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2007/07/07

長距離バスの難?

もう1年以上も前になる。忘れもしない4月1日、私たち家族を乗せたバギオ発マニラ行き、ビクトリーライナー(Victory Liner)社のバスは、マニラへの道のりとしては最後のクライマックス、北ルソン高速(Northern Luzon Expressway: NLEX)に入り、一路、速度を上げたばかりだった。バギオを出たのは午後3時頃だっただろうか、 時は既に夜の8時をまわっていた。片道7時間の長旅もいよいよ佳境、週末にしてはところどころ空席の目立つバスの乗客も、 ほとんどがうつらうつらと眠りの中にあった。

私も、しばらく読んでいた本を閉じ、少しうとうととしていたところであった。「パーン!」 突然の大音響で驚いて目を覚ますと、 バスは急停車、車内は騒然としていた。見ると、服が何か、一面、粉だらけになっている。ガラスの破片だ。「痛い……」  左手に座っていた妻に目をやると、左頬に血が流れている。抱いていた娘には傷は無いようだ。自分でカバンからティッシュを出して、 ドロドロとゆっくり流れ落ちる血を拭いているので、私はとりあえず、カメラを取り出し、夢中で写真を撮る。通路にもガラス片が散乱している。 よく見ると、右手斜め前の大きなガラス窓が割れて手の平大の穴が空いており、その周囲は原形を留めないほどに細かくひびが入っている。

「マミー、大丈夫?」 4歳の娘が心配そうに母親の様子を尋ねている。「大丈夫、思ったほどひどくはないみたい」 確かに、 動脈血なのだろう、ドロドロと濃い血を拭ってみると、傷はわずかに妻の左耳の前のもみあげ部分、 ちょうど頬骨がとがって固く盛り上がっている部分に、1cmほどの切り傷があるだけだった。血の痕がなければ、 髪の毛に隠れてわからないところだ。フィリピン人の乗客は、タオルやティッシュを渡してくれるわけでもなく、 じろじろと好奇の目で様子を伺っている。中には、こちらを指さしてにやにやと笑って語り合っている者たちもいる。

血を拭っている様子に気づいた車掌が、血相を変えてやって来る。「大丈夫」 応対する妻を残して少し外に出てみる。 白地に赤のラインの走る、すっきりとしたデザインの車体、本来ならば流れる景色をゆったりと楽しめるはずの大きな窓に、 実に間の抜けた穴が空き、ひびが走っている様子が暗闇に浮かぶ。続けて写真を撮る。

車内に戻ると、車掌が段ボール箱の切れ端を持ってくる。連絡先を書いて欲しいと言う。どうせこんなもの、と思いながらも、 万一のことを考えて応じる。「見て」 妻が足元から拾い上げた物 - それは、直径5cmほどの石だった。「これか……」 どうやら、 右手前方から飛んできた石は、一列目と二列目の間の窓を突き破り、 そこでかなりの勢いを奪われた状態で三列目左手に座っていた私たちのところに飛んできたようであった。そして、 たまたま本を閉じてシートにゆったりともたれかかっていた私の前を通り過ぎ、たまたま首を右に傾けて、 寝ている娘の様子を伺っていた妻の、左の頬骨部分をかするようにしてわずかな切り傷を作り、床に落ちたのだった。 あらためて右側の座席に座っていた乗客の様子を見てみると、幸い、石は彼女たちの頭上を越えたようであった。

それにしても、もしも、私が本を開いて読み続けていたら、石は私の手を直撃していたかもしれず、 あるいは本の端で跳ねて私の顔を直撃していたかもしれない。もしも、妻が普通に正面を向いて座っていたなら、石は、頬骨をかすめるどころか、 妻の右目を直撃していたかもしれない。まさにそういう軌道であった。

やがて、後続のバスが来て、乗客は全員そちらに乗り移ることになる。当然、誠意ある説明も何も無く、詫びの言葉も無い。否、 この国では最初からそのようなものは期待してはいけない。運転手と車掌の二人が、パニックでおろおろしているのである。

新しく乗ったバスでは、あらためてチケットの提示を求められる。いつもはきちんと保管しているものが、この日に限って1人分しかない。 事件に遭ったバスの車掌から説明を受け、状況を理解していてしかるべきこちらの車掌が、何かぶつぶつと言ってくる。 チケットが無いなら料金を払えと言うのだ。無視していると、あきらめて自分の場所に戻っていった。

やがて、その後は何事もなく目的地に着く。そして何事も無かったかのようにバスを降り、タクシーを拾い、ホテルにチェックインする。 部屋で服を着替えようとすると、パラパラパラと何かが落ちる。ガラスの破片である。 見えるところにあったものはおおよそ払ったと思ったのだが、まだまだ頭の先からズボンの裾までかぶった破片がこびりついていたようである。

「見て」 妻が言う。見ると、娘のおでこに大きなこぶができてきている。どうやら、妻の頬骨をかすめた石は、どこかで跳ねて、 抱いていた娘のおでこに落ちたようだ。幸い、こちらも髪の毛のかかっている部分で難を逃れたが、これもまた、 数センチずれれば、眠っていたとはいえ、目の上に落ちていたところである。

あれから1年以上が経つ。ビクトリーライナー社からは何の連絡も無い。あるわけがないと言っても過言では無いだろう。 この国の顧客サービスは、どこもこの程度のものだ。純朴そうな車掌が心底うろたえて、とっさの思いで名前と連絡先を訊いてくれたという、その気持ちだけでも、良心的な車掌さんで良かった、と感謝しなければならない。最初から何も期待はしていけない。怪我をした者が悪いのであり、 殺された者が悪いのである。

友人のフィリピン人に話すと、おそらく投石機によるものだろうと言う。確かに、 暗い夜の高速を80キロ近くで飛ばすバスへの投石である。人の投げたものではないだろう。彼によれば、 ビクトリーライナー社は雇用関係の問題のこじれが報道されていたという。解雇された元運転手、元車掌の恨みによる犯行であるとすれば、 あまりに空しい行動である。自分の仕事としていた「神聖なる職場」を血で汚したのである。否、この国のなりわいの多くを見るなら、 そのような大仰な言説すら、そもそも空しい。

幸い、私たち家族は無事であった。キリスト教宣教師の一家として、神の守りを感謝する。企業や社会が何も保証してくれなくとも、私たちを守り、養ってくださる神が、祝福を増していてくださる。 今日も家族全員が無事であった。そのことの感謝を日々身を持って告白できるのも、この国に生きることの一つの皮相的な喜びではある。

バスの話題が続いたので、そろそろ自分の中での時効と思い、書いてみた。娘は今でも、バスの窓に少しでもひびが入っていると、 怖がってべそをかく。私はと言えば、今週もまた、そのビクトリーライナーでマニラとバギオを往復する。神の守りを祈り続ける毎週である。

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破片の散らばる座席
ガラス片の散らばる座席。

血の飛んだ前の座席
妻の血の飛んだ前の座席。

ガラス片の散らばる通路
ガラス片の散らばる通路。

穴。車内から
緑のライトの見える辺りに、暗く大きな穴が空いているのが見える。

ひびの入った窓ガラス
穴の周囲のガラスは細かいひびが全面に広がっている。
よくぞ窓全体が落ちなかったものだ。当時、この座席に
乗客はいなかったが、崩れようによってはこの座席の前に
立っていた車掌がやられているところであった。

車外から 車外から(2)
車外から。左隣の窓ガラスと比べてみると、いかにひどい
ひびが入っているかがわかる。

ホテルにて
ホテルで再び散らばった破片の一つ。1cm×5mmほどの大きさだ。
左は10ペソ硬貨。

 

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