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2010年11月 1日 (月)

金鉱の村での無口な優しさ

最近、仕事でベンゲット州イトゴン郡アクーパン町(Acupan, Itogon, Benguet)に出かけた。アクーパンへの一般的なアプローチは、ルアカン・ロード(Luakan Road)でフィリピン士官学校(Philippine Military Academy: PMA)の先のキアス(Kias)まで行き、そこから分かれて左に下るというものだが、またもや家族で出かけたのでイトゴンのきれいな山々を見せてやりたいと思い、パクダル(Pacdal)からマンション(The Mansion)の横を抜けてトゥーディング(Tuding)、ウカブ(Ucab)、ミダス(Medas)、ダリクノ(Dalicno)へのジャンクションと下り、バラトック(Balatoc)のゲートに再び上がってキアスからのアクーパン・ロードに合流するという遠回りのルートを取った。

トゥーディングからウカブまではかなり下る。道も舗装されているが悪く、あちらこちらにタイヤ幅をはるかに超えた、それもかなり深い穴が開いている。ウカブではカトリック教会のほうに右折、ルアカン(Luacan:イトゴン郡ルアカン町。空港のあるバギオ市ルアカン町とは異なる)やゴールドフィールド(Goldfield)へと下る分岐点を越えて右手に急に下り、ミダスを抜けるが、そのカトリック教会の横を通ってしばらくの道が、対向車との離合がかなり難しいくらい細い。そのくせ交通量も少なくなく、路上駐車なども当たり前にあるので、右タイヤを路肩ぎりぎりまで寄せてやり過ごし合うという場面がいくつもあった。

ミダスを抜けてしばらく行くと、さらに急な坂を下ることになる。ただ、ここで、正面の山に、かなり大きめの滝が見えてきれいだった。この日は先を急いでいたのでゆっくり止まって写真を撮ることができなかった。後日の課題だ。そこからダリクノへのジャンクションへと下る最後の部分はさらに急坂で、おそらく20度ほどはあるはずだ。

バラトックのゲートでは、すぐによそ者だとわかるのだろう、ガードマンのおじさんたちに怪訝そうな顔で迎えられる。とにかく愛想良くふるまうことが肝要だ。少しでも嫌な印象を持たれると、後で、あそこに来た訪問者は愛想が悪かったと、私たちが帰った後に、私たちではなく訪問先の人々が悪く言われることになりかねないからだ。

ゲートを越えてからの道はきわめて悪い。場所によっては、何度も紹介しているヌエバ・ビスカヤ州カスィブ郡(Kasibu, Nueva Vizcaya)の悪路以上かもしれない。途中、近道が一本あるのだが、この道が、片側は断崖で、これまた離合が難しい狭い道になっている。幸い、下りは山寄りなので、山に足を掛けるような形で対向車を待つ。そんな道でも平気でジプニーが登ってくるので冷や汗ものだ。ただ、お互いにクラクションを鳴らし合い、笑顔で離合できるのは、田舎道の醍醐味だ。

訪問先では楽しいひとときが過ごせた。驚いたのは、先週のヌエバ・ビスカヤ州カヤパ郡(Kayapa)行き以来、忙しくて洗えていなかったビターラおばあちゃんを、訪問先の人が静かに洗っていてくれたことだ。笑顔も愛想も無かった人だったが、ただ黙々と手で車を洗ってくれていた姿に、イゴロット族の男の深い優しさともてなしの心を見た思いがした。

帰りは、例の近道は避け、メインの道を登っていく。これがまた、おそろしい悪路だ。さすがに4WDを4Lに入れ、おそるおそる登っていく。この辺りでは唯一にして一番の観光名所?、金鉱博物館があるのはこの道沿いだから、およそ集客などには関心が無いようだ。

訪問先では、この辺りがかつてはいかに賑わっていたかを聞くことができた。鉱山会社がアメリカ資本下にあった際には、学校の校舎の塗装も毎年、塗り替えがなされ、道路も街路灯も整備されており、きわめて清潔できれいな地域だったようだ。今でもかつての映画館などが廃墟として残っている。ところが、悲しいかな、フィリピン人に経営が任されて以降は没落の一途をたどり、1990年のバギオ大震災が最終的な一撃となった。崩れた坑道に埋まってしまった掘削のための機械が莫大なコストのために救出できないことから会社は倒産、以後は個人鉱夫たちが細々と掘削を続けるだけの場所になってしまったのだ。個人や家族でするにはあまりに危険な仕事だ。

第二次大戦開戦時には、日本の鉱山会社が真っ先に押さえたというバギオ金鉱。金や各種資源を掘り尽くしての閉山ではなかっただけに、今も劣悪な労働環境、居住環境の中、一攫千金を狙う鉱夫たちの必死の掘削と家族の闘いが続けられている。

 

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そびえ立つ山々に挟まれた狭い峡谷に伸びるアクーパン町。

 

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多くの鉱夫家庭が、タコ部屋のようなアパートや、このような
急斜面に建てられた小屋に住んで厳しい掘削と暮らしを続ける。
各所に見える小さな穴は、もちろん個々人の坑道だ。

 

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おそろしい悪路ながら、ところによっては、このようにわだち部分だけが
コンクリート化されている場所もある。

 

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ビターラおばあちゃんもこのように斜面に止める。

 

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これがそのイゴロット族の男の無口な優しさ。胸が熱くなった。

 

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