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2007/02/27

質素でも豊かな結婚式

知人の結婚式だというので出かけてきた。私のフィリピンでの父親の一番下の息子だから、そのノリで言うと私の「兄」にあたる。在比7年の私は、フィリピンではまだ7歳の子供なのだ。ラ・トリニダード(La Trinidad, Benguet)の町役場で式を済ませて、近くの新婦の家で披露宴をするというので、ワイシャツにネクタイ、革靴、妻はロングスカートにハイヒールというそれなりの格好で出かけていった。

式のことは前から聞いていたのだが、当日になるまで連絡がない。朝の6時半に電話があって、役場に8時に来られないかという。そんな急な話、無理無理、ということで、9時にしてもらう。7時半に出て、遅れてはいけないとタクシーで駆けつけると8時半には着いてしまった。

そこからが長かった。まったく、いったい何年フィリピンに住んでいるのだろう。彼らの言う時間を真に受けたのがうかつだった。結局、招かれていた全員が揃ったのが11時半、そこから新婦の家に向かうというので、みんなで大きなトラックの荷台に乗り込んだ。JRの都市部の普通電車のように長いすが2列、向かいに渡してある。

そこからが長かった。途中で大量にパンシット(日本でいうビーフン)やジュースのペットボトルを買っている。をいをい、もう12時だよ、これから料理すんのかい? みんな、なんとなくそんな感じ。聞いていたブヤガン(Buyagan, La Trinidad, Benguet)といえば、役場から車で10分ほどのところのはず。ところが、トラックはどんどん山奥に入っていく。ついに幹線道路を外れ、およそこんな大きなトラックが通るようには設計されていないような山道をくねくねと登っていく。コンクリートの節約のため、車の車輪が通る轍(わだち)にあたる部分だけ舗装されている道を、長いトラックが脱輪することなく右に左にと走っていくのだ。あの内輪差を体で感じている運転技術はすごい。

40分ほど走っただろうか。やがて、みんなが降り始める。山道を歩くのだという。スラックスに革靴、ネクタイを締めてこんな山道を歩くのは初めての体験だ。30分ほど歩いただろうか、ようやく新婦の家があるという人里離れた山村に着いた。こんなところまでラ・トリニダードというのが驚きだ。

一足先に女性と子供たちだけで来ていた妻と顔を合わせる。お互いにうんざりしている。いや、参列者たちはみんな「聞いてねえよ、こんなの」と言わんばかりの辟易した表情だ。なんでも、彼女たちが来たのは別のルートで、険しい山道をさんざ登ってきたのだという。用心のためにビーチサンダルを持ってきていた別の女性が、親切にも自分の大変さは省みず、ハイヒールの妻に貸してくれたのだという。4歳の娘も、誰かが黙って抱いてその山道を登ってくれたのだそうだ。

結婚式が始まる。役場の人前式で済ませるのだと思ったら、ここであらためて牧師さんの登場だ。形だけワイシャツを羽織っただけの「正装」。見れば新郎新婦も普段着だ。新郎の叔父にあたるこの牧師さんは、新婦の名前を覚えておらず、何度も聞き直して二人と参列者の失笑を買う。そうするうちに、親戚の一人が私たちのところに来る。結婚指輪を貸してくれというのだ。

もう何があっても驚かない。妻と指輪を外して渡すと、それは牧師さんのところに。結局、牧師さんはそれに気づかず、最後まで机の上に放置されてしまった。まあ、いいよ、「身内」のことだし。やがて一通りの式が終わり、晴れて夫婦としての宣言を受けた二人の誓いの口づけの時となった。新郎は照れて、着ているジャケットの前の部分をつかんで高く掲げ、そこに隠れて口づけをしようとする。これは微笑ましい光景だ。

写真を撮りながらにやにや見ていると、私の名前が呼ばれる。日本人宣教師に花を持たせて祝祷をしてくれというのだ。今日はオフなのに聞いてねえ~と思いながらはいはいと出て行くが、あれ、英語で祝祷ってどうすればよかったっけ? いくら格式も何もない普段着の式でも、祝祷はこけるわけにはいかない。ちょっとおごそかな口調がちょうどいい。ゆっくり重々しく祈り始めながら、そうそう、あおぎこいねがわくは、われらのしゅいえすきりすとのあい、ちちなるかみのめぐみ、せいれいのしたしきまじわりがうんぬん、と思い出す。後は徐々についてくる心を精一杯込めながら、同時通訳をすればいい。あ~めん。

豚の塩ゆでにビーフンという典型的な宴会料理をいただいた後はスピーチだ。新婦は早くに両親を亡くしたということで、親代わりのおばあちゃんのスピーチが涙を誘った。クリスチャンだというおばあちゃんの二人のためのお祈りは、熱く、心のこもったものだった。

思えば私たちの結婚式も、未熟で、周りの皆さんに頼り切りの、失礼ばかりの結婚式だった。貧乏で、招待した友人や知人に交通費さえ出せなかったんじゃなかっただろうか。穴があれば入りたいような思い出だ。でも、皆さん、心から祝ってくださった。思いもしない遠出の結婚式にはなったが、終わってみれば、質素でも豊かで、心温まる結婚式だった。孤独で無口な、狩人で農夫の「お兄さん」がつかんだ幸せ。奥さんはこんな田舎の村で育ったので、「お兄さん」と一緒に山奥の村で農業をすることに全く抵抗が無いのだという。お互いにぴったりの、最高の相手に出会えたものだ。幸せになって欲しいと心から思う。

帰り道は雨で、妻と娘は風邪を引き、私は慣れないのに無理して食べた豚の脂身にあたったのか、その後、数日、ひどくお腹をこわして寝込んでしまった。それでも、素敵な結婚式だった。

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(クリックすると拡大写真(800×600)がポップアップします)

ラ・トリニダード町役場
ラ・トリニダードの町役場。
「フィリピンのイチゴの首都」という表現がなんとも良い。

結婚式 (1) 結婚式 (2)
これまた山奥の村から招かれてきた牧師さん。
格式も何もあったものではないが、人間くさくて微笑ましい。

ニッパハウス
「ニッパハウス」と呼ばれるわらぶき屋根の家が風情がある。

口づけ スポンサー
(左)クライマックスに照れる二人。
(右)結婚を証明する書類に署名をする、スポンサーと呼ばれる証人たち。

新郎の父 新婦の祖母
(左)新郎の父。私のフィリピンでの父でもある。
この前日に少し手術を受けたばかりだが、愛する息子のために
一歩一歩、山道を歩いて駆けつけた。
(右)女手一つで育ててくれたおばあちゃんの言葉に感極まる新婦。

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