カテゴリー「01 北ルソン点景」の62件の記事

2013/04/11

デザート・ワリーム?

フィリピンには様々な日本食レストランがあるが、その名も"Tokyo Tokyo"(東京・東京)もその一つ。"Takuyaki"(タクヤキ)を初めとする多くの同業者が、ほぼ「ばったもん」の領域を突き進んでいる中で、ここは可もなく不可もなく。以前は白身フライ弁当が大好きで足繁く通っていたが、長年のフィリピン生活がたたったのか、エビアレルギー、白身魚アレルギー(不思議に日本に帰ると治っている)になってしまい、しばらく足が遠のいていた。

今日、約5年ぶりに足を運んでみたTokyo Tokyoは、コンボ(Combo)と呼ばれるラーメンと餃子のセットが美味。ラーメンも、Spycy ChikenとMisono(当地ではなぜか味噌のことをこう呼ぶ傾向がある)の両方が、追加で頼んだSalmon Domburi(サーモン丼)のライスについつい汁かけをして仕上げてしまうほど、いい味だった。ちなみに、このサーモン丼は、何かかまぼこを揚げたようなB級なトッピングで、大したことはなかった。

笑えたのはプリンのようなデザート。コーヒーとグリーンティー、マンゴーの3種類の味があって35ペソ。味は良く、SMに行った際には、食事はしなくともこのスイーツだけ買って帰ってもいいかなと思えるほどの一品なのだが、ラベルに書かれているのは"Creamy Desserts"(デザート・ワリーム)。明らかに「クリーム」が「ワリーム」になってしまっている。商品としての仕上がりがまずまずなだけに、ネタか?とさえ思えるほどのおマヌさ。日本人責任者、出てこい!とツッコミを入れたくなるほどのオチだ。

思えば、Teriyaki Boy(太った少年)では「うどん」が「らどん」に(温泉か?)、最近、バギオにもキャンプ・ジョン・ヘイに出店を果たしたSumo Samでも「にくうどん」が「にきうどん」になっており、何かとゆるいというか、詰めの甘い、フィリピンの日本食チェーンだ。この「デザート・ワリーム」も、中途半端な日本語を使うことで、何か、日本に対して実は微妙な嫌がらせをしようとしているかのような、密かな仕掛けなのかもしれないが、「デザート・ワリーム」という響きがどこまでも憎めないのもまた、妙にフィリピンらしく思えるのだ。

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表面はミルクムース、下半分は抹茶ムースの優れもの。

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左がコーヒー、右がマンゴー。甘すぎず、まろやかな味が楽しめる。

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2013/04/05

教育の機会均等? ― 田舎町でのYouTube

先月、仕事でアバタン(ベンゲット州ブギアス郡アバタン町:Abatan, Buguias, Benguet)にある大きな教会に行った。仕事の後に大きなレセプションのようなものがあり、多くのごちそうが出されていたが、ひときわ私たち日本人の目を引いたのは、リンゴでできた白鳥(紅鳥)だった。

一つのリンゴをうまく細工して一羽の大鳥に仕上げてあるその姿に、私たちは目が釘づけになったのだ。よく見ると、キュウリでできたイルカのようなものもあり、松ぼっくりのようなスイカの細工もあった。

聞くと、いずれもその教会のメンバーの息子さんと友人の作品で、このレセプションに合わせてユーチューブで学んだのだという。"food carving"で検索すれば、一連の作品の作り方が、ビデオで観られるのだそうだ。

道が良くなったとはいえ、バギオから2時間半の道のりだ。北ルソンのこんな田舎町にまでユーチューブの力が及び、およそ都会の調理師養成学校などには行けそうにない若者たちが、無料でビデオを観ながら学べるようになっている。私の周囲には他にも、ユーチューブでギターの弾き方をマスターしたという若者もある。英語で聴き、読むことに大きな抵抗の無いフィリピンの若者にとっては、ささやかながらも、キャリアアップのチャンスを提供してくれるものとなっているようだ。

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田舎町のフードアーチストたち。誇らしげな笑顔が、
作品以上に輝いている。

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リンゴの白鳥ならぬ紅鳥。見れば見るほどよくできている。
背後にあるのはスイカを彫刻して作られた作品だ。

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2010/11/15

山の笑顔に魅せられて

先日、仕事で訪問したヌエバ・ビスカヤ州の山間部の教会。今日は人々の素晴らしい笑顔をご紹介したい。説明の言葉は不要だろう。この笑顔が見たくて、この笑顔になってもらいたくて、今週もまた、山奥に出かけていく。

 

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2010/11/13

せめてバイクでも無ければ

仕事で行ったヌエバ・ビスカヤ州の山村部での光景。ある村の教会での行事に、9kmほど離れた別の村の人々が来て参加していたのだが、帰って行く姿に圧巻された。めいめいがバイクに乗り、しかも3-5人乗り合わせての帰宅なのだ。

公共交通機関としてのジプニーは1日数便、せめてプライベートなジプニーでも無ければ、否、せめてバイクでも無ければ、隣村に行くのにも事欠くような生活がここにはある。否、家族が一緒でなければ、少々重いものでも担いで9kmを歩いてしまうのが彼らの暮らしだ。

泊めてもらった家のご主人が、車を洗わせてくれと言う。いや、こんな道だし、帰り道でもどうせまた汚れるから、と丁寧に断ろうとしたのだが、ぜひにと言い張る。聞くと、こんなところまで来てくれた感謝とおもてなしの気持ちももちろんあるが、ゆっくりと車を洗わせてもらいながら、いつかはこんな車がうちにも与えられるように神様にお祈りするのだそうだ。

自分のできることで旅人をもてなそうとする真摯な心と素朴な信仰に励まされた旅になった。

 

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家族単位でチームを構成しているのか、家路に着く隣村の教会の人々。
一番左のバイクには、脇の下からのぞいているチビちゃんを合わせて
5人乗りだ。山村の人々はたくましい。

 

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石けん(手前の青いの)で丹念に手洗いしてくれた滞在先のご主人。
子供が10人近くもいれば、最低、古くてポンコツでもジプニーが必要だ。
神様が、その篤いお祈りに応えてくださいますように。

 

 

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2010/11/01

ゴールドタウンはネタの町

バギオ市から南へ車で1時間ほど下ると、かつて金鉱で栄えたバラトック鉱山がある。バギオ市近郊の鉱山としてはこのバラトック鉱山に加え、やや東のゴールドフィールド鉱山、さらに車で大きく1時間ほど南に下ったフィレックス鉱山などがある。他の鉱山もそうかもしれないが、バラトック鉱山の場合、1990年のバギオ大震災を期に鉱山会社が倒産、現在は個人や家族単位による採掘、いわゆるプライベート・マイニング、ポケット・マイニングが行われているだけだ。

このバラトック鉱山の地域に仕事で行く機会があった(関連記事は姉妹ブログ『北ルソンの若葉マーク』の「金鉱の村の無口な優しさ」を参照のこと)。一時は栄華を誇っていた地域が、今はすっかりひなびてしまい、各所に廃墟が残る村々と化してしまっているのだが、それでも人々は、厳しい生活・労働環境の中、歯を食いしばりながらたくましく生きている。

このバラトック地区、鉱山の村々という、現代の日本人にはなかなかなじみのない地域ということもあり、何かと珍しい光景が多い。以下、写真とキャプションをご覧ください。

 

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傾斜の急な山の斜面に挟まれた峡谷沿いに伸びるバラトック鉱山。
写真はバラトック方面からアクーパン方面を望む。

 

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急斜面には、このように鉱夫たちの家が点在する。この写真にも
見えるように台風の土砂崩れなども襲い、きわめて危険。1990年の
大震災時には、坑道の落盤などで多くの犠牲者を出した。

 

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このように山肌には坑道の入り口があちこちに見える。

 

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これもかつての坑道への入り口かと思いきや、通気口。

 

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採掘してきた小さな岩の数々は、このような砕石機で砕き、精製する。

 

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精製には化学薬品が用いられる。このように、排水はそのまま川に
垂れ流す。これは、いちおう一度、貯水することによってろ過している
ということなのだろう。さすがにこの川で泳いでいる子どもたちは見ないが、
他州を流れる下流では、その水で洗濯や食器の洗浄などはしているはずだ。
そうでなくとも街灯など無く、酔った夜道ではうっかり足を滑らせかねない。
子どもが落ちないかどうかも心配だ。

 

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各家庭に乱雑に引かれた水道のホース。水源は山のかなり高い部分の泉に
取っているので、位置エネルギーで、階は関係無く配水されるようだが、
あまりに場当たり的な無秩序さに、日本人としては肝を抜かれる。

 

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その同じ建物には、見ての通り、BSアンテナが設置されている。が、
どうだろう、ルソン島の北部とはいえ、赤道にほど近いフィリピンで
あの角度だと、衛星をキャッチするどころのものではないはずだ。

 

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この建物の中にある教会の看板。こともあろうか、最近のバランガイ選挙に
出馬した候補者の、投票御礼のビラが貼ってある。万人にわかるものではない
マウンテン・プロビンス州の言葉であるところがまたオツだ。「私たち」が
"taku"と"u"で綴られており、かつ「ありがとう」が"salamat"と"l"で綴られて
いることから、同州西部の北カンカナウイ語だろうか。同州東部では後者が
"r"になり、ベンゲット州の南カンカナウイ語では前者を"o"で綴る傾向にある。

 

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山の斜面のわずかな土地を利用して、闘鶏用のシャモ(のはず)が飼われている。

 

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バラトック鉱山近郊全景。左手の山の中腹に広がるのがダリクノ、中央奥に浮かび
上がるようにあるのがアクーパン、その下がバラトック、右手中腹がビラック。
いずれも農地は少なく、一攫千金の金鉱採掘に賭ける、経済的には厳しい地域だ。

 

 

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2010/10/28

飲めよ、病めよ、壁を満たせ

フィリピンで家を建てるのは大変だ。それこそ家族の誰かがどこかに出稼ぎでもしていれば豪邸を建てられる可能性が出てくるが、比較的安定していると言われる公立学校の教師でさえ、定年退職しても新居の柱が数本立っていればいいのだがとうそぶく。

山村部に行けば、なるほど木材は、合法・違法を問わず調達しやすいが、それも木材止まり。現金購入の形で調達しなければならない部分になると、たちまち工程が行き詰まる。

ベンゲット州北東部で泊めてもらった家の話。台所に行くと、子どもの粉ミルクや栄養飲料、薬の空き箱が、壁一面に積み上げてあった。日本ならば、どうだろう、左官屋さんの仕事はよくわからないが、おそらく壁板を貼って上からしっくいなどでも塗るところだろうか。ちょうどその空間を埋めるような積み上げ方だ。内装に使う金が無くての廃材利用の一手法なのだろうか。

住人に聞いても、当を得た答えは返ってこない。おそらく、最初は遊びのつもりで始めたのが、ここまで面が埋まってしまうと、止めるに止められないというところなのだろう。無表情な木材の風景がいいか、カラフルながら雑然とした風景がいいかは、見る人の好みが分かれるところだ。

文化を構成する要素の中には審美感も含まれる。これを美しいと思い、この空間の中で心が落ち着くというのも、それはそれで文化の一つの表情だ。壁が一通り埋まるほどに箱が揃えば、今度はモザイク画にでも挑戦してみたいものだ。

 

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日本人ならやはり地味に木目を味わいたいところだろうか。あなたはどちら派?

 

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寄ってみるとそこはフィリピン、かなり雑。これって実は防音のため
なのだろうか? いや、これだとかえって、音は箱の中の空気で共鳴する
はずだ。ということは……?

 

 

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2010/10/15

アップグレード

コンピューター時代になってすっかりおなじみになった外来語の一つに「アップグレード」があるだろうか。それ以前にも車など、オプションが自由に選べる商品には使われていたかもしれない。メモリーやソフトのバージョンをアップグレードするというのは、とっくに日常会話の一部だ。

アメリカの人気テレビドラマ『フレンズ』の第2シーズンで、フィービーのおばあちゃんが電話帳のアップグレードをしているシーンがある。同シーズンの第2エピソードで、「今日は獣医に連れて行かなきゃ」とフィービーが言っていたおばあちゃんだ。電話帳が改訂されたわけではない。新聞の訃報欄をチェックして、電話帳の名前を消しているのだ。「○○さん、行っちゃった(英語では"Gone!")」というわけだ。

先日、仕事で、あるシニア(老人)会館に行く機会があった。シニア会館を借りて300名の若者たちを集めるという企画にも笑ってしまったが、それだけではなかった。そこでまさにアップグレードな掲示板を目にするところとなったのだ。見ると、「お亡くなりになった会員」(Deceased Member)とあり、名前と亡くなった日付、バランガイ名が記されている。

最新が371番というのは数年間の通算だろうか。年間にしては多すぎる。こんなことを無邪気に貼り出してしまえるのも、どうせとっとと良いところ(天国)に行っちゃったんだし、と割り切ってしまえる「キリスト教国」ならではのことなのだろうか。日本なら「謹んでご冥福を」云々、微妙に薄いインクで神妙に書かれているところが、オレンジの台紙にマジックとホワイトで、高校の文化祭のポスターばりに書かれているのも明るい。きっと、名前の間違いも多いはずだ。享年などの表示が無いのは、そもそも生年月日がわからない人が多いからかもしれない。

ところで、私が務めている大学院ではそのキリスト教の指導者を養成している。牧師とか聖書学校教師とか宣教師とか、そういう類の職種だ。プロテスタントなので神父は養成していない。こういうところにも「自分をアップグレードするために来ました」と言うお客さんが来る。

確かにがんばって修了すれば学位が「アップグレード」するわけなので正しい言い方なのだが、こういう学生さんに限って言葉が一人歩きし、何か自分が一つ偉くなっていくかのように勘違いする輩も出てくる。ひとえに教師たちの指導不足なのだろうが、こういう学校だからこそ、「実るほど、頭の垂るる稲穂かな」の和の精神が息づいて欲しいものだ。それも聖書はちゃんと教えているからだ。もっとも、「おごりの春」なまでに活きのいい初心を忘れてダウングレードしちまう学生さんにも困ってしまう。

天国に行っちゃったおじいちゃん、おばあちゃんはいまや、アップだのダウンだの、地上のくだらないものから解放され、楽しく過ごしてくれていればいいんだけど。カトリックだったらやっぱり「煉獄」という、ちょっとヤなところに行っちゃってるのだろうか。案外、300名の若者たちの元気な様子に、「地上の暮らしのほうが楽しかった」などとぼやきながら、神様に「アップグレード」を直訴しているおじいちゃんもいるかもしれない。

 

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300名の若者が集まったシニア会館。奥行きは広く、350-400名は入れる。

 

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これがそれ。それでもフィリピンの手書きにしてはきれいな字体で書かれている
のは、やはり亡くなった方々に敬意を表してのことなのかもしれない。ホワイトの
跡に「アイソス! スィゲ、スィゲ……」という声が聞こえてくる。

  

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2010/09/06

ユダは払わね?

昨日、ナギリアンロードを走る機会があり、ようやく先日のバス事故の現場がわかった。バギオ市からならサブラン町に入って間もない厳しい右カーブで、そこだけ深く切り込んだ谷になっている。他の右カーブは道路下に少し家や畑があり、それはそれで危険だが、万一ダイブしても何らかのクッションにはなり、42名もの犠牲者を出すことはなかったはずだ。あらためて山道の怖さを思った。

また、時が経つにつれて、犠牲者の中に知人の家族や近しい人々があったことが伝わってきた。2週間が経ってもバス会社から遺族には訪問も一時金も無いという。保険会社から支払われたのは、犠牲者には65,000ペソ、負傷者には12,500ペソという。これがフィリピンでの命の値段というわけだ。フィリピン国内での移動にはこのようなリスクがつきまとうことも、知っておく必要がある。

 

さて、在比の皆様には既におなじみの、下の写真のような文言。そのままの"God knows Judas not Pay."では、英語としては非文法的(神はご存じだ、ユダ、払わね)だが、これは"J"を"H"で読むというスペイン流がわかれば"God knows who does not pay."(神は誰が払わないかご存じだ)のもじりであることがわかる。"Judas"(ジューダス)を「フーダス」と読むわけだ。知識だけは英語にうるさい日本人なら"Does"は「ダズ」と濁って読みたいところだが、綴りにできるだけ忠実に読もうとするフィリピン英語では、"does"はあくまで「ダス」なのだ(さすがに「ドエス」とは読まない)。

ジューダス(和名:ユダ)というのはイエス・キリストの十二弟子の一人。銀貨30枚でイエスを裏切り、その結果、イエスは逮捕され、十字架につけられるところとなった。その悪者キャラ感が、「金、払わね」というネガティブな要素と結びついたのだろう。これは、ユダがおそらくは弟子集団の金庫番をしていた(ヨハネの福音書13章29節)ということとも関係はあるかもしれない。

実際は、ユダはイエスを裏切ったことを後悔して、もらった銀貨30枚を大祭司に叩きつけて返却、首を吊って自殺したが(マタイ27:5)、大祭司たちはその金で土地を買って外国人の墓にしたという(マタイ27:6-8)。当時のユダヤでは外国人は差別されていたので、血に汚れた金はその程度の用途でちょうどよかったというわけだ。なお、新約聖書の別の記述によれば、その土地を買ったのはユダ本人で、首を吊ったのもその土地でだという(使徒の働き1:18)。

いずれにせよ、神はご存じだ。ジプニーのお金はちゃんと払うようにしよう。お釣りがきっちり帰ってくるのも、観光客には物珍しい、楽しい旅の風景だ。

 

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2010/06/04

「つわもの」どもが夢の後……

北ルソンのある村で、面白いものを見せてもらった。既に各氏のブログでは紹介されているものと思うが、今年の総選挙で初めて導入されたという機械投票の練習用シートだ。私たちの世代には、共通一次試験(現・大学入試センター試験)というか、それに向けての早期トレーニングとしての、進研ゼミ(旧・福武書店、現・ベネッセ・コーポレーション)の毎月のマークシート課題が懐かしく思い出される。

地方の村にまでこのようなものが配布されていたということは、選挙管理委員会のそれなりのやる気を感じさせるものではある。候補者の一覧表も兼ねている。このシート、下の写真ではプライバシーに配慮して写していないが、1枚1枚に有権者の名前が印刷してあるという手の込んだ代物。ところが、そこは形から入って何事も徹底することのないフィリピンのこと - 大人は、ひとしきり候補者の話で盛り上がった後に飽きたのだろう - 気がつくと、子どもたちが束を握って追いかけっこの奪い合いっこをしている。鉛筆やボールペンを手に、几帳面にマークの練習をする者など皆無なのだ。

「スィゲ、スィゲ」 - 見ただけでわかった気になるフィリピン人……。それでいて、本番ではそれなりにこなしてしまうわけだから、あながちネタにしてばかりもいられない。相変わらずいろいろともめてはいるようだが、全国一斉の停電や軍隊による政権掌握など、事前の様々な憶測を楽しみつつも、まずは平和裏に、一大イベントは収束しつつあるようだ。

 

閑話休題。選挙運動中には、かのサミュエル・ダングワ氏に、在比10年半にして初めてお会いした。ベンゲット州選出の下院議員で、バギオ市-ベンゲット州の住人なら誰もが知っているダングワ企業グループの総帥であり、ダングワ・ターミナルその他の実質的なオーナーのはず。今回は、ベンゲット州知事に立候補なさっていた。私たちのグループの教会の主要な行事に合流しての選挙運動ということで、忍耐の限りを尽くしてくださっていたのだろうが、こんな若造の聖書からの説教に、うとうとすることもなく(失敬)、通訳込みで40分も耳を傾けてくださったのだから、頭が下がった。

もちろん、公(おおやけ)の立場としては、教会の行事なのだからそこはご理解いただかないと困りますし、先生ほどの方がいらしたからといってこちらも一番メインの説教の時間を削ることはできませんよ、というわけだが、私(わたくし)の立場としては、時折、深くうなづきながら聞いてくださっている姿に、この方が多くの人々の信頼を集める方であるわけをかいま見た気がした。残念ながら、当選はかなわなかったようだが、お歳を考えると、そろそろ後進にお譲りになってもいい頃なのかもしれない。

 

「夏草やつわものどもが夢の跡」 - 原義の「兵(つわもの)」であれ、同音異義語の「強者(つわもの)」であれ、そういう輩も多いと言われる「強欲者」であれ、戦いは終わった。かの練習用の投票用紙も、各地で雨に打たれ、朽ち果てていることだろう。フィリピンも、日本も、新しい政治の日々が始まる。「取もの手につかず」は古の旅人だけで十分だ。真に国と社会を「漂白」してくださる人々が待たれる。

 

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レターヘッド。選挙管理委員会(COMELEC)による公式なものだ。
裏面を手前に折り込んでいる側に、実は有権者の名前が印刷されている。
まさにレアものの「マイ練習シート」なのに、そのありがたみを理解している
人は皆無だった。日本なら、3部コピーをとって永久保存する人もありそう。

 

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大統領候補から順番に候補者の名前が並んでいる。裏もびっしりだ。

 

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今となっては当確とされるアキノ候補の名前も見える。
"NOYNOY"のように、愛称が併記されているのはフィリピンならではだ。

 

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2010/05/29

ひっくり返せばいいってもんじゃ……

バギオ市(Baguio City)からイフガオ州ポチア(Potia, Ifugao)に出かけた。ヌエバ・ビスカヤ州バンバン(Bambang, Nueva Vizcaya)までは、アンブックラオ・ロードで山間部を抜ける乗合バンで行き、バンバンで路線バスに乗り換える。バンバンまではふつうは3時間、うとうとしているうちに着いたのは良かったのだが、運転手がじっちゃんだったからか、今回は5時間もかかっていた。

バンバンからは、バヨンボン(Bayombong)、ソラノ(Solano)、バガバグ(Bagabag)というヌエバ・ビスカヤ州の町を抜けてイサベラ州(Isabela)に入り、コルドン(Cordon)、サンチアゴ(Santiago)で降りる。コルドンには10年近く前に行ったことがあったが、距離感はすっかり失ってしまっていた。小1時間ほどのものかとたかをくくっていたら、2時間半はかかるのだという。バンバンでの予定は急きょキャンセルする。

サンチアゴまではカガヤン国道というルソン島の大動脈を行くわけで、足はいくらでもあると思っていたが、そうでもなさそうだ。バンバンの街を出ようとしていたものを慌てて止めて乗り込もうとすると、前のほうは既に満席なのだろう、後ろのドアから乗れ、と車掌が叫ぶ。でも、後ろのドアなんて無い。後方の客が、反対側に回れという。反対側? とりもなおさず従ってみると、なんと、後ろのドアはコンバートされずに左側にそのままある。乗ると、1週間の下宿生活を終えて実家に帰る高校生から選挙前で何かと移動する所用のある大人たちまで、補助席まで出して超満員。車掌など座席の肘掛けの上を移動して切符を切る有様だ。

さて、路線バスといっても、ビクトリーライナーなどのメジャーなものではない。日本の一昔前の市バスのようなものが払い下げになったものだ。この点は、マニラでも一般的なので、とりわけ目新しいことではないだろう。私など、少年時代に出身地で走っていた懐かしの市バス車両を見かけて、チャウキンで麺を吹き出したことがある。今では使われていない降車時のボタンや急停車に備えての注意書きなど、外されずにそのまま残っている。今回の左にそのまま残された後ろドアは「フェイント」としても、ドアやハンドルだけ反対側につけ替えて見事に転用している。

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今回、面白かったのは次の光景だ。

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何でも反対につけ替えるのは良いとして、文字盤まで反対にしているのは、良かれと思ってなのか、ギャグなのか。ぎゅうぎゅうに詰め込まれたストレスな道行きにも、一挙に元が取れた気がした。

 

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こんなものも、剥がさずにそのまま貼ってある。このバス、少なくとも平成5年(15年以上前?)までは熊本、少なくとも九州でがんばっていたようだ。

 

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これはおまけ。これまでひっくり返す必要は無いはず。もっとも、件のバスではなく、通りすがりの事故現場のトラックだ。

 

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