カテゴリー「02 日常生活」の26件の記事

2010/11/28

Hello, Good-bye - 我が家の居候たち

このところ、我が家に家族が増えている。と言っても、イゴロット族の伝統にのっとって10人の子どもを目指すとか、はとこが転がり込んでくるとかいうわけではない。本来、ペットだったハムスターに加えて、アヒルとヤギがもらわれてきたのだ。

私たちの家のあるのは、バギオ市の郊外のとある大学院のキャンパス内で、そういう場所柄、セキュリティーも万全で非常に閑静な敷地となっている。ご近所はアメリカ人家庭が5軒、フィリピン人家庭が3軒、マレーシア人家庭が1軒だが、ペットを飼っているのはそのうちの4軒、いずれも屋内で犬や猫を飼うだけで、庭にアヒルやヤギがいる家庭は無い。

アヒルは実は静かだ。興味津々のフィリピン人職員たちによると、複数いるとうるさいのだが1羽では静かなのだそうだ。問題はヤギだ。腹を空かせては「バアァァァ」、人恋しくなっては「バアァァァ」と、ご近所に気を遣ってしょうがない。一度など、あまりの鳴き声に、一晩、家のバスルームで越させることがあった。ただし、最近は夕方も6時を過ぎるとおとなしく寝てくれるようで、事無きを得ている。

ところが、ようやく3匹(個体?)との暮らしにも慣れた頃、残念なことに、ハムスターが息を引き取った。朝は元気に走り回っていたのに、夕方になると急に元気が無い。妻によれば、ハムスターというのはそういうもののようだ。来年は長期3か月にわたって一時帰国の予定なのでそれまでには見送れればと思っていたのだが、こんなに早く、またこんなに急に別れの時が来るとは思わなかった。小さなハムスター一匹とはいえ、いなくなれば寂しいものだ。

フィリピン人職員たちのもっぱらの関心は、私たちがいつ、アヒルとヤギを食べるのだろうかということだ。おいしいのはわかっていても、ペットになってしまうとなかなか難しいものだ。来年のことを語れば鬼が笑うと言われても、今からどうしたものかと頭を悩ませている。大きくなったものは元の家庭にお返しして、またかわいい子どもをもらえば、という妻の提案が、最も現実的なものにも思える。

 

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ありし日の「うゆ」ちゃん。韓国語で「ミルク」という意味らしい。

 

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あどけない、というか、アホ面が、今では懐かしいものだ。

 

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埋葬準備の整ったうゆちゃん。天国で会えるのだろうか。

 

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地味なことから「ジミー」と名づけられたアヒル。ちょうど学校で
カンボジアのことを習い、衣装を身につけて楽しんでいた娘と。

 

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水鳥なので水浴びが大好き。

 

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乳牛ホルスタイン柄なので「ミルキー」と名づけられたヤギ。英語で呼ぶと、
「みゆき」という妻の名前に聞こえることに気づき、妻は複雑な心境だ。

 

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とりあえず、しばらくは一緒にいる暮らしを楽しむこととしよう。

 

 

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2010/10/19

台風一過、とはいかないようで

ルソン島北部を東から西へ横断している台風13号(国際名:Megi)は、予報通り、昨夜から早朝にかけて南シナ海に抜けたようだが、現在、海上で急激に速度を弱め、実に時速3kmという、人が歩くのとほぼ同じ速度で進路を少しずつ北に向けている模様。

しかも、秒速15mの強風域は依然としてルソン島ほぼ全域を覆っているうえに、引きずってきた雨雲がかなり多く、これがあたかも13号の子供のように引き続き、大雨を降らせている。まだ数日は続きそうだ。

バギオ全市は停電なのだろうか。私のいる大学院のキャンパス内は、幸いにして発電機が動いており、とりあえずはこのようにネットにも接続できている。バギオ市なのかベンゲット州なのか、あるいは北ルソン全体でなのかは不明だが、既に何家族かが家を失っている模様だが、人命が失われたというニュースは入っていない。ただ、ケノン・ロードをはじめ、いくつかの幹線道路は閉鎖されているとのこと。引き続き、注意が必要だ。気象庁の台風情報ページはこちら。地元の新聞"Sun Star Baguio"のサイトはこちら

 

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バギオ市の中で一番高い場所の一つである私たちの学校のキャンパスも、
このようにすっぽり嵐の雲に覆われ、霧で真っ白にかすんでいる。

 

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雨粒も大きく、時折、暴風にあおられて、横から叩きつけるような雨になる。

 

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そういうわけで、お口直しに、先日、SMバギオのデッキから撮った夕焼けを。

 

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ただし、全く同じ時間に少し左の角度を見ると、このように曇り空。
山はバギオ市西端のサント・トーマス山系。中腹の雲はグリーンバレー。
西海岸からの温められた空気が上昇、一気に冷めて雲になったものが流れ込む。
山の上にいるということは、天候だけでなく、夕焼けの表情も大きく変える。

 

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2010/09/18

PhD Program in Baguio (5)

いよいよ教習が終わり、陸運局での試験だ。聞くと、A1-DrivingのSMバギオ校では、免許取得の支援はバギオではなくパンガスィナン州ウルダニータ(Urganeta, Pangasinan)の陸運局でするのだという。なんでも、バギオの陸運局は自分で車を持ち込まなければならないうえに厳しいのだそうだ。

かくしてウルダニータに乗り込むことになった。A1での免許取得の支援は週1回、木曜日ということ、また、早めに手続きをしてその日のうちに終わらせられるように朝8時きっかりには来るようにということで、前日からホテルに泊まることにした。

当日はA1の教官が健康診断、薬物・アルコール検査、願書の提出までを手伝ってくださった。最初に陸運局の責任ある方への目通しがあったので、そういう信頼関係が既に存在しているのかもしれない。書類の処理にかなり時間がかかったが、そうこうしているうちに写真の撮影とサインの登録(いずれもコンピューター上に)も進み、交通法規の講義と筆記試験、実技試験は午後からということになった。それにしても、片言でもイロカノ語を話す日本人受験生というのは物珍しいようだ。お決まりの山下財宝や子供の作り方講義(うちは一人っ子なので)などのネタで、あちこちでいぢられてしまった。

交通法規の講義は、この陸運局の最高責任者自らによるものだったが、全てタガログ語でよくわからなかった。すし詰めの部屋ではそのまま筆記試験が始まり、これは希望すれば英語の試験ももらえた。50問ほどで全て三択形式になっている。タガログ語での講義で少しわかった部分がそのまま出ていたりしたので、ちゃんと理解していれば受かる試験になっているようだ。日本人としてはこの英語が理解できるかが大きいだろうが、A1からは懇切丁寧な教本(英語:400ペソ)が出ているので、こちらを熟読していれば問題は無いだろう。

実技試験は、建前上は、門から出て、2ブロックほど行って左折、その後も左折を繰り返して一周というコースが講義室の壁に掲示してあったが、この日は、というか、いつもなのか、2つある門の一つから出てそのまま右にメインストリートに合流、15mほどとことこ走り、右手にあるもう一つの門から入るという、ものの1分も走るか走らないかというものだった。左折(フィリピンは右側通行なので、日本とは逆に、初心者には左折が難しい)も無ければ車線変更も無く、停止も無ければギアチェンジすらない。拍子抜けとはこのことを言う。エンスト3回で自動的に失格と言われていたが、エンストしたくてもする場所が無いほどだ。以前、フィリピンの実技試験は前に転がし、後ろに転がし、それでだめなら500ペソ札を見せると聞いたことがあったが、後ろに転がすことすらなかった。

それでも、私のA1での教習の2時間目のような、心もとない受験生も何人もいたし、多くの受験生は、戻ってきて降りる時に、ニュートラルに入れないままにクラッチを緩めてしまい、そこでエンストしていた。車を降りて払ったお金の領収書は、陸運局のものではなく、なんと地元の自動車学校のものだったので、車だけ、借り賃を払ったのか、下手すると実技試験も外注しているのかもしれない。そして、受験生の誰も、落ちた様子は無かった。なんとも緊張感の無い、フィリピンらしい試験風景だ。

かくして試験は修了。しばらく待って、その日のうちに晴れて免許証がもらえるところとなった。教本には、当日は領収書だけもらえて、数週間後に免許証が交付されるということだったので、これももしかするとA1の信頼のおかげというか、最初のエライさんへのお目通りの時点で、既に発行が始まっていたのかもしれない。

聞けば、A1からの教習生として一緒に受験したご婦人は、なんと7時間の教習しか受けていないという。A1の教習車の横に「5時間で教育されたドライバーになろう」とあるが、それを地で行くような作戦だ。うらやましい気もしたが、自分としては30+5時間のフルコースで教習を受けたことが、良い思い出にもなり、貴重な財産にもなっている。日本の教習課程の学科約30時間が欠落している部分は、日本から持ってきた市販の運転教本や参考書、インターネットのいろいろな掲示板を読み漁って補ってきたつもりだ。修了したが終わりはないPhD(Driving in the Philippines)。家族だけでなく、仕事で他人も乗せることになるので、今後も、努力を重ね、安全で技術のあるドライバーを目指していくつもりだ。早朝のアンブックラオ・ロードの下り、コップに水を張ってタホの配達をするのが良いかもしれない。

追記:
ちなみに、実技試験を終えて車を降りてくると、今度はヘルメットを渡され、バイクの免許は一緒につけないのかと言われた。バイクについては何も知らないし興味も無いのでいらないと言った。ところが、一緒にいたご婦人は、私とずっと一緒にいてバイクの実技試験を受けた気配は無かったのに、受け取った免許証はバイクも乗れるものとなっていた。どうやら、実技で乗らなくても試験料として車200ペソ+バイク50ペソを払えばよかったらしい。バイクには本当に興味が無いので後悔はしていないが、最後の最後にあらためてフィリピン的風景を見た気がした。

あと、「健康診断」は色盲検査のみだった。あ、結婚しているか聞かれたのが聴力検査だったのか? でも、あれなら聴力ではなく英語の聴き取りの試験だ。私は軽い近視で、眼鏡をかけたほうがいいクチなのだが、視力検査は無く、私の免許証にも当然、眼鏡着用の欄にチェックは入っていない。バギオの陸運局で路上教習許可証をもらった際には、他の人たちが視力検査を受け、必要に応じて眼鏡を購入しているのを見ているので、やはりこれはウルダニータならではの現象なのかもしれない。いや、あの時も、たまたま私の友人が、だれか政治家さんの特別なキャンペーンで眼鏡の安売りに来ていたっけ。ということは、バギオで視力検査をしていたのもあの時だけだったのだろうか……。ええ、ちゃんと眼鏡は着けますよ、私が運転する時には。

 

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幸いにして当日もらえた免許証。本来は手前の領収書を数週間は
免許証代わりに持ち歩くことになるはずだ。

 

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PhD Program in Baguio (4)

30時間の教習は、仕事が忙しく、こなすのがなかなか大変だったが、なんとか修了することができた。1時間目は学校のオフィスのあるSMバギオの地下2階駐車場で、エンジンのかけ方、1速での半クラから発進の仕方、バックの仕方など、基本を教わった。ところが2時間目からは外だ。SMバギオの近くにある市民会館までは教官が運転してくださり、そこの駐車場でやはり、前に転がし、後ろに転がしを練習した。

ところが、その帰り、そこからSMバギオの駐車場までは公道を走らされた。この時のことは記憶から欠落している。教官によれば、セッションのてっぺんのロータリー、SMの人通りの絶えない横断歩道、駐車場の料金ブース前のハンプ(スピードを落とさせるため、道路を横断する形で一筋、路面を高くしてあるもの)という3点セットで、予定通り、もれなくエンストをしたそうだ。

その後は、徐々にサウス・ドライブ、ミリタリー・カットオフ、ルアカン・ロード、ケノン・ロード、旧マルコス・ハイウェイ、ラ・トリニダード、アンブックラオ・ロードなど、教習の範囲が広がっていった。朝の8時台の教習の時など、渋滞のボニファシオロードで、あの狭い道を対向車線の車が追い越しでこちらの路線に次々に逆走してくるやら、渋滞のセッションロード登りなどで、前後の車間距離がほぼ無い中での坂道発進やら、とにかくエンストを限りなく繰り返しながら実地で鍛えられたと言っても過言ではない。

最後の3時間は豪雨と濃霧のマルコス・ハイウェイ半往復と、これまたバギオでの教習としては象徴的な体験をすることができた。30時間というのはマニュアルのみだったので、さらに5時間、オートマ教習を追加し、この時は、試験会場となる陸運局のあるパンガスィナン州ウルダニータまでの往復となった。おかげで、オートマながら、ケノンロードの「峠道」攻略?とマッカーサーハイウェイの低地ぶん回しの追い越し練習もすることができた。

A1-Drivingの教官は、誰も決してフィリピン人ドライバーとは思えない、きわめて、きわめて安全運転指向の教官ばかりで驚かされた。私のほうが逆に、10年間のフィリピン生活で、ジプニー、タクシー、バスなど、公共交通機関の乱暴な運転に体が慣らされており、知らず知らずにそういう運転になってしまうのだ。何度エンストしても、どこでエンストしても絶対に怒らない、嫌な顔一つ見せない、本当に忍耐強い教官ばかりで、新しいフィリピンを見せてもらったような気がする。そういう教官たちなので、教習生の私にではなく、周りのドライバーたちのことばかり嘆いていた。確かに、フィリピン人の多くがこのA1で教習を受けるようになれば、この国の交通事情も大きく変わることだろう。

フィリピンのドライバーたちは、運転は荒いし、待てない人が多い(何がヤだって、横断歩道で歩行者が横断している間に一時停止しているのを右側車線(日本的感覚で言えば左側)にわざわざ出てまで抜かれるのがイヤ)。ただ、クラクションこそ鳴らすものの、少なくともバギオに限っては、怒鳴ったりにらんだりする人が無いのは紳士的だ。日本のように全国一律の教習所・運転文化に裏づけられた一定の水準や常識というものが無いためか、誰もが初心者、誰もが素人的な共通認識があるようで、互いの異なる運転スタイルを尊重したり、下手なドライバーには思いやりや配慮を見せることも多い。

さて、教官たちはまた、基本はタガログ語を好むが、外国人の私には精一杯の英語で丁寧に応対してくださった。メインの教官など、自分はタガログだが、バギオ校の責任者ということでイロカノ語にも興味があり、私のほうが、教習中にイロカノ語を教えてあげながらのドライブとなることも多く、それも一興で楽しかった。

A1-Drivingのスタッフもまた、若いが丁寧なよくできた女性だった。時折、学校の都合での教習スケジュールの変更を、こちらの都合を尋ねることなく一方的に通知してきたり、こちらからの携帯メールでの重要な問い合わせには返事が無かったり、そこはフィリピンのカスタマーサービスならではの、どうしようもなく三流で「なってない」こともあったが、それ以外はまずまず、気持ち良く教習期間を過ごすことができた。

教習車もカローラ・アルティスの新しいもので快適だった。いくらか足せばさらに高級な車での教習もできるようだ。A1-Driving、この国の相場的には最高級クラスの自動車学校だが、30時間26,000円程度なら、在比日本人の方には十分にお勧めできる。次回はいよいよ陸運局での試験の様子をご報告する。

 

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ケノン・ロードのライオンズクラブのライオン像まで行った時のもの。
この人がメインの教官。ユーモアたっぷりの面白い先生だった。

 

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教習車近影。スマートなデザインだが、右手の、原子力発電所のような
黒と黄色のマークがどことなく怖い。

 

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2010/06/03

PhD Program in Baguio (3)

さあ、与えられた時間は1日だけ、翌日にはビザの更新手続きのため、パスポートと外国人登録証を学校の学務係に提出しなければならない。ポルタ・バーガの1階の写真屋で証明写真を撮り、20分後に取りに行く間に銀行でお金をおろしておく。まずは郵便局の2階、交通通信省(DOTC)のオフィスだ。

ここで思わぬミスを犯してしまった。人物証明書(clearance)を発行してもらいに行ったのが、それをうっかり忘れてしまい、路上教習許可証(student permit)を発行していただきに来たのですが、と言ってしまったのだ。愛想の良い警備員のお兄さんに、あ、それならここじゃないよ、エンジニアーズ・ヒル(Engineers' Hill)の陸運局(LTO)だよ、と言われ、あ、わかりました、とエンジニアーズ・ヒルまで歩く。タクシーなら3分、40ペソほどだが、ビクトリーライナーの長距離ターミナルの界隈なので、十分に歩ける距離だ。

見当をつけていた建物は、残念ながら高等裁判所だった。雨がきつくなってきたので、タクシーを拾う。なんのことはない、ビクトリーライナーから同社経営のホテルの横を抜けて左折したところだった。在バギオ10年半にして初めての訪問だ。ここで、人物証明書と路上教習許可証の違いに気づく。ま、いっか、証明書なしでも許可証を発行してもらえるか、やってみよ、と気を取り直す。

既に多くの人々がそれぞれの順番を待っている。少しずつ、何がどうなっているのかを見きわめていく。これまた愛想の良い警備員のお兄さんが受付を兼ねていて、持ってきた書類を確認、記入する書類の指示をしてくれる。もらったリストを見てみると、人物証明書は必要なかったようだ。手間が省けて良かった。外国人は少し偉いめのスタッフによる書類審査が必要なようで、オフィスの中に案内されて少しのやり取りの後、OKが出る。滞在資格の再確認に加えて、語学力の簡単なチェックも兼ねているようだ。英語は問題ない、タガログ語はからっきし、ところが、イロカノ語なら少しはと言うと、オフィス全体の手が止まり、一斉に注目を浴びる。珍しい外国人なのだろう。一気に場が和むのはいつものことだ。皆さん、親切で愛想の良い人ばかりで安心する。

午後1時に戻って来るようにと言われたので、SMに戻ってフードコートで昼食を済ませ、1時過ぎにオフィスの入り口で待っていると、外の待合スペースでということだったようだ。見ると、教習許可証、免許の新規申請、更新など、それぞれのケースに応じて、イラストつきの丁寧な説明が掲示してある。なかなかやるじゃん、と一人、嬉しくなる。

写真も必要なかった。一連の手続きの中で撮ってくれるのだ。デジタル処理が進んでいるので、写真を提出されてもかえって困るのだという。小1時間ほど待って、無事に教習許可証をもらうことができた。320ペソ弱(約700円)、これでこの瞬間から、"Professional"というカテゴリーの免許を持つ人が同乗してくれれば、路上を走らせることができるという、なんとも恐ろしい国だ。

その足でSMに戻り、A1で履修手続きも済ませておく。若い女性スタッフはラ・ウニオン州のイロカノ族ということで、ここでもイロカノ語で一気になごむ。結局、A1でも、戸籍抄本の写しはおろか、パスポートも外国人登録証も、コピーすら不要になっていた。まさに、必要なのは教習許可証の提示だけだ。LTOでも、必要なのはDOTCでもらったリストのままで、戸籍抄本の写しは求められなかった。コンピューター管理が進み、外国人登録証もIT化されたことで、各所での手続きが恐ろしく簡素になっているようだ。あ、朝にわざわざ時間を割いて撮った写真は、ここで役に立った。2インチ四方のほうではなく、0.5インチ四方の小さいのが2枚必要だったので、結果的に助かった。

結局、他の学校ではなくA1にしたのは、ここまで見てきたようになりゆきだ。ただ、路上で見る限り、多くの学校が、見るも哀れなポンコツ教習車なのに対して、A1はそこそこのものを使っているのを見ていたし、女の子がイロカノなのは、タガログの店員とは文化的に波長が合わないことの多い私にとっては大いに心強い。教習は既に予約が詰まっており、2週間ほど待たなければならないが、30時間の教習がどんなものになるか、楽しみなことだ。

 

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まずは、丸一日を費やした甲斐ありの書類たち。左が路上教習許可証、
右上がA1の学生証、右下が領収書と、手書きの注意事項のコピー。

 

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プライバシーに気をつけつつ(笑)、拡大してみる。

 

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PhD Program in Baguio (2)

そういうわけで、緒論をとうとうと述べてしまうのは、アカデミアに中途半端に身を置く者の悪いクセだ。"PhD in Baguio"と小じゃれてみても、それほどまでバギオを知る者となりたいと願ってみても、実際に知っているのは、ジプニーで行ける、それも、限られた場所の限られた一部のみだ。そういうわけで、まずは自動車学校で情報収集を始めるしかない。

実は、数年前にも一度、免許の取得を試みたことがあった。SMにあったA1 Drivingという学校だ。おそらく、仕事が忙しくなって続かなくなってしまったと思うのだが、半日の講義をタガログ語で受け、実習のために路上教習許可証(student permit)を取得してきてください、というところで止まってしまったのだ。

まずは、おそるおそるSMの最上階にあったオフィスを訪ねてみる。と、移転されている。セッション・ロードのどこか途中にあるという。行ってみると、雑居ビルの暗い2階だ。看板は出ているがオフィスが無い。これでA1とは縁が切れたと思った。

最後までA1にこだわったのには理由がある。最初の入学の際、日本から戸籍抄本(フィリピンのbirth certificateに相当)の写しを取り寄せるなど、とにかく手続きが煩雑だったからだ。それで、仕事の多忙さもあり、許可証を入手しに行くのに二の足を踏んでしまったということがある。今回、A1なら、あわよくば、数年前に提出した書類の数々が保管されているかもしれないと考えたわけだ。

数年前にA1に行き始めた際、フィリピン人の友人が、ええ~っと驚いた。なんでもA1は、一番高い部類の学校に入るのだそうだ。もっと安いところ、知ってるのに……ということだった。そういうこともあって、今回、A1と縁が切れたのはこれ幸い、安いところに行ければいいと思っていた。

偶然は数日前に訪れた。友人に車に乗せてもらい、SMに行った際、地下1階の駐車場からの入り口の横にA1のオフィスを見つけたのだ。さっそく訪ねてみると、数年前の私の記録は残っていなかった。珍しく愛想の良い女性スタッフに聞くと、郵便局2階の交通通信省(Department of Transportation and Communications:DOTC)で人物証明書?(clearance)を発行してもらい、それを持って陸運局(Land Transportation Office)に行き、路上教習許可証を発行してもらってきてくだされば、履修手続き(enrollment)ができます、と言う。

善は急げ、その足でDOTCに行ってみると、さすがバギオと言っていいのか、役所なのに親切に応対してもらえる。なんと、必要な書類の一覧のコピーまで用意されているという、フィリピンでは超優良なレベルに相当する手際よさだ。必要なものは、パスポートの写し(メイン、一番最近の到着スタンプ、有効なビザの各ページ)、外国人登録証(I-card)の両側の写し、さらに、有効なIDの両側の写しを、各2通ということだった。

ちょうど、学校の学務係にはビザの更新の申請書を提出したばかりだった。この機会を逃すと、1か月半ほどパスポートとI-cardはマニラに行ってしまう。さっそく1日だけ猶予をもらい、翌日、許可証の取得とA1への入学手続きを済ませることにした。

 

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DOTCで渡されたスリップ。愛想は無いものだが、ここまでしてくれれば、
そして、笑顔で迅速に応対してくれれば、フィリピンでのサービスとしては
超一流だ。バギオの住人であることが嬉しくなったひとときだった。

 

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PhD Program in Baguio (1)

子供の頃から今に至るまで、我が家には車というものが無い。市バスが1時間に5-6本は走る、公共交通機関に恵まれた環境に育ったことが大きい。大阪府北部というのは便利な地域だ。「三都物語」に象徴されるがごとく、主要な都市には、ジプニーに乗るような手軽さで行けてしまう。運賃が格安に設定されているからだ。もっとも、地元の街でも、たいていの用は済ましてしまえる。

大学は広島市に行った。毎日が遅刻との戦い - 市内に下宿し、原爆ドームから平和公園を自転車で駆け抜ける日々だった。キャンパスは2年の秋に東広島市に移転。多くの友人が陸の孤島に移り住むか、車で通学するのをよそに、卒業まで電車とバスで通った。

フィリピンに来て10年半、車は持たずに来た。経済的に余裕が無かったわけだが、狭いバギオ、細かいジプニーの路線さえ覚えてしまえば、こちらも、- それこそ初乗り約15円(150円ではなく)から - たいていは事足りる。家のある大学院のキャンパスが町外れにあり、本数が少ないのが玉にきずだが、工夫をすれば生きてはこられた。結果、タクシーの捕まらない夜の外食など、これまで数回しかしたことがない。単調だが、それはそれで慎ましい暮らしだ。

しかし、仕事の幅が広がるにつれ、自由に動けないことがストレスになってきた。そもそも、友人が訪ねてきてくれても、ちょっと送っていくことすらできず、道端で一緒に何十分もジプニーを待つというのは、話としては情緒もあるが、現実、どうにも情けない。娘の就学も大きな転機となった。こちらも町外れにあるアメリカンスクールは、親に車があることが暗黙の前提となっている。幸い、感謝なことに、不思議な形で助けが得られてきてはいるが、事あるごとに不便なのには変わらない。

それというのも、車の免許が無いからだ。車は学校のものが自由に借りられるからだ。

仕事で、北海道から沖縄まで、全国をまわった際に痛感したのが、免許が無いというのは、半ば「非常識」の部類に入るということだった。「免許はお持ちですよね、車ならお貸ししますよ……」と聞かれた際の、「あ、いえ、実は無いんです……」と打ち明ける際の相手の反応を通して、社会で少数派と呼ばれる人々が「カミングアウト」する際の、どれだけ勇気がいるものか、どれだけ肩身の狭いものか、その一端を学べた気がする。大阪府北部が問題なのではない。市バスの停留所のすぐ前にあった我が家が特殊な環境だったのだ。電車の駅から徒歩10分に生まれ育った妻も、事情は同じだ。

そういうわけで、在「この世」42年目にして、在比11年目にして、このフィリピンの、このバギオで、免許を取ることにした。今日にでも車を買える予算がついたということも大きな後押しとなった。仕事では、願わくばPhD(Doctor of Philosophy)が必要なのだが(こちらでの検索で来てくださった方には、ごめんなさい……)、当面の課題は"Driving in the Philippines"だ。どうなることやら……。

 

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2010/05/30

雨期の始まり - 別の戦い

今日も午後は大雨……。夜になった今もまた、ひどい雨が降り続いている。いよいよ、今年も雨期の始まりのようだ。夕方に雨が降り始めるのがやがて午後になり、午前になり、ついには一日中になり、雨が降っていなくても一日中、真っ白な霧(雲)の中というのが、標高1500mのバギオの雨期だ。これに台風となれば、横から下から暴風雨が吹き荒れる。これがまた11月まで続くかと思うと憂鬱になる。

去年の台風17号(ペペン)のような土砂災害が起こらないことを願うばかりだが、雨期の終わった11月以降も、閉鎖された幹線道路が応急的に通れるようになっただけの復旧作業しかされていない。このような現状では、ちょっとした豪雨でもすぐにまた地滑りに襲われることは十分に想像ができる。一昨日も、バギオ市のある場所では既に、地滑りで埋まった家があったそうだ。幸い、生き埋めになった人々はすぐに掘り出されて助かったようだが、先が思いやられる。

 

生死にかかわる被害でなくとも、これからはまた湿気との戦いの季節になる。我が家のようにとかく本が多いと、カビ対策もさることながら、湿気を吸って膨らむ紙との戦いにもなる。雑誌類は特に、そういう種類の紙を使っているのか、膨張率が高いようだ。

こちらも要領がわかってきて、読み捨てごめんのものにはビニールのブックカバーなどかけなくなったが、傷んでだめになったが最後、買い直すことのできない高価で貴重な学会誌などは、やはりカバーをかけておきたい。いきおい、少し目を離すと、醜くプクプクに膨らんでしまうことになる。除湿器も何台も稼働させてはいるが、それも電気代がかさむ。結局、マニラなどの低地とは違ってエアコン代が全く不要な分、除湿器に不要なコストを持って行かれているのかもしれない。

どこに行っても、理想的な住みかなど無いものなのだろう。

 

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湿気で無残に「プクプク」になった雑誌たち。最近は、すぐにカバーを
かけることはせず、一定期間、気候に馴らせてからにしているが、それでも
紙というのは正直なものだ。

 

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あらかじめ「膨らみしろ」を取るわけにもいかないし、これらの管理は難しい。

 

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2010/04/25

Persona Grata? Non Grata? - 微妙な客人

しばらく更新が滞っており、すみません。仕事のほうで新しい業務が始まり、日々追われてしまっていて、なかなか時間が取れずにいます。コメントも戴きっぱなしで申し訳なく思っています。


午前中は晴れて汗ばむほどだったのが、午後になってかなり強い雨が降り続いている。バギオでは今年初めてのまとまった雨だ。

あらためて強い雨が降ると、去年の台風17号の被害が自分の中でいかにトラウマになっているかに気づかされる。怖いのだ。強い不安に襲われる。そして、何の心の準備もなく友人の棺に対面した時の驚き、多くの葬儀に参列し、司式の補佐をした際のやるせなさ、被災地に立ち尽くした際の無力感が胸にこみ上げてくるのだ。

しかし、この雨は恵みの雨でもある。農家の人々は日照りと水不足に悩まされている。ある友人など、週に何度か、夜7時から夜中の2時まで地域の井戸の列に並んでいる。一度に一杯にできるバケツは3つまで。家まで運んではまた列に加わる。それでいて早朝は家事、昼間は家政婦として一日中働いている。

また、発電を水力発電に頼るこの地域は、停電も多く感じるようになってきたところだ。10年前でこそ、修了式の朝に女子学生たちが一斉にドライヤーを使ってメインのブレーカーが落ちるという珍事のあった私たちのキャンパスも、今では発電機が設置され停電に直接に悩まされることはなくなった。それでも、その頼みの発電機を休ませなければならないほど停電が続くということが最近もあったばかりだ。

去年の台風17号の1週間には、ただでさえ雨期で降雨量の多い10月の平年月間降雨量の、その4倍の雨が降ったというのに、かつ、それで500名もの人々の命が失われたというのに、その後、実質的に今日まで、まともに雨が降らなかったというのは、本当に恨めしい限りだ。

お昼には、午前中の礼拝で説教を頼まれた近所の教会で、庭で採れたというおいしいカボチャをいただいた。雨が少なく、日差しもきついので大変だと言っていた。フィリピンの人々の生活のリズムに、雨期は避けて通ることのできないものだ。でも、今年の雨期は、人命も財産も奪われることのない、平和で穏健な雨期であって欲しいものだ。もっとも、その前に、平和で穏健な総選挙を望むものだが。

 

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キャンパスの急坂にはさつきが満開と思いきや、
ブーゲンビリアということ。

 

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まとまった雨が降るので慌てて家の前の新校舎に出てみる。

 

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向かいに見えるベッケルの村も霞んでいる。

 

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やはり、雨水が路上を流れるさまを見るのは、
今年はきつい。

 

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2010/02/24

気持ちがありがたいベンゲット豆

フィリピンに来て驚いたことの一つに、おいしいコーヒーが採れるということがある。その名も実にベンゲット種という名前で売られているものだ。標高1,500mのバギオ市内ではさすがに寒いのだろうが、少し郊外に出て、コルディリエラ山地を数百メートルでも下ると、いくつか種類の異なるコーヒーが自生している。

写真のコーヒーは、バギオ市の中心街から東南へ約30分、ベンゲット州イトゴン郡トゥーディング町のアッパー・マンガ村でもらったもの。マンガという名前の村だが、残念ながら涼しくてマンゴーは採れないそうだ。それでも、ポメロという、はっさくのような大きな柑橘類や、甘酸っぱくて珍味なパッションフルーツが自生してもいる、自然の豊かな村だ。

自生のコーヒーをあらためて物珍しく見ていた私のために、友人がわざわざ、自宅の庭で採れたものを、乾燥させ、焙煎し、自宅の臼で挽いて、プラスチックの容器一杯に持ってきてくれた。焙煎といっても、自宅のコンロで、フライパンで手間ひまかけて炒めてくれたもの、挽くといっても、重い杵を右手に左手に持ち替えながら、ゴン、ゴンと砕いてくれたものだ。

ベンゲット豆は意外にコクがありながらもあっさりとしたのどごしで、私たち夫婦のお気に入りなのだが、友人の手間と気持ちを思うと、がぶがぶ行くべきなのか、ちまちま行くべきなのか、わからなくなる。どちらで行くにせよ、ありがたいものだ。

 

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枝に生(な)ったままの豆。

 

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皮がついた状態。かじってみると、皮のすぐ下、豆の周りは意外に甘い。

 

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皮を取ると、一般によく知られたコーヒー豆の姿が。私などがここで
あらためて触れずとも、ここから焙煎の過程が始まる。

 

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友人が届けてくれた器一杯のコーヒー。ここまで仕上げるには、
本当に多くの時間と大きな手間だったことと思う。

 

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