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2010年5月の13件の記事

2010年5月30日 (日)

動詞で学ぼう (7):"ammo" "am-ammo"

今回からはしばらく、語幹"ammo"からの動詞を学んでいきましょう。まずは、接辞無しでそのまま動詞として働く"ammo"(知っている)です。

Rubino(2000:IDG:p.35)には「知識、経験」という名詞としての使われ方もあるということですが、これは他動詞フレームで、「経験者」(「知っている」のように、「状態」を表す述語の場合、「動作主」というラベルは不適切なのでこのような用語を使います)を、名詞ならば中心格、代名詞表現ならば-ko類(能格)で取ります。

「対象」は名詞ならば中心格、代名詞表現ならば-ak類(絶対格)となりますが、"ammo"の場合、英語のthat節のように、リンカーの"a"による節を取ったり(「~ということを知っている」)、if節のように、接続詞の"no"による節を取ったり(「~かどうか知っている」)もします。例文は次のとおりです。

Ammo ni Juan ti Inglis.(フアンは英語を知っている)

Ammoyo ti Inglis.(君たち・あなたたち・あなたは英語を知っている)

Ammona ni Maria.(マリアはそのことを知っている)

Ammo ni Juan [a kumuyogak kenni Maria].(フアンは私がマリアと一緒に行くことを知っている)

Ammoda [nga* agkuyogkami].(彼らは私たち(排除)が一緒に行くことを知っている)("a"は母音(アイウエオ)の前では"nga"になる)

Ammomi [no makikuyogkayo].(私たち(排除)は、君たち・あなたたちが一緒に行くかどうか知っている)

Ammona [no kuyogek dagiti estudiante].(彼・彼女は、私が学生たちを(無理に)連れて行くかどうか知っている)

 

ところで、上の例では、「知っている」の対象が「英語」や「そのこと」、「~ということ」「~かどうか」となっており、人ではないことにお気づきでしょうか。そうです。「誰それを知っている」の意味を表すには別の動詞があります。それが"am-ammo"です。例文は次のとおりです。

Am-ammo ni Juan da Maria.(フアンはマリアたちを知っている)

Am-ammomi ni Juan.(私たち(排除)はフアンを知っている)

Am-ammodak da Maria.(マリアたちは私を知っている)

Am-ammodata dagiti estudiante.(学生たちは私たち(双数)を知っている)

Am-ammota dagiti estudiante.(私たち(双数)は学生たちを知っている)

 

いかがでしょうか。いろいろな例文をとおして、格や代名詞表現の復習もしてみてくださいね。

 

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2010年5月28日 (金)

動詞で学ぼう (6):"makikuyog" "agpakuyog" "pakuyogen" "ipakuyog"

さて、語幹"kuyog"から派生される動詞としては他にいくつかのものが存在します。

接頭辞"maki-"による"makikuyog"(一緒に行く)は、語幹そのものに「一緒に行くこと」のような概念がありますので、"makikuyog"になっても意味的にはあまり変わらず、基本的に"agkuyog"、"kumuyog"に近い意味を表します。ただ、特に"maki-"が「一緒に~する」の意味ですので、その部分が強調されたものにはなっています。

構文的には自動詞・動作主焦点動詞(動作主:名詞-中心格/代名詞表現-絶対格)のパターンを取ります。

Makikuyog ni Juan.(フアンは一緒に行く)

Makikuyogak.(私は一緒に行く)

 

接頭辞"agpa-"による"agpakuyog"は「仲間を探す」という意味の動詞で、語幹の"kuyog"は「一緒に行く」という行為ではなく「一緒に行く」人、仲間という意味となっています。「仲間を」という意味が含まれているために他動詞のように錯覚しがちですが、実際は、他動詞的な意味を内包しつつも構文的には自動詞となります。

Agpakuyog ni Maria.(マリアは仲間を探す)

Agpakuyogtayo.(私たち(包括)は仲間を探す、仲間を探そう)

ちなみに、1人称複数包括形の"-tayo"の場合、実際の用法としては、上の訳に含めてあるように勧誘の意味にもなりますので、知っておくと便利です。

 

ここまでの一連の話で既にお気づきかもしれませんが、イロカノ語動詞の文法をマスターするには接辞についての理解が不可欠です。日本語の動詞も「読む」(yom-u)>「読ませる」(yom-ase-ru)>「読ませられる」(yom-ase-rare-ru)>「読ませられていた」(yom-ase-rare-te-i-ta)のように、どんどんと接辞がついていろいろな文法的意味(ここでは使役、受け身、継続、過去)が表現されますが、"-um-"のように語幹の最初の子音と母音の間に割り込むなどというタイプには慣れていません。

使役動詞"pakuyogen"((強制的に)連れて行く)の場合、語幹"kuyog"が"pa- -en"ではさまれているのがわかると思います。これは接周辞ないし両面接辞(circumflex)と呼ばれるもので、この場合は使役の"pa-"と対象焦点の"-en"がセットになった形になっています。このため、構文的にも対象焦点すなわち他動詞のパターン(動作主:名詞-中心格/代名詞表現-能格、対象:名詞-中心格/代名詞表現-絶対格)となります。例文は次のとおりです。

Pakuyogen ni Juan da Maria.(フアンはマリアたちを無理に連れて行く)

Pakuyogen da Maria da Juan.(マリアたちはフアンたちを無理に連れて行く)

Pakuyogenko ni Juan.(私はフアンを無理に連れて行く)

Pakuyogenda da Maria.(彼らはマリアたちを無理に連れて行く)

Pakuyogennakami.(君/彼・彼女・それは私たち(排除)を無理に連れて行く)

Pakuyogendak.(君たち・あなたたち・あなた/彼ら・彼女ら・それらは私を無理に連れて行く)

Pakuyogennak ni Maria.(マリアは私を無理に連れて行く)

 

さて、語幹"kuyog"から派生される動詞も、とりあえずがこれで最後になります。接頭辞"ipa-"によって生まれる"ipakuyog"((一緒に)行かせる、送る、派遣する)です。これは接辞としては"i-"の仲間なので主題焦点と呼べるでしょうが、要は他動詞ですので"pakuyogen"と同じ構文となります。ただし、意味的に「~と一緒に」という要素を明示する必要がある場合もあり、その際には斜格を用います。

Ipakuyog ni Juan da Maria.(フアンはマリアたちを一緒に行かせる)

Ipakuyog ni Juan da Maria kenni Jose.(マリアたちはフアンたちをホセと一緒に行かせる)

Ipakuyogko ni Juan.(私はフアンを一緒に行かせる)

Ipakuyogko ni Juan kadakuada.(私はフアンを彼らと一緒に行かせる)

Ipakuyognakami kenkuana.(君/彼・彼女・それは私たち(排除)を彼・彼女・それと一緒に行かせる)

Ipakuyognak ni Maria kada Juan.(マリアは私をフアンたちと一緒に行かせる)

 

以上でひとまず、語幹"kuyog"派生の動詞は終わりにします。次は語幹"ammo"を扱っていきましょう。

 

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動詞で学ぼう (5):"mangkuyog" ― 非他動詞化

語幹"kuyog"から派生する動詞として次のものは、接頭辞"mang-"によって作られる"mangkuyog"です。

サイドバーの入門レベルの教科書、Espiritu, Let's Speak Ilokanoの巻末の基本単語リストに"kumuyogen"と並んで掲載されている(そして、"agkuyog"、"kumuyog"、"ikumuyog"は掲載されていない)ところを見ると、Espirituはむしろ、この"mangkuyog"を、"kuyog"の動詞としては、最も基本的なものと捉えているということがわかります。

接頭辞"mang-"は、-en動詞(および、この企画ではまだ出てきていない-an動詞)を非他動詞化する働きを持つ接辞です。簡単に言えば、"mangkuyog"は、他動詞"kuyogen"から逆に生まれた自動詞であるというわけです。「kuyog(語幹) > kuyogen(他動詞) > mangkuyog(非他動詞化:自動詞)」というわけで、「kuyog(語幹) > agkuyog, kumuyog(自動詞)」のように語幹から直接生まれた自動詞とは異なるというわけです。

「自動詞」すなわち、動作主焦点動詞ということで、構文のパターンは"agkuyog"、"kumuyog"と同じもの(動作主:名詞-中心格:代名詞表現-絶対格、(その他(オプション):名詞・代名詞表現-斜格))になり、例文は次のとおりです。

Mangkuyog ni Maria.(マリアは一緒に行く)

Mangkuyog ti aso.(犬は一緒に行く)

Mangkuyog da Maria kenni Juan.(マリアたちはフアンと一緒に行く)

Mangkuyogak.(私は一緒に行く)

Mangkuyogka kada Maria.(君はマリアたちと一緒に行く)

Mangkuyogda kadakayo.(彼ら・彼女ら・それらは君たち・あなたたち・あなたと一緒に行く)

 

イロカノ語の文法では動詞の「焦点」という概念がとても重要です。この企画では一貫して統語論的な「主語」という用語を避け、意味論的な「動作主」「対象」「主題」などの概念を用いてきていますが、それというのも、「能格言語」的である、イロカノ語を含むフィリピン諸語の文法では、この「焦点」の当たった要素を「主語」と捉えようとする伝統があるからです。

これは、"agkuyog"、"kumuyog"などの「動作主焦点動詞」ならば「動作主」が主語、"kuyogen"などの「対象焦点動詞」ならば「対象」が主語、"ikuyog"などの「主題焦点動詞」ならば「主題」が主語、などというわけです。これは、日本語や英語などの「対格言語」での主語(大半は「動作主」がそれに当たる)とは、外見が大きく異なることになります。

イロカノ語文法で動詞の焦点が重要だというのは、例えば、英語の関係代名詞節に相当するものを作ろうとすると、先行詞に相当するものは関係節内で焦点の当たっている名詞でなければならないといった規則があります。例えば、「これは私が連れて行く犬だ」という文の場合、

Daytoy ket ti aso.(これはだ)

Kuyogek ti aso.(私は犬を連れて行く:焦点="ti aso"(犬))

という2つの文から、"ti aso"(犬)を先行詞(共通部分:修飾される要素)として、

Daytoy ket ti aso (a kuyogek).(これは私が連れて行く犬だ)

という文を作ることができます("a"は英語の関係代名詞に相当)。ところが、「こちらは犬を連れて行く人だ」という文の場合、

Daytoy ket ti tao.(こちらはだ)

Kuyogen ti tao ti aso.(その人は犬を連れて行く:焦点="ti aso"(犬))

あるいは、

Kuyogenna ti aso.(彼・彼女・それは犬を連れて行く:焦点="ti aso"(犬))

という2つの文から、

×Daytoy ket ti tao (a kuyogen ti aso).(×こちらは犬を連れて行く人だ)

という文を作ることはできません。なぜなら対象焦点動詞"kuyogen"の焦点は、対象である"ti aso"(犬)であるがために、"ti tao"(人)を修飾することはできないからです。

これを解決するために、非他動詞化という操作が行われます。すなわち、対象焦点動詞を動作主焦点動詞に変えてやることによって、焦点を対象(この場合は"ti aso"(犬))から動作主(この場合は"ti tao"(人)あるいは"-na"(彼・彼女・それ))に移してやるわけです。結果、次のようになり、

Daytoy ket ti tao.(こちらはだ)

Mangkuyog ti tao iti aso .(その人は犬を連れて行く:焦点="ti tao"(人):非他動詞化により、"kuyogen"で焦点だった"ti aso"(犬)は、斜格に降格している)

あるいは、

Mangkuyog isu(na) iti aso.(彼・彼女・それは犬を連れて行く:焦点="isu(na)"(彼・彼女・それ):同上)

という2つの文から、

Daytoy ket ti tao (a mangkuyog iti aso).(こちらは犬を連れて行く人だ)

あるいは、よりイロカノ語的に自然な文として、

Isu(na) ket ti mangkuyog iti aso.(彼・彼女・それは犬を連れて行く人だ)

という文が得られることになるわけです。

それでは、そもそもなぜ、このような複雑な操作が必要なのでしょうか。確かに、自動詞という点だけ考えるならば、

Daytoy ket ti tao (a mangkuyog iti aso).(こちらは犬を連れて行く人だ)

という文は、

Daytoy ket ti tao (nga agkuyog iti aso).

Daytoy ket ti tao (a kumuyog iti aso).

と言い換えてもさほど変わりはないということになります。しかし、既に"agkuyog"と"kumuyog"の項でも見たように、これらは、確かに自動詞ながらも、接辞が違うことで微妙に、時には大いに意味の違う動詞になっていることがあるのです。すなわち、対象焦点動詞"kuyogen"を動作主焦点動詞"agkuyog"、"kumuyog"に言い換えることは、単に他動詞から自動詞へ構文的な枠組みを変えるというだけでなく、意味的に異なるものとなってしまう可能性がある(そして、確かにこの例の場合はそうなる)のです。

それに対して、非他動詞化動詞"mangkuyog"の場合は、意味的には"kuyogen"に近いもののまま、すなわち「対象に(良くも悪くも)比較的強めに働きかけて、連れて行く」、Rubino(2000:IDG)によれば「同伴する、エスコートする」などの意味を一定程度、保ったまま、構文だけ自動詞ないし動作主焦点となるという、実に便利なことになるわけです。

既に学んできたように、"agkuyog"ならば「自ら進んで、自らのコントロールのもと、一定の期間にわたるものと見られる形で、一緒に行く」、"kumuyog"ならば「自発的に、あるいは特に特別なニュアンス無しに、行為全体として見られる形で、一緒に行く」的な意味にもなり得るわけですから、これは、純粋に"kuyogen"の意味をそのまま自動詞、動作主焦点の構文で表現したいという場合には、ありがた迷惑となるわけです。

同じ自動詞ないし動作主焦点動詞として"agkuyog"、"kumuyog"がありながらも、それを押しのけるようにして"mangkuyog"が頻用されるようになってくる背景にはこのような理由があるわけです。これは、初学者の私たちにとっては学習を厄介なものにする、まさに迷惑なものであるわけですが、しかし、「焦点」という大切な概念を理解していくにつれ、あるいは、もっと多くの場面や例文を通して"agkuyog/kumuyog/mangkuyog"の3つの自動詞・動作主焦点動詞の違いを知っていくにつれ、イロカノ語というものを、本当に繊細で豊かな言語にしているものであるのだということがありがたく思われていくことでしょう。

 

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2010年5月27日 (木)

動詞で学ぼう (4):"kumuyog" ― ag-動詞、-um-動詞

語幹"kuyog"から生まれる動詞シリーズ、続く動詞は、接中辞"-um-"によって生み出される"kumuyog"です。

"-um-"は、語幹の最初の子音と母音の間に割り込む接辞で、"kuyog"の場合は、最初の子音"k"と母音"u"の間に割り込み、"k -um- uyog"から"kumuyog"になるわけです。これは"agkuyog"と同じく、動作主があれば文が成立するという自動詞で、したがって、<動作主:名詞-中心格/代名詞表現--ak類(絶対格)、(対象(オプション):名詞・代名詞表現-斜格)>というパターンになります。例文は次のとおりです。

Kumuyog ni Juan.(フアンは一緒に行く<名>)

Kumuyog dagiti aso.(犬たちは一緒に行く<名>)

Kumuyog da Maria kenni Jose.(マリアたちはホセと一緒に行く<名-名>)

Kumuyog ni Juan kadakuada.(フアンは彼ら・彼女ら・それらと一緒に行く<名-代>)

Kumuyogta.(私たち(双数:話し手と聞き手の2人)は一緒に行く<代>)

Kumuyogkayo.(君たち・あなたたち・あなたは一緒に行く<代>)

Kumuyogkami kadagiti aso.(私たち(排除)は犬たちと一緒に行く<代-名>)

Kumuyogda kaniana.(彼らは彼・彼女・それと一緒に行く<代-代>)

 

ag-動詞と-um-動詞は、イロカノ語の自動詞の中でも両翼を担うと言っていいほど存在感のある動詞群です。意味的な傾向としてはag-動詞のほうが、動作主の意志によってコントロールのできる動作であり、Rubinoはまた、ag-動詞の時間的な切り取り方(アスペクト)を"durative"とし、動作を一定の時間の幅を持つものとして表現する形であるとしています。

一方、-um-動詞は、どちらかと言えば自発的で、意図的な動作というよりは行為や変化、時間の切り取り方としては、動作を全体として捉える傾向が強いようです。面白い例としては、"uminum"(-um-動詞:um- + inum)(飲む)に対して"aginum"(ag-動詞:ag- + inum)(酒を飲む)などもあります。

教科書ではag-動詞が最初に導入されることが多いですが、実際の使用としては-um-動詞が「クセのない」「より一般的な」自動詞として好まれることが多く、"kuyog"についても、"agkuyog"よりもこの"kumuyog"のほうが一般的に用いられているようです。RubinoのIDGには次のような例文が見られます(p.304)。

Dios ti kumuyog.

(神が共におられますように)
(直訳:(あなたと)一緒に行く方は神だ、神こそが共に行って/同伴してくださる)

Dios:神
ti:<冠詞>中心格
kumuyog:一緒に行く

"kumuyog"は動詞だが、冠詞"ti"がつくことで名詞化される。

 

それでは、皆さんにも"Dios ti kumuyog!"

 

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動詞で学ぼう (3):"ikuyog"

さて、語幹"kuyog"から作られる動詞として次に学ぶものは、接頭辞"i-"によって作られる"ikuyog"(連れて行く)があります。

この"i-"動詞は、主題焦点動詞と呼ばれるものですが、他動詞として、文中要素のパターンとしては"kuyogen"と同じもの(動作主:名詞―中心格/代名詞表現―能格、対象:名詞―中心格/代名詞表現―絶対格)となります。したがって、例文としては次のようになります。

Ikuyog ni Juan ni Maria.(フアンはマリアを連れて行く<名-名>)

Ikuyog ni Juan dagiti aso.(フアンは犬たちを一緒に行く<名-名>)

Ikuyog ti aso ti pusa.(犬は猫を連れて行く:名-名)

Ikuyog dagiti aso da Maria.(犬たちはマリアたちを連れて行く<名-名>)

Ikuyogko da Juan.(私はフアンたちを連れて行く<代-名>)

Ikuyogmi ti aso.(私たち(排除)は犬を連れて行く<代-名>)

Ikuyognatayo ni Maria.(マリアは私たち(包括)を連れて行く<名-代>)

Ikuyogdakayo dagiti aso.(犬たちは君たち・あなたたち・あなたを連れて行く<名-代>)

Ikuyognakami.(君/彼・彼女・それは私たち(排除)を連れて行く<代-代>)

Ikuyogmo ida.(君は彼らを連れて行く<代-代>)

 

"kuyogen"では、語尾の"-n"が"-k/-m"に置き換わり、少し複雑な様相を呈していましたが、"ikuyog"の場合はそれがなく、すっきりとしたものとなっています。

それでは、同じく他動詞である"kuyogen"と"ikuyog"は、意味がどう違うのでしょうか。具体的なことは、それぞれの語幹の意味的な特徴によるバリエーションもあり、多くの例文を比較しなければわかりませんが、一般的な傾向としては、-en動詞のほうが、その動作によって対象に及ぼされる影響が強いということが言えます。そのため、あくまでも傾向としては、"kuyogen"のほうが、誘って連れて行く、無理に連れて行く、的なニュアンスの強いということは言えるかもしれません。対して、"ikuyog"のほうは、主題("kuyogen"での対象に相当)のほうも、自ら進んで一緒に行きたいという意志があるといったニュアンスが存在するということも、言えるかもしれません。

なお、ここまでは、話を単純にするために"kuyogen"の意味としては「連れて行く」を当てていましたが、サイドバーでご紹介しているRubinoのIDG(2000)では、「同伴/随伴する」「エスコートする」などの意味も与えられています(p.304)。

さて、"ikuyog"については、同じくIDGでは、次のような例文が挙げられています(同ページ)。

No adda papananna, ikuyognak latta.

(彼は、どこかに行く際には、いつも私を連れて行く)
(直訳:もしも彼・彼女・それに行く場所があれば、彼・彼女・それはいつも私を連れて行く)

no:もし、~するとき
adda:ある
papananna:彼・彼女・それの行く場所
ikuyognak:君/彼・彼女・それが私を連れて行く
latta:いつも、ちょっと、習慣的に

 

この例文では、"kuyogen"ではなく"ikuyog"が使われていることから、少なくとも、自分もついて行ってもかまわないと思っているというニュアンスが含まれていると言えます。

 

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動詞で学ぼう (2):"kuyogen" (6) ― 動作主焦点動詞と対象焦点動詞のまとめ

そういうわけで、主役の"kuyogen"はどこへやら、すっかり-ak類(絶対格:absolutive case)と-ko類(能格:ergative case)の概観のようになってしまっていますが、この辺りでまとめておきましょう。

まず、動作主焦点動詞"agkuyog"の場合、動作主焦点であるがゆえに動作主さえあれば文として成り立つという点、動作主は、名詞の場合は中心格(core case:冠詞はni/da/ti/kadagiti)、代名詞表現の場合は絶対格(-ak類:-ak/-ka/isu(na)/-ta/-kami/-tayo/-kayo/-da)で表すという点を押さえておきましょう。

【ag-動詞:動作主<名:中心/代:絶対>】

Agkuyog ni Juan.(ジョンは一緒に行く)

Agkuyog ti aso.(犬は一緒に行く)

Agkuyogak.(私は一緒に行く)

Agkuyogda.(彼ら・彼女ら・それらは一緒に行く)

 

動作主焦点動詞であっても動作の対象を文中に表現することはできますが、その場合は、名詞の場合は斜格(oblique case:冠詞はkenni/kada/iti/kadagiti)、代名詞表現の場合も斜格(kaniak類:kaniak/kaniam, kenka/kaniana, kenkuana/kaniata, kadata/kaniami, kadakami/kaniatayo, kadatayo/kaniayo, kadakayo/kaniada, kadakuada)で表します。

【ag-動詞:動作主<名:中心/代:絶対>+(対象<名・代:斜>)】

Agkuyog ni Juan iti aso.(ジョンは犬と一緒に行く)

Agkuyog ti aso kenni Juan.(犬はフアンと一緒に行く)

Agkuyogak kaniana.(私は彼・彼女・それと一緒に行く)

Agkuyogda kaniak.(彼ら・彼女ら・それらは私と一緒に行く)

 

対象焦点動詞の場合、動作主と対象の両方を表しますが、その場合、名詞ならば動作主、対象ともに中心格、代名詞表現ならば動作主は能格(-ko類:-k(o)/-m(o)/-na/-ta/-mi/-tayo/-yo/-da)、対象は絶対格で表します。動作主と対象が共に代名詞表現の場合、また、動作主が名詞で対象が代名詞表現の場合には、いずれも-ko類と-ak類の融合(混成)形を用いる点に注意が必要です。

【-en動詞:動作主<名:中心/代:能>+対象<名:中心/代:絶対>)】

Kuyogen ni Juan da Maria.(ジョンはマリアたちを連れて行く)

Kuyogen ti aso kenni Juan.(犬はフアンを連れて行く)

Kuyogek ni Juan.(私はフアンを連れて行く)

Kuyogenda dagiti aso.(彼ら・彼女ら・それらは犬たちを連れて行く)

Kuyogennaka ni Juan.(フアンは君を連れて行く)

Kuyogendakami dagiti aso.(犬たちは私たち(排除)を連れて行く)

Kuyogennaka.(彼・彼女・それは君を連れて行く)

Kuyogendakami.(君たち・あなたたち・あなた/彼ら・彼女ら・それらは私たち(排除)を連れて行く)

 

ここで、絶対格と呼ばれる-ak類が、ag-動詞では動作主、-en動詞では対象に用いられていることに気づいた方も多いかと思います。ここで、伝統的な文法のカテゴリーとして、ag-動詞が動作主だけを必要としていることで自動詞、-en動詞が動作主と対象の両方を必要としていることで他動詞とするならば、絶対格の-ak類は自動詞では動作主、他動詞では対象を表すことになります。

一方、英語や日本語では、主格と呼ばれるものが、自動詞、他動詞ともに動作主を表します(例:ジョンが走る-ジョンがパンを食べる、He runs-He eats bread)。伝統的な言語の分類では、英語や日本語のような言語を「対格言語」(accusative language)、イロカノ語のような言語を「能格言語」(ergative language)と呼ぶこともあります。

日本語をイロカノ語風に書くと、「彼<動作主>が(絶対格)走る-ジョン<動作主>を(能格)彼<対象>が(絶対格)殴る」となるわけで、細かいことはさておいても大いに違うというのはわかっていただけると思います。そういうわけで、学習に際しては忍耐と注意が必要です。

ただし、イロカノ語の場合、これまで見たように、代名詞表現はほとんどが融合形になってしまっていますし、名詞の場合は、動作主であろうが対象であろうが、同じ中心格で表しますので、能格言語としては、かなり中途半端なものになってしまっています。最初は感覚をつかむのに時間がかかるかもしれませんが、恐るるに足らず、です。

繰り返しになりますが、ここまで見てきたag-動詞と-en動詞の違い、中心格、絶対格、能格、斜格、融合形などは、基本中の基本として、今後、繰り返し出てきますので、あきらめずに根気よく取り組んでいくこと、恐れずに時間をかけて理解していくことが必要です。

 

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動詞で学ぼう (2):"kuyogen" (5) ― 動作主が名詞、対象が代名詞表現の場合

さて、"kuyogen"をめぐる文中要素の組み合わせの最後は、動作主が名詞で対象が代名詞表現の場合です。この場合は、面白いことに、動詞には3人称動作主と当該代名詞表現の融合形をつけ、その後にあらためて動作主の名詞を中心格で表します。例えば次のような例です。

Kuyogennak ni Juan.(フアンは私を連れて行く)

Kuyogennakayo ni Juan.(フアンは君たち・あなたたち・あなたを連れて行く)

Kuyogendaka da Maria.(マリアたちは君を連れて行く)

Kuyogendatayo da Maria.(マリアは私たち(包括)を連れて行く)

 

これらは言わば、融合形で基本的な意味を表しておいて、その後、あらためてきちんと動作主を言うという形になっています。すなわち、「彼・彼女・それは私を連れて行く、フアンが」「彼・彼女・それは君たち・あなたたち・あなたを連れて行く、フアンが」「彼ら・彼女ら・それらは君を連れて行く、マリアたちが」「彼ら・彼女ら・それらは私たち(包括)を連れて行く、マリアたちが」といった形になっているわけです。したがって、動作主をきちんと言うからといって、動詞には対象を表す-ak形だけをつけた次のような例は、そういうバリエーションももしかすると方言などによってはあるかもしれませんが、一般にはしないということになります。

×Kuyogenak ni Juan.(×フアンは私を連れて行く)

×Kuyogenkayo ni Juan.(×フアンは君たち・あなたたち・あなたを連れて行く)

×Kuyogenka da Maria.(×マリアたちは君を連れて行く)

×Kuyogentayo da Maria.(×マリアは私たち(包括)を連れて行く)

 

これは、"kuyogenkayo"と言ってしまうと「私は君たち・あなたたち・あなたを連れて行く」、"kuyogenka"と言ってしまうと「私は君と」となってしまい意味の理解のプロセスが複雑になってしまうこと、"kuyogentayo"では「私は私たち(包括)と」となってしまい、そもそも意味をなさないものとなってしまうということ、などが挙げられるかもしれません。

そういうわけで、まずは、"-nak"などの融合形で動作主と対象を明示しておいて、あらためて動作主を言うというのは、一見複雑に見えて、実際はすっきりと理解しやすいシステムになっていると言うこともできるでしょう。

 

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動詞で学ぼう (2):"kuyogen" (4) ― 代名詞表現の融合(混成)形 (2)

前回は、イロカノ語学習の一つの大きな山、動作主と対象が共に代名詞表現の際の融合形の一覧を見てみました。一覧で見るとどうにも煩雑で、永遠に理解できないかのように思えてしまいますが、これを理解するにはコツがあります。今回はそれを学んでいきましょう。

 

この融合形の大原則は、これらは実は、-ko類と-ak類の融合したものだということです。あらためて、-ko類と-ak類を並べてみましょう。

【左が-ko類、右が-ak類】

1s -ko, -k / -ak   私

2s -mo, -m / -ka   君

3s -na / isu(na)   彼・彼女・それ

1d -ta / -ta   私たち(話し手と聞き手の2人のみ)

1pl-ex -mi / -kami   私たち(聞き手(ら)を含まない)

1pl-in -tayo / -tayo   私たち(聞き手(ら)も含む)

2pl -yo / -kayo   君たち、あなたたち、あなた

3pl -da / -da   彼ら・彼女ら・それら

 

まずは、動作主が3人称の際のパターンを並べてみるとよくわかります。-ko類は"-na"、-ak類は上の通りです。

【3人称単数→X(3s-X)】

彼・彼女・それ→私:-nak(-na + -ak*)

彼・彼女・それ→君:-naka(-na + -ka)

彼・彼女・それ→彼・彼女・それ:-na(-na + isu(na)**)

彼・彼女・それ→私たち(双数):-nata(-na + -ta)

彼・彼女・それ→私たち(排除):-nakami(-na + -kami)

彼・彼女・それ→私たち(包括):-natayo(-na + -tayo)

彼・彼女・それ→君たち・あなたたち・あなた:-nakayo(-na + -kayo)

彼・彼女・それ→彼ら・彼女ら・それら:-na ida(-na + -da***)

 

彼ら・彼女ら・それら→私:-dak(-da + -ak*)

彼ら・彼女ら・それら→君:-daka(-da + -ka)

彼ら・彼女ら・それら→彼・彼女・それ:-da(-da + isu(na)**)

彼ら・彼女ら・それら→私たち(双数):-data(-da + -ta)

彼ら・彼女ら・それら→私たち(排除):-dakami(-da + -kami)

彼ら・彼女ら・それら→私たち(包括):-datayo(-da + -tayo)

彼ら・彼女ら・それら→君たち・あなたたち・あなた:-dakayo(-da + -kayo)

彼ら・彼女ら・それら→彼ら・彼女ら・それら:-da ida(-da + -da***)

 

*綴りどおりなら"-naak/-daak"となるところだが、さらに縮まって"-nak/-dak"となっている。

**単純な足し算なら"-na isu(na)/-da isu(na)"となるところだが、対象が3人称(isu(na))の場合には省略すると考えればいい。結果、"-na/-da"。

***対象が3人称複数の場合、-ak類本来の"-da"ではなく、独立した代名詞の"ida"が用いられる。

 

**の、対象が3人称の場合(isu(na))には省略されるというのは、そのパターンを集めてみるとよくわかります。また、確かに動作主が-ko類で表されるというのも見ていただけると思います。さらに、複数の際に"ida"が用いられるというのも、併せてご確認ください。

【X→3人称単数(X-3s)】

私→彼・彼女・それ:-k(o)(-k(o) + isu(na))

君→彼・彼女・それ:-m(o)(-m(o) + isu(na))

彼・彼女・それ→彼・彼女・それ:-na(-na + isu(na))

私たち(双数)→彼・彼女・それ:-ta(-ta + isu(na))

私たち(排除)→彼・彼女・それ:-mi(-mi + isu(na))

私たち(包括)→彼・彼女・それ:-tayo(-tayo + isu(na))

君たち・あなたたち・あなた→彼・彼女・それ:-yo(-yo + isu(na))

彼ら・彼女ら・それら→彼・彼女・それ:-da(-da + isu(na))

【X→3人称複数(X-3pl)】

私→彼ら・彼女ら・それら:-k(o) ida

君→彼ら・彼女ら・それら:-m(o) ida

彼・彼女・それ→彼ら・彼女ら・それら:-na ida

私たち(双数)→彼ら・彼女ら・それら:-ta ida

私たち(排除)→彼ら・彼女ら・それら:-mi ida

私たち(包括)→彼ら・彼女ら・それら:-tayo ida

君たち・あなたたち・あなた→彼ら・彼女ら・それら:-yo ida

彼ら・彼女ら・それら→彼ら・彼女ら・それら:-da ida

 

どうでしょうか。単数の場合は見事に"isu(na)"が省略されていること、複数の場合は"ida"が用いられていること、どちらも-ko類で動作主が表されていることがわかります。

 

さらに、動作主が3人称以外の場合に気づかされることは、単数の場合には"-na"、複数の場合には"-da"で代理的に表されていること、そこに、対象の-ak類がついていることです。

【対象が1人称単数(X-1s)】

君→私:-nak(-na("-mo"の代理)+ ak)

君たち・あなたたち・あなた→私:-dak(-da("-yo"の代理)+ ak)

 

【対象が2人称単数(X-2s)】

私たち(排除)→君:-daka(-da("-mi"の代理)+ ka)

 

【対象が1人称複数(排除)(X-1pl-ex)】

君→私たち(排除):-nakami(-na("-mo"の代理)+ kami)

君たち・あなたたち・あなた→私たち(排除):-dakami(-da("-yo"の代理)+ kami)

 

【対象が2人称複数(X-2pl)】

私たち(排除)→君たち・あなたたち・あなた:-dakayo(-da("-yo"の代理)+ kayo)

 

単数・複数を問わず、3人称が関与している場合には、単純な足し算で考えればうまくいきました。ですから、これら融合形をマスターする大きな鍵は、この単数="-na"で代表、複数="-da"で代表するということになるでしょうか。あとは、次のように、同じ形で異なる意味を表すことがありますので、そこが厄介です。

Kuyogennak.

(君は 私と)
(彼・彼女・それは 〃 と)

Kuyogendak.

(君たち・あなたたち・あなたは 私と)
(彼ら・彼女ら・それらは 〃 と)

Kuyogennakami.

(君は 私たち(排除)と)
(彼・彼女・それは 〃 と)

Kuyogendakami.

(君たち・あなたたち・あなたは 私たち(排除)と)
(彼ら・彼女ら・それらは 〃 と)

Kuyogendakayo.

(私たち(排除)は 君たち・あなたたち・あなたと)
(彼ら・彼女ら・それらは 〃 と)

 

最後に、動作主が1人称単数の場合は、使用する頻度が高いからか、パターン的に異なるものとなっており、結果的に例外のような形になっています。

私→あなた:-ka
(パターン的には「私」が単数なので、"-na(-k(o)の代理)+ -ka"で"-naka"となるべき)

私→君たち・あなたたち・あなた(1s-2pl):-kayo
(パターン的には「私」が単数なので、"-na(-k(o)の代理)+ -kayo"で"-nakayo"となるべき)

これは、「私」というのは話し手自身なので、ことさら代名詞的表現で表す必要が無いため"-na"(ひいては-ko類そのもの)が落ちた、ということなのかもしれません。

いかがでしょうか。少しは整理ができたでしょうか。ポイントは、次の通りです。

(1)3人称が絡む場合:「-ko類 + -ak類」(省略に注意)

(2)3人称以外が絡む場合:「-na(単数)/-da(複数) + -ak類」

(3)"-nak/-dak/-nakami/-dakami/-dakayo"は、同形で複数の意味

(4)1人称単数が動作主の場合:-ko類が脱落して-ak類のみ

 

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動詞で学ぼう (2):"kuyogen" (3) ― 代名詞表現の融合(混成)形 (1)

さて、今回が一つの大きな山場になります。ここまで一気に理解してしまえば動作主や(動作の)対象などの文法は一段落、後は、純粋に動詞を覚えていけばいいということになります。

その山場とは? 前回は動作主が代名詞表現になる場合を見ました。-ko類を使うということでしたね。これまで、次のような組み合わせを見てきたことになります。

動作主=名詞 対象=名詞

動作主=代名詞表現 対象=名詞

今回は最後の組み合わせ、「動作主=代名詞表現 対象=代名詞表現」について学びます。これがイロカノ語では恐ろしく煩雑なのです。どうなるのでしょうか。

"kuyogen"の場合、名詞が共に動作主と対象の場合、どちらも中心格(ni/da/ti/dagiti)を使いました。次のような要領でした。

Kuyogen ni Juan ni Maria.(フアンはマリアを連れて行く)

 

ならば、「私はあなたを連れて行く」の場合も、-ko類の接尾辞を使って"kuyogenkomo"(kuyogen + -ko + mo)のようにすればいいのでしょうか。あるいは、きちんと"n"が"k"に置き換わって"kuyogekmo"?

答えは×です。イロカノ語の場合、動作主と対象が共に代名詞表現の場合、2つの代名詞表現が融合して次のような混成表現になります。

私→あなた(1s-2s):-ka

私→彼・彼女・それ(1s-3s):-k(o)

私→君たち・あなたたち・あなた(1s-2pl):-kayo

私→彼ら・彼女ら・それら(1s-3pl):-k(o) ida

 

君→私(2s-1s):-nak

君→彼・彼女・それ:(1s-3s):-m(o)

君→私たち(排除)(2s-1pl-ex):-nakami

君→彼ら・彼女ら・それら(2s-3pl):-m(o) ida

 

彼・彼女・それ→私(3s-1s):-nak

彼・彼女・それ→君(3s-2s):-naka

彼・彼女・それ→彼・彼女・それ(3s-3s):-na

彼・彼女・それ→私たち(双数)(2s-1d):-nata

彼・彼女・それ→私たち(排除)(2s-1pl-ex):-nakami

彼・彼女・それ→私たち(包括)(2s-1pl-in):-natayo

彼・彼女・それ→君たち・あなたたち・あなた(2s-2pl):-nakayo

彼・彼女・それ→彼ら・彼女ら・それら(2s-3pl):-na ida

 

私たち(双数)→彼・彼女・それ(1d-3s):-ta

私たち(双数)→彼ら・彼女ら・それら(1d-3pl):-ta ida

 

私たち(排除)→君(1pl-ex-2s):-daka

私たち(排除)→彼・彼女・それ(1pl-ex-3s):-mi

私たち(排除)→君たち・あなたたち・あなた(1pl-ex-2pl):-dakayo

私たち(排除)→彼ら・彼女ら・それら(1pl-ex-3pl):-mi ida

 

私たち(包括)→彼・彼女・それ(1pl-in-3s):-tayo

私たち(包括)→彼ら・彼女ら・それら(1pl-in-3pl):-tayo ida

 

君たち・あなたたち・あなた→私(2pl-1s):-dak

君たち・あなたたち・あなた→彼・彼女・それ(2pl-3s):-yo

君たち・あなたたち・あなた→私たち(排除)(2pl-1pl-ex):-dakami

君たち・あなたたち・あなた→彼ら・彼女ら・それら(2pl-3pl):-yo ida

 

彼ら・彼女ら・それら→私(3pl-1s):-dak

彼ら・彼女ら・それら→君(3pl-2s):-daka

彼ら・彼女ら・それら→彼・彼女・それ(3pl-3s):-da

彼ら・彼女ら・それら→私たち(双数)(3pl-1d):-data

彼ら・彼女ら・それら→私たち(排除)(3pl-1pl-ex):-dakami

彼ら・彼女ら・それら→私たち(包括)(3pl-1pl-in):-datayo

彼ら・彼女ら・それら→君たち・あなたたち・あなた(3pl-2pl):-dakayo

彼ら・彼女ら・それら→彼ら・彼女ら・それら(3pl-3pl):-da ida

 

これらを用いて、それぞれの例文は次の通りです。

【私は】

kuyogenka.(あなたを連れて行く)

kuyogek.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogenkayo.(君たち・あなたたち・あなたを連れて行く)

kuyogek ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

【君は】

kuyogennak.(私を連れて行く)

kuyogem.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogennakami.(私たち(排除)を連れて行く)

kuyogem ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

【彼・彼女・それは】

kuyogennak.(私を連れて行く)

kuyogennaka.(君を連れて行く)

kuyogenna.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogennata.(私たち(双数)を連れて行く)

kuyogennakami.(私たち(排除)を連れて行く)

kuyogennatayo.(私たち(包括)を連れて行く)

kuyogennakayo.(君たち・あなたたち・あなたを連れて行く)

kuyogenna ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

【私たち(双数)は】

kuyogenta.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogenta ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

【私たち(排除)は】

kuyogendaka.(君を連れて行く)

kuyogenmi.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogendakayo.(君たち・あなたたち・あなたを連れて行く)

kuyogenmi ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

【私たち(包括)は】

kuyogentayo.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogentayo ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

【君たち・あなたたち・あなたは】

kuyogendak.(私を連れて行く)

kuyogenyo.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogendakami.(私たち(排除)を連れて行く)

kuyogenyo ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

【彼ら・彼女ら・それらは】

kuyogendak.(私を連れて行く)

kuyogendaka.(君を連れて行く)

kuyogenda.(彼・彼女・それを連れて行く)

kuyogendata.(私たち(双数)を連れて行く)

kuyogendakami.(私たち(排除)を連れて行く)

kuyogendatayo.(私たち(包括)を連れて行く)

kuyogendakayo.(君たち・あなたたち・あなたを連れて行く)

kuyogenda ida.(彼ら・彼女ら・それらを連れて行く)

 

どうでしょうか。これらを理解し、使いこなしていくのは本当に大変なことです。でも、逆に、これらを理解し、使いこなしていければ、イロカノ語の学習は、半分とは行かずとも、10%は終了したと言っても過言ではないでしょう。あきらめないで、1つずつ確実に身につけていってください。次回はこれらを少し整理してみます。

 

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動詞で学ぼう (2):"kuyogen" (2) ― -ak類(絶対格)、-ko類(能格)

さて、前回の「"kuyogen" (1)」では、動作主と動作の対象が、共に名詞である例を見ていただきました。今回は、動作の対象は名詞のまま、動作主が代名詞表現である場合を学んでいきましょう。

「(1):"agkuyog"」の場合、動作主が代名詞表現の際には-ak類という、一連の接尾辞(一部、代名詞)を用いることになっていました。再掲してみましょう。

【-ak類】

1人称単数 -ak:私

2人称単数 -ka:君

3人称単数 isu(na):彼・彼女・それ(これだけ代名詞)

1人称双数 -ta:私たち(話し手と聞き手の2人のみ)

1人称複数排除 -kami:私たち(聞き手(ら)を含まない)

1人称複数包括 -tayo:私たち(聞き手(ら)も含む)

2人称複数・単数尊敬 -kayo:君たち、あなたたち、あなた

3人称複数(2人称単数尊敬) -da:彼ら・彼女ら・それら

 

例文は次の通りでした。

Agkuyogak.(私は一緒に行く)

Agkuyogka.(君は一緒に行く)

Agkuyog isu(na).(彼・彼女・それは一緒に行く)

Agkuyogta.(私たち(私と君・あなた)は一緒に行く)

Agkuyogkami.(私たちは一緒に行く(あなた・あなたたちは行かない))

Agkuyogtayo.(私たちは一緒に行く(あなた・あなたたちも行く))

Agkuyogkayo.(君たち・あなたたち・あなたは一緒に行く)

Agkuyogda.(彼ら・彼女ら・それら(あなた・あなた様)は一緒に行く)

 

ところが、"kuyogen"の場合、同じく動作主が代名詞表現の場合であっても-ak類は使うことができません。次のような例は不適切な文になります(そのような文には「×」をつけて表すことにします)。

×kuyogenak ni Maria.(×私はマリアを連れて行く)

×kuyogka ni Maria.(×君はマリアを連れて行く)

 

"agkuyog"と"kuyogen"の違いは何だったでしょうか。まずは"ag-"動詞と"-en"動詞の違いと考えてくださってもけっこうですが、もう少し専門的な言い方がお好みならば、動作主焦点動詞と対象焦点動詞の違いです。そうです。"-en動詞"ないし対象焦点動詞の場合は、動作主の代名詞表現に-ak類とは別のセットを用いるのです。これが「-ko類」と呼ばれるものです。

【-ko類】

1人称単数 -ko, -k:私

2人称単数 -mo, -m:君

3人称単数 -na:彼・彼女・それ

1人称双数 -ta:私たち<話し手と聞き手の2人のみ>

1人称複数排除 -mi:私たち<聞き手(ら)を含まない>

1人称複数包括 -tayo:私たち<聞き手(ら)も含む>

2人称複数・単数尊敬 -yo:君たち、あなたたち、あなた

3人称複数(2人称単数尊敬) -da:彼ら・彼女ら・それら

 

参考までに、-ak類と-ko類を並べてみましょう。「1人称単数」などの表示は、スペースの関係から記号で表してみます(それぞれ、1s, 2s, 3s, 1d, 1pl-ex, 1pl-in, 2pl, 3plとします)。

【左が-ak類、右が-ko類】

1s -ak / -ko, -k   私

2s -ka / -mo, -m   君

3s isu(na) / -na   彼・彼女・それ

1d -ta / -ta   私たち(話し手と聞き手の2人のみ)

1pl-ex -kami / -mi   私たち(聞き手(ら)を含まない)

1pl-in -tayo / -tayo   私たち(聞き手(ら)も含む)

2pl -kayo / -yo   君たち、あなたたち、あなた

3pl -da / -da   彼ら・彼女ら・それら

 

比べてみると、1d"-ta"、1pl-in"-tayo"、3pl"-da"は-ak類と-ko類で共通していることがわかります。他のものも、"k"だけ共有している1sと、全く違う2sを除けば、-ko類が-ak類の一部となっているのがわかります。

それでは、-ko類を動作主にした"kuyogen"の例文を並べてみましょう。

Kuyogek ni Maria.(私はマリアを連れて行く)

Kuyogem ni Maria.(君はマリアを連れて行く)

Kuyogenna ni Maria.(彼・彼女・それはマリアを連れて行く)

Kuyogenta ni Maria.(私たち(私と君・あなた)はマリアを連れて行く)

Kuyogenkami ni Maria.(私たち(排除)はマリアを連れて行く(あなた・あなたたちは行かない))

Kuyogentayo ni Maria.(私たちは(包括)マリアを連れて行く(あなた・あなたたちも行く))

Kuyogenyo ni Maria.(君たち・あなたたち・あなたはマリアを連れて行く)

Kuyogenda ni Maria.(彼ら・それらはマリアを連れて行く)

 

きちんと、動作主が-ko類、動作の対象(Maria)が中心格(ni)になっていますね。当然ながら、これは、動作の対象が複数や非人称の場合も同じです。

Kuyogek da Maria.(私はマリアたちを連れて行く)

Kuyogem ti pusa.(君は猫を連れて行く)

Kuyogenna dagiti pusa.(彼・彼女・それは猫たちを連れて行く)

 

注意が必要なのは1s(1人称単数"-ko, -k":私)と2s(2人称単数"-mo, -m":君)の場合です。これらの場合、"kuyogen"+"-ko/-mo"で"kuyogenko/kuyogenmo"とはなりません。"-en"の"n"に置き換わる形で、しかも"o"を落として、"kuyogek"(kuyogen + -ko > kuyogenko > kuyogenk(o) > kuyogek)、"kuyogem"となります。

ここまでのポイントは、"ag-"動詞(動作主焦点動詞)、"-en"動詞(対象焦点動詞)という2種類の動詞と、それぞれ、動作主が代名詞表現の場合は、-ak類、-ko類という別のセットを用いること、です。ちなみに、専門用語では-ak類は絶対格、-ko類は能格と呼ばれます。これらはどれも基本中の基本ですので、少しずつでも確実に暗記する、あるいは、実際に使える機会に恵まれているならば使って慣れるようにしていきましょう。

 

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動詞で学ぼう (2):"kuyogen" (1) ― 対象焦点動詞

2回目の今回は、前回"agkuyog"と同じ語幹"kuyog"から、接辞(接尾辞)"-en"によって作られる"kuyogen"(連れて行く)を取り上げてみましょう。

"agkuyog"と"kuyogen"の違いは、"agkuyog"が、英語の自動詞(例:John runs:ジョンは走る)のように、動作主焦点動詞で動作主にさえ言及されていればいいものであったのに対し、"kuyogen"は、英語の他動詞(例:John takes Mary:ジョンはマリーを連れて行く)のように、動作主(誰/何が連れて行くか)と動作の対象(誰/何を連れて行くか)の両方に言及するのがデフォルトな動詞であるという点です。

動詞というグループの単語の性質上、動作主を省略することは(一部の例外を除いて)できないのですが、動作主よりも動作の対象に焦点が当たっているということから、「対象焦点動詞」と呼ばれます。逆に言えば、接頭辞"ag-"は語幹から動作主焦点動詞、接尾辞"-en"は語幹から対象焦点動詞を、それぞれ作るものだと言えます。

難しいことは、まずはこれくらいにして、例文を見ていただきましょう。まずは名詞を用いた例です。(1)"agkuyog"で見た、冠詞"ni/da/ti/dagiti"を思い出してみてください。

Kuyogen ni Juan ni Maria.(フアンはマリアを連れて行く)

Kuyogen ni Juan da Maria.(フアンはマリアたちを連れて行く)

Kuyogen da Juan ni Maria.(フアンたちはマリアを連れて行く)

Kuyogen da Juan da Maria.(フアンたちはマリアたちを連れて行く)

 

Kuyogen ti aso ti pusa.(犬は猫を連れて行く)

Kuyogen ti aso dagiti pusa.(犬は猫たちを連れて行く)

Kuyogen dagiti aso ti pusa.(犬たちは猫を連れて行く)

Kuyogen dagiti aso dagiti pusa.(犬たちは猫たちを連れて行く)

 

これを"agkuyog"と比べてみるとどうなるでしょうか。

Agkuyog ni Juan kenni Maria.(フアンはマリアと一緒に行く)

Agkuyog ni Juan kada Maria.(フアンはマリアたちと一緒に行く)

Agkuyog da Juan kenni Maria.(フアンたちはマリアと一緒に行く)

Agkuyog da Juan kada Maria.(フアンたちはマリアたちと一緒に行く)

 

Agkuyog ti aso iti pusa.(犬は猫と一緒に行く)

Agkuyog ti aso kadagiti pusa.(犬は猫たちと一緒に行く)

Agkuyog dagiti aso iti pusa.(犬たちは猫と一緒に行く)

Agkuyog dagiti aso kadagiti pusa.(犬たちは猫たちと一緒に行く)

 

"kumuyog"は、動作主、動作の対象ともに、冠詞が"ni/da/ti/dagiti"という同類(中心格)であることがわかります。一方、"agkuyog"は、動作主は中心格(ni/da/ti/dagiti)を取っているのに対し、動作の対象は斜格(kenni/kada/iti/kadagiti)を取っているのがわかります。これは、次のように人称名詞、非人称名詞が混ざり合う場合も同じです。

Kuyogen ni Juan ti pusa.(フアンは猫を連れて行く)

Kuyogen ti pusa ni Juan.(猫はフアンを連れて行く)

 

Agkuyog ni Juan iti pusa.(フアンは猫と一緒に行く)

Agkuyog ti pusa kenni Juan.(猫はフアンと一緒に行く)

 

これは、言い換えると、"kuyogen"の場合は、動作主と動作の対象が対等の立場(両方とも中心格)で表現されているのに対して、"agkuyog"では、動作主が一次的な存在(中心格)で表現されている一方、動作の対象は二次的な存在(斜格)で表現されているということができます。

また、そのため、"agkuyog"の場合は、斜格で表された動作の対象は省略可能であるのに対し、"kuyogen"の場合は、一部の例外を除いて、動作の対象は省略不可、かつ、動作主であるか動作の対象であるかは、純粋に語順(先に来たものが動作主、後に来ているものが動作の対象)によるということになります。

Agkuyog ni Juan iti pusa.(フアンは猫と一緒に行く)

Agkuyog ni Juan.(フアンは一緒に行く(対象:省略可))

Kuyogen ni Juan ti pusa.(フアンは猫を連れて行く)

Kuyogen ni Juan.<文として成り立たない(対象:省略不可)>

Kuyogen ti pusa ni Juan.(猫はフアンを連れて行く)

 

さて、動作主焦点動詞"agkuyog"と対象焦点動詞"kuyogen"の基本的な違いがおわかりいただけましたでしょうか。ここで取り上げていますのはあくまで理屈ですので、実際にこれらの例文が日常生活で自然かどうか、よく使われるかどうかは別の問題です。それはまた、別の企画で取り上げるようにしていきますので、まずはイロカノ語の基本を確実に押さえていくようにしてください。根気よくいろいろな例を見ていけば、自然にわかるようになってきます。最低限、超ブロークンなイロカノ語でも、フィリピンの人々は大いに喜んでくださるのですから。

 

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2010年5月26日 (水)

動詞で学ぼう (1):"agkuyog" ― 動作主焦点動詞、中心格、絶対格、斜格

そういうわけで、久々の更新でもありますし、景気づけに新しいコーナーを始めてみましょう。名づけて「動詞で学ぼう」です。基本的な動詞を学びつつ、初級文法や関連語彙を学んでいこうという企画です。いちおう講座の形は取っていますが、かく言う私も、多くの場合は、皆さんとともに学びつつ、です。さて、どこまで行けるでしょうか。

今回取り上げるのは"agkuyog"(一緒に行く)です。イロカノ語の動詞は、ほぼ例外なく、語彙的な意味を表す語幹と、文法上の機能を表す(結果として、意味を大いに決定することになる)接辞からなっています。"agkuyog"の場合、語幹は"kuyog"、接辞は"ag-"で、"kuyog"は「共に行くこと」的な概念を漠然と表し、"ag-"は「ある行為を、その行為の行為者(動作主)に焦点を当てつつ語る」動詞(動作主焦点動詞)を作る接辞です。

イロカノ語では、主語は動詞の後に置きます。人名やそれに準じるもの(人称名詞)の場合、冠詞として"ni"(複数は"da")をつけ(例:"ni Maria"(マリア)、"da Maria"(マリアたち))、それ以外の場合(非人称名詞)の場合、"ti"(複数は"dagiti")をつけます(例:"ti aso"(犬)、"dagiti aso"(犬たち))。結果、次のような例になります。

【動作主=人称】

Agkuyog ni Maria.(マリアは一緒に行く)

Agkuyog da Maria.(マリアらは一緒に行く)

【動作主=非人称】

Agkuyog ti aso.(犬は一緒に行く)

Agkuyog dagiti aso.(犬たちは一緒に行く)

 

"ag-"動詞の場合、「動作主焦点」と呼ばれるだけあって、動作主が中心の構文になり、誰/何と一緒に行くのかは表現されなくてもかまいません。もちろん、「一緒に行く」という限りは誰/何と一緒に行くのかを言いたい/知りたいのが人情。その場合、人称名詞ならば冠詞"kenni(単数)/kada(複数)"、非人称名詞ならば"iti(単数)/kadagiti(複数)"をつけて言うことも、理屈としては可能です(実際には、同じ語幹から別の接辞を使って作る動詞(kuyogen、ikuyog)を使うことが一般的です)。

【動作主=単数】

Agkuyog ni Maria kenni Juan.(マリアはフアンと一緒に行く)

Agkuyog ni Maria kada Juan.(マリアはフアンらと一緒に行く)

Agkuyog ti aso iti pusa.(犬は猫と一緒に行く)

Agkuyog ti aso kadagiti pusa.(犬は猫たちと一緒に行く)

【動作主=複数】

Agkuyog da Maria kenni Juan.(マリアらはフアンと一緒に行く)

Agkuyog da Maria kada Juan.(マリアらはフアンらと一緒に行く)

Agkuyog dagiti aso iti pusa.(犬たちは猫と一緒に行く)

Agkuyog dagiti aso kadagiti pusa.(犬たちは猫たちと一緒に行く)

 

さて、それでは、動作主が代名詞的なもの、すなわち、話の中に既に出てきた人やものを指す場合はどうなるでしょうか。"ag-"動詞は、動作主として「ak類」という一連の接辞を取ります。厳密に言えば、"ag-"は語幹の前につくので接頭辞、"-ak"類の接辞は語幹の後につくので接尾辞と呼びます。"-ak類"は次のようなものです。

【-ak類】

1人称単数 -ak:私

2人称単数 -ka:君

3人称単数 isu(na):彼・彼女・それ(これだけ代名詞*)

1人称双数 -ta:私たち(話し手と聞き手の2人のみ)

1人称複数排除 -kami:私たち(聞き手(ら)を含まない)

1人称複数包括 -tayo:私たち(聞き手(ら)も含む)

2人称複数・単数尊敬 -kayo:君たち、あなたたち、あなた**

3人称複数(2人称単数尊敬) -da:彼ら・彼女ら・それら(あなた、あなた様***)

 

例文としては、それぞれ次のようになります。

Agkuyogak.(私は一緒に行く)

Agkuyogka.(君は一緒に行く)

Agkuyog isu(na).(彼・彼女・それは一緒に行く)

Agkuyogta.(私たち(2人)は一緒に行く)

Agkuyogkami.(私たちは一緒に行く(あなた・あなたたちは行かない))

Agkuyogtayo.(私たちは一緒に行く(あなた・あなたたちも行く))

Agkuyogkayo.(君たち・あなたたち・あなたは一緒に行く)

Agkuyogda.(彼ら・彼女ら・それら(あなた・あなた様)は一緒に行く)

 

*"isu(na)"("-na"は省略される場合あり)が、それだけが代名詞というのは、接辞(この場合は接尾辞)の場合は語幹について全体として一語になってしまうのに対して、代名詞の場合は、語幹につかず、独立したままの状態を保つため。

**イロカノ語の敬意表現の重要な要素の一つ。尊敬(年長者、赤の他人など)は複数形で表す。ただし、お互いに知った者同士の同年代ならば厳密には適用されない。

***きわめて希にフォーマルな場面で、3人称複数形が聞き手への深い尊敬と遠い距離を表すために用いられる。

複数形で尊敬を表す敬意表現は、フランス語の"tu"に対する"vous"的なもの、3人称で尊敬を表す敬意表現は、ブラジル・ポルトガル語の"tu"に対する"voce/o senhor/a senhora"的なもの(ただし、この場合は複数ではなく単数)とも言えます。

全く系統の違う言語で同じような現象が見られるというのは、人間としての同様の感覚を反映しているかのようで興味深いですね。また、一見、気楽な雰囲気に満ちた感のあるフィリピンに、このような敬意表現があるというのも、あらためて興味深いことです。

 

イロカノ語の代名詞(正確には接辞(接尾辞))のシステムは、特に1人称に双数、複数排除、複数包括の3つのカテゴリーがありますので、最初は慣れるのが大変です。状況をよく思い浮かべながら、また、何度も間違いながら、マスターしていくしかありません。

動作主が接辞の場合も、誰/何とを表す場合には"kenni(人称・単数)/kada(人称・複数)/iti(非人称・単数)/kadagiti(非人称・複数)"を用います。

Agkuyogak kenni Juan.(私はフアンと一緒に行く)

Agkuyogda iti pusa.(彼らは猫と一緒に行く)

Agkuyog isuna kada Juan.(彼・彼女・それはフアンらと一緒に行く)

Agkuyogtayo kadagiti pusa.(私たち(聞き手も含む)は猫たちと一緒に行く)

 

最後に、一緒に行く人(たち)/もの(たち)も、代名詞の場合、一覧としては次のようになります(kaniak類)。

【kaniak類】

1人称単数 kaniak:私

2人称単数 kaniam, kenka:君

3人称単数 kaniana, kenkuana:彼・彼女・それ

1人称双数 kaniata, kadata:私たち(話し手と聞き手の2人のみ)

1人称複数排除 kaniami, kadakami:私たち(聞き手(ら)を含まない)

1人称複数包括 kaniatayo, kadatayo:私たち(聞き手(ら)も含む)

2人称複数・単数尊敬 kaniayo, kadakayo:君たち、あなたたち、あなた

3人称複数(2人称単数尊敬) kaniada, kadakuada:彼ら・彼女ら・それら(あなた、あなた様)

例を見てみましょう。

Agkuyogak kaniana/kenkuana.(私は彼・彼女・それと一緒に行く)

Agkuyog isuna kaniam/kenka.(彼・彼女・それは君と一緒に行く)

 

最後に、専門用語になり、少し敷居が高いかもしれませんが、今後、必要な用語として、覚えておくと役に立つものをご紹介しておきます。

-ak類:絶対格(absolute case)

"kenni(人称・単数)/kada(人称・複数)/iti(非人称・単数)/kadagiti(非人称・複数)"、kaniak類:斜格(oblique case)

"ni(人称・単数)/da(人称・複数)/ti(非人称・単数)/dagiti(非人称・複数)":中心格(core case)

以上、動作主焦点動詞"agkuyog"を軸に、関連する基本的な名詞・代名詞(接辞)のシステムをご紹介しました。これらは、最初は煩雑に思えるものですが、"ag-"動詞やその他多くの動作主焦点動詞のパターンに共通するものですので、時間をかけながら、少しずつ覚えていっていただけましたら幸いです。時間の無い方は、まずは例文だけ丸覚えしていくのも一つの方法です。いずれにせよ、これらは基本中の基本で、何度も繰り返して出てきますので、少し理屈の面に気を配れば、着実に身についていくことでしょう。

 

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推薦図書を追加しました

ごぶさたしています。新年のご挨拶をしたきりになっていました。1-3月、4-5月と、本業の一部である英語教育その他に追われており、ようやく少し自由な時間が取れるようになりました。何度か/も足を運んでくださった皆さんには本当に申し訳ありません。

さて、久々の今回は、サイドバーにイロカノ語学習のための推薦図書を3冊、追加しました。熱心な学習者である皆さんのお役に立てれば幸いです。

私自身の学習も、また少しずつペースを取り戻しつつあります。昨日は250単語ほどを例文とともに書き出し、単語帳を作りました。私は何語でも、だいたい1回書くと覚えてしまうほうですが、さすがに1日に250となると忘れるものも多くなります。ぼちぼちと努力を重ねていきたいと思っています。

マイナー言語の学習は、資料も教材(特に音声教材)も少なく大変ですが、皆さんとともに励まし合いながらがんばっていければと思っています。メールなどもご遠慮なくお送りください。今後とも当ブログをよろしくお願いいたします。

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