Nueva Vizcaya)で出会った彼も多分に漏れず、か。小学校に上がる前から既にお父さんの仕事に同行、トライシクル・ドライバーとしての研鑽を積んでいる。ヘルメットをかぶっていないなどという野暮なことを言ってはいけない。フィリピンで生きるということは、トライシクルに乗るまでもなく、日々が体と命を張った人生なのだ。

 

009_2
「どうだ、オレの父ちゃんの運転は?」

 

007_2
「でも、オレの人生、このままで良いのか、悩む時もあるんだが」

 

003
「よう、いつまでも勝手に撮ってんじゃねえよ!」

 

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログへ にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
(にほんブログ村のランキング参加中。類似のブログもこちらから)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/09/25

変わるバギオ、変わらぬバギオ

街は生きている。4月末から8月の頭まで日本に一時帰国をして帰ってくると、地方都市のバギオも少しずつ変わっているのが目に入る。来年で市制100周年記念を迎えるバギオ。9月1日のバギオの日(Baguio Day)には99周年の記念パレードも開かれ、日本からも移住組の方々や英語留学組の方々など、多くの方々が浴衣や柔道着でパレードに参加なさったようだ。

私はアンブックラオ・ロード(Ambuklao Road)のティップトップ(Tiptop)という、朝も10時を過ぎれば1時間に1台ジプニーが通るかどうかという交通の便の劣悪な郊外に住んでいる。そのため、出不精でなかなか街まで出ることがない。そもそも大した楽しみも無いので出かけてもつまらない。たまに妻の買い物につき合い、年季の入った市場の元おねいさんたちをからかうのが唯一の楽しみだ。

夕方も、ジプニーは4時以降は通学・通勤ラッシュで長蛇の列、6時を過ぎると20分に1本で、7時が最終便とくる。おまけに夜のタクシーは、日本の整然とした整列乗車など望むべくもない熾烈でアナーキーな取り合い。アンブックラオ・ロードのティップトップと言えば乗車拒否は当たり前、運良く行ってくれたとしても「遠い」「暗い」「帰りに拾う客がいない」と運転手は文句とイヤミを垂れ流し、不愉快この上ない。

そういうわけで、車の無い私は、バギオにいながら、絶対的な所用が無い限り街に出ることはない。絶対的な所用がある時にも、キャンパス内にアパートのある大学院からの定期便でしか出かけない。朝7:30の便か午後1:30の便だ。それ以外の時は、ふもとのパクダル(Pacdal)というサークルまで45分かけて歩く覚悟が欠かせない。あの乗馬のライト・パーク(Wright Park)のある、マンション(Mansion)やマインズ・ビュー(Mines View)へも道が分かれていくパクダルだ。

多くは午前中のみの外出、午後でも夕方4時前にはジプニーでとっとと帰ってくる。「夜は街で外食」「ナイトライフ」など、想像するだけで不快指数が上がり、めまいがするのだ。蛍の光が鳴るまでヨドバシカメラをうろつき、足がじんじんするまで紀伊國屋書店に浸っていた一時帰国の日々が、懐かしいことこの上ない。

北ルソン通を気取り、このようなブログまで持っていながら、そういうわけでバギオ事情には疎い私にも、変わるバギオ、変わらぬバギオは感じられる。日本人の拓いたケノン・ロード、日本人の住み着いたセッション・ロード - バギオは歴史を刻み続ける。平和でのどかなバギオというところだけは、ずっと変わって欲しくないものだ。

007
来年の市制100周年に向けてか、歩道の整備される
セッション・ロード。

009
車椅子用のスロープも、このように各所に造られている。

078
このような通りの名前のプレートも、最近になって
設置されてきたように思う。

079
しかし、こちらは変わらぬバギオ。信号が、機能していなかった
(あまり誰も守っていなかった)にせよ、灯っていたのは何日くらい
だっただろうか。

076
そして、こちらも変わらぬバギオ。どんなに都市化が進んでも、
昔ながらのこういう物の持ち方(運び方)は、いつまでも
風景の中にあって欲しいものの一つである。

にほんブログ村 海外生活ブログへ にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
(にほんブログ村のランキング参加中。類似のブログもこちらから)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/09/21

My Manila Memoir

「Floody Manila」に多くの方々のご訪問をいただき、ありがとうございました。

国に帰ってしまった友人のことを寂しく思っていると、急に去年の3か月のマニラでの日々のことが懐かしく思えてきました。

そこで、今回は、その3か月滞在していたアパートの窓からの景色を、デ・ラ・サール大学やマニラ湾などを中心に50枚近く、一つのアルバムにまとめてみました。ちょっと枚数が多くて恐縮ですが、細切れの時間に少しずつ、あるいはお時間のある時にまとめてご覧いただけましたら幸いです。アルバム名は「My Manila Memoir」。右手のサイドバーからアクセスすることもできますが、こちらからもご覧いただくことができます。

今後とも、当ブログをよろしくお願い申し上げます。

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログへ にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
(にほんブログ村のランキング参加中。類似のブログもこちらから)

 

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008/09/09

Floody Manila

いつもご足労(指労?)いただきありがとうございます。

しばらく間が空きましたが、結局、アルバムからの写真をろくにご紹介することができないままに帰比、少しずつ北ルソンでの日々を取り戻しつつあるところです。

今回、所用でマニラに行くことがあったのですが、そこで、マニラの方々には十分おなじみの「洪水」に遭遇しました。私にとってはなかなかにショッキングなことでしたので、撮った写真をアルバムにまとめてみました。「Floody Manila」というアルバムは、右手のサイドバーからアクセスすることもできますが、こちらからもご覧いただくことができます。

今後とも、当ブログをよろしくお願い申し上げます。

 

 

にほんブログ村 海外生活ブログへ にほんブログ村 海外生活ブログ フィリピン情報へ
(にほんブログ村のランキング参加中。類似のブログもこちらから)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2008年7月 | トップページ | 2008年10月 »